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「最澄と天台宗のすべて」に行ってきた(後編+α)

前回、東京国立博物館で現在開催中の特別展「最澄と天台宗のすべて」の鑑賞レポートを書きました。前回は展示を観た感想について書きましたが、今回は鑑賞して考えたことなどを書いてみたいと思います。

「ゆりの木」でランチ

9時半入場でがっつり11時まで特別展「最澄と天台宗のすべて」を鑑賞したせいで、ものすごい疲労感に襲われました。カフェで体力回復を図ったのですが、あまり回復せず、特別展と同じ平成館でやっていた考古展示室を鑑賞したあとに転ぶように「ゆりの木」に駆け込みました。

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(※ホテルオークラの系列のレストラン。お値段はお高めだけど、たしかにうまい。カツカレー。)

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(※クラフトビールも解禁になっていたので飲む。お値段は高い。けど2杯も飲んでしまった。)

「最澄と天台宗のすべて」を見終わって

さて、本題です。「最澄と天台宗のすべて」を鑑賞していろいろ思うことがあったので書いてみます。

・天台僧坐像・肖像画の変遷

今回の特別展では多くの天台僧の坐像・肖像画が展示されていました。最澄・円仁・円珍といった天台宗初期メンから、中興の祖・相応や、良源・源信、そして天海まで彼らの面構えを確認できたのは非常に興味深かったのです。

最澄・円仁・円珍は丸みを帯びたフォルムと、静的な佇まいが印象的です。まさに「悟り」を目指した高僧という雰囲気がある。

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(※最澄。眉毛も一本一本丁寧に描かれている。色白で頰と唇が赤く若々しい。)

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(※円仁。この肖像画は最澄とそっくり。坐像のほうはぼってりとした唇と大きな鼻が最澄とは異なる。)

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(※円珍。頭頂部がやけにとんがっている。ちょっと怪異的。)

他方、相応は非常に厳しい修行をマニュアル化したことでも知られますが(千日回峰行)、顔はちょっと俗っぽくなるように感じます。最澄・円仁・円珍と異なり、彼は両目が見開かれており、口元も少し緩いように描かれています。

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(※相応。最澄、円仁、円珍の持つ大物感が薄れているように思うが如何だろうか。)

良源にいたっては、完全に見る者を威嚇せずにはいられないような顔つきに変じます。明らかに悟ってなさそうな雰囲気を醸し出してますよね。

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(※良源。額のしわが攻撃性を表していると思う。)

そして時代は下って天海の坐像になりますと、老練な政治家といった雰囲気になります。最澄・円仁・円珍のように口は閉じ両目も伏せがちなのですが、その表情は沈思黙考、何かを思案している印象です。

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(※天海。この肖像画は結構お坊さんやっている感じがするが坐像はもっと政治家風である。)

各人各様の個性が強く出ているわけですが、その時代ごとに天台僧に求められる人物像が強く反映されているようにも感じます。あくまで印象論でしかありませんが、これほどまで各人各様の印象が違うとは、改めて大きな気づきでした。

・仏像たちの「目」

天台僧の坐像や肖像画でも印象的でしたが、「目」の表象は興味深かったです。わかりやすいのは先述した良源坐像の金色の目ですが、他にも護法童子立像や十二神将立像の目が面白い。鑑賞者と目線が合いそうで合わない絶妙な作りになっています。

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(※護法童子立像。下から覗き込むと目線が絶妙にズレていることがわかる。)

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(※十二神将立像。目はしっかりと前を捉えているが、どこを見ているのかちょっと捉えられない。あと逆立った髪の毛がすごい。超サイヤ人みたい。)

仏教にとって「目」とはどのような器官なのでしょうか。ぼくの浅い知識ですと、「正見」と深い関係のある器官であると想像します。「正見」とは涅槃に入るための正しい八つの行い(八正道)の筆頭に挙げられます。「正見」は必ずしも「目で見る」というよりも「仏教の真理を自覚して、正しい考えを持つ」という程の意味ですが、仏像のように表象した際はおそらく「目」が「正見」を表すということがあってもおかしくはないと思います。

それはともかく、これらの仏像の「目」は、「何かを見ているようで見ていない」という感じです。対象の仏像と鑑賞者であるぼくの住まう位相が、まるで異なっているような錯覚を持つのです。

また、最澄や円仁・円珍といった天台宗のなかでも最大のカリスマたちは、両目がほとんど空いていないというのも示唆的です。こちらは「何も見えてないようで、見えている」という感じでしょうか。

他にも多くの気づきがありましたが、まだまだ勉強不足ですので、これくらいにしておきます。今回の特別展は、坐像・肖像画、そして仏像が豊富に展示されていたので、概念的なことよりもそちらの方に興味の矛先が向いたように思います。

考古展示室に行ってきた

蛇足になりますが、特別展を見終わったあと、へとへとになりながら考古展示室に行ってきました。一番の目的は、東京国立博物館が保有するもっとも有名な土偶、遮光器土偶を見たかったからなのです。

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(※考古展示室のポスターも遮光器土偶。ちょっと陰影をつけてあってカッコいい。)

遮光器土偶は教科書にも大々的に取り上げられているので、見知っている人は多いかと思います。ですが、実際に実物を見ると全然迫力が異なります。正面・背面・側面と4方向から舐めるように観察しましたが、全体的にぼってりとしたフォルム、遮光器と勘違いされた変わったマスク、円錐形の可愛らしい手足。そして胴体に施された細かい文様に目が奪われました。

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(※遮光器土偶。見慣れた姿だが、実物を見るとその迫力に圧倒される。何時間でも鑑賞できる。)

竹倉史人「土偶と読む」を読みますと、これほどの製作コストを割いた土偶がまったく素朴に作られたはずがありません。そして縄文人が「未開の野蛮人」であるため、このようないびつで異様な人の形になってしまった、というのもあり得ないと感じました。

他にも埴輪や土器もたくさん展示してあり、どれも面白く見入ってしまいました。これらもちゃんとぼくのなかの歴史に組み込めるように、これからも勉強していきたいと思っています。

おわりに

今回、東京国立博物館に行って多くの展示物を鑑賞することができました。鑑賞しているときは記事で書いたことよりも、もっともっと深く考えていたことがあった気がします。また、もっともっと感動したことがありました。

ですが、文字にする際、自分の感性の取捨選択をせざるを得ませんでした。その際に、多くのことを取りこぼしてしまった後悔があります。

noteを始めた当初のぼくのレベルでは、「noteに記事を書く」という初歩の初歩的な目標しか立てられていませんでした。そしてそれは今のところ達成していると言えるでしょう。

今後は、自分の考えたこと・感じたことの「何を一番伝えたいか」を、まず整理して、それから記事を書くことが目的にならなければいけないと、強く考えを改めました。

日々、勉強。まだまだ拙い文章ばかり量産しておりますが、もっと上手に書けるようにがんばります。

今日は火曜日。元気にやっていきましょう。

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