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人間の「外側」への探求【国立西洋美術館「自然と人のダイアローグ」レポート】後編

※本記事の前編はこちら。

はじめに

前編では、国立西洋美術館リニューアルオープン記念「自然と人のダイアローグ」に展示されていた作品のなかで、ぼくが好きだった作品をピックアップし、写真付きでご紹介した。

実際に企画展内で撮った写真なので、作品の細部まではご覧いただけなかったかもしれない。
ただ、例えば作品の大きさや額縁、企画展内の照明や壁の色など、作品の外の周辺環境の情報は豊富だったのではないか。
実は鑑賞する上で、作品外の環境は非常に重要なのだ。少し環境が変わるだけで、きっと作品の見え方ががらりと変わってしまうに違いない。

こういった周辺の環境も含めて、ぜひ本企画展の雰囲気をお伝えできたらと思う。
なにせ作品の撮影許可が下りている企画展自体まれなので、この機会は絶好のチャンスなのだ。

さて、それはともかく、では後編は何を書くかということだが、前編の最後にこう書いておいた。

そのため後編は、本企画展からぼくが思考を巡らせたことについて記す。
それは、なぜ画家たちは「自然」を描こうとしたのか、ということへの応答である。
そして、画家たちはどのように「自然」を描いたのか、という点についても掘り下げていくつもりだ。

ということで、まず「なぜ画家たちは「自然」を描こうとしたのか」というところから始めてみたい。

「自然」を描く意味

今回の企画展においてまず気がつくのは、展示されている画家のすべてが、近代以降に活躍した人々であるということだ。
その理由は明確で、よく言われていることだが「自然」や「風景」は、近代以降に「発見」された経緯がある。

近代以前には、西洋において「自然」や「風景」を題材にした作品は存在しなかった。
それまでは「人」も「自然」の一部として捉えられていた。
しかし、近代以降の科学文明の到来により、西洋人は「自然」と「人」を明確に区別し始めたのだ。

生物の霊長としての「人」と、「人」が生きるために神から与えられた道具である「自然」、という区別。
そうすると、神から与えられた道具である「自然」を理解することは、神の意図に叶う行為となり、自然科学は飛躍的な発展を迎える。

その潮流のなかで、「自然」を題材とした風景画が誕生していくことになるのだ。
なかでも注目すべきは、前編の第3章「光の建築」の項でも紹介したセザンヌを筆頭とした印象派の活動である。

ポール・セザンヌ「ポントワーズの橋と堰」

画面全体にまぶされた白い点描をご覧いただきたい。
セザンヌは「光」を絵画でこのように表現しているのだ。
今では当たり前に使われている手法だが、セザンヌの時代にはもっと野心的な欲望がそこにはあった。

セザンヌは、絵画のなかで「光」を支配しようとしているのだ。
この発想は、神の意図を理解しようとする自然科学的な発想に極めて近い。

自然科学は、神の意図を十全に理解するために、現実世界で自然を支配したい。
他方セザンヌは、絵画のなかで自然を支配することで、神の意図を十全に理解したい。

絵画を使って神の意図を図るという行為は前例がある。
早すぎた近代人、レオナルド・ダ・ヴィンチがそれである。

ダ・ヴィンチは、モナリザを見るとよくわかるが、絶対に輪郭線を描きたくなかった。
なぜならば、現実世界において輪郭線なるものは存在しないからだ。
現実を絵画のなかでそのまま表現することが、神の営みを知る最大の早道だと彼は考えたのだ。

セザンヌに話を戻すと、やはり彼の絵画は、人間の「外部」への探求のひとつとしての風景画といえるだろう。
神の意図、という言葉を使うとかなり宗教的に聞こえるかもしれないが、自然を理解したいという知的好奇心がまず存在し、そのうえで当時の常識的な宗教感覚を付与するとこのような捉え方になるのだ。

以上が、「なぜ画家たちは「自然」を描こうとしたのか」という問いへの応答である。
次は、「画家たちはどのように「自然」を描いたのか」という問いに答えてみたい。

「自然」と「人」の境界線

近代以降の画家たちは、「自然」と「人」を区別することで、風景画を描くようになった。
だが、「自然」を探求していくうちに一つの命題にぶち当たることになる。
それは、「自然」と「人」の境界線はどこにあるのか、ということだ。

西洋人にとって、この「外部性」の問題は近代以降、最大の命題であった。
それは植民地獲得競争に明け暮れるなかで生じてきた問いである。
つまり、黄色人種や黒人は「(西洋人の考える)人」なのだろうか、ということである。

この問題を隠すことなく描いた画家がいる。
それは前編で第2章「<彼方>への旅」の項で紹介したゴーガンである。

ポール・ゴーガン「扇を持つ娘」1902年

ゴーガンは西洋の「文明」にほとほと嫌気がさし、「野蛮」を求めてタヒチ島に移住する。
しかし、タヒチはすでにフランスの植民地であり「文明化」されていたため、さらに未開発の部落まで足を伸ばす。

「扇を持つ娘」はその地で描かれたものだが、重要なのははだけた胸である。
実はモデルになった女性は、ちゃんと衣服で胸を隠していたのだ。
だが、ゴーガンは、よりエキゾチック(=野蛮)な絵に仕立て上げるために、胸をはだけさせた。

ここには「タヒチ人には西洋人と同じでいて欲しくない」という願望を読み取ることができる。
そして同時に「タヒチ人には、西洋人の外部=野蛮=人ではない=自然でいて欲しい」という薄暗い欲望を見て取ることができる。

ゴーガンの引く「自然」と「人」の境界線は、かくもおぞましい欲望にまみれている。
まさにサイードのいう「オリエンタリズム」そのものであって、決して許容できるものではない。

だが、この前提を踏まえることで、黄色人種であるぼくははじめて、ゴーガンがタヒチ人を描く理由を理解することができる。
そして、「扇を持つ娘」はあくまでゴーガンの(人ではなく)自然に対しての表現なのだ、ということが分かるのだ。

心象風景としての「自然」

他方、自然の描き方について、もうひとつ紹介したい。
それは、自然を自分の心象風景として昇華してしまう、という描き方である。
そして、その描き方の最たる画家は、ゴッホである。

フィンセント・ファン・ゴッホ「刈り入れ(刈り入れをする人のいるサン=ポール病院裏の麦畑)」1889年

「刈り入れ(刈り入れをする人のいるサン=ポール病院裏の麦畑)」を見て欲しい。
画面の下2/3は黄金の麦に覆われていて、空は燦々と日差しが明るい。
だが、この言い知れぬ不穏な印象を与えるのはなぜだろう。

ゴッホは弟テオ宛の手紙で、本作をこのように語っている。

僕は、この鎌で麦を狩る人のなかに
__炎天下、自分の仕事をやり遂げよう悪魔のように闘う朦朧とした姿のなかに__
死のイメージを見ました。人間は刈り取られる麦のようだという意味です。(…)
しかしこの死のなかには何ら悲哀はなく、
それは純金の光を溢れさせる太陽とともに明るい光のなかでおこなわれているのです。

フィンセント・ファン・ゴッホからテオ・フォン・ゴッホへの手紙(1889年9月6日)

先に結末を書いておくと、ゴッホはこの作品を描いた一年後、自ら命を絶っている。
本作は彼自身、ひたひたと忍び寄る死の恐怖と闘っている真っ最中の作品だったのだろう。
彼の絶望の深さは、わかりやすく真っ暗な画面ではなく、逆に明るい画面のなかに潜む不穏さから感じ取ることができる。

おそらく本作はゴッホ自身が実際に目撃した光景だろうが、それが自身の心象風景と混在している。
いや、もっと正確に言うと、ゴッホはこの光景を本作のように見えていた、ということだろう。
他者から見たら、ほのぼのとしている光景だったのかもしれないのだから。

ゴッホは、自分の感情や心情を風景画に乗せて描いた。
それは「本当」の自然ではないのかもしれない。
しかし、では「本当」の自然とはなんなのだろうか。どこにあるのだろうか。

それに答えを出したのが、リヒターである。

ゲルハルト・リヒター「雲」

雲は刻々とその形を変えていく。
そもそもそれを絵画に写し取る時点で、現実からは離れているのだ。
リヒターはそれを表現するために「雲」を描いた。

リヒターは、自然は人間によって観測されている時点で、「人間の外側」足りえないことを喝破している。
それはつまり、ゴッホから見える自然があれば、リヒターから見える自然もあり、ゴーガンから見える自然もある。
それは、いわゆる心象風景と何も変わらないのだ。

ゴーガンがいくらタヒチ人を「人間の外側」として崇め、そこに美を見出したとしても、それはあくまでゴーガンのなかのタヒチ人でしかなく、まったくもって「ゴーガンの内側」の存在でしかない。
「自分」という観測者から抜け出せない限り、外側を発見することなど、絶対に不可能なのだ。

おわりに

しかし、では、あらゆる「外側」への探求は無意味だということだろうか。
否、そうではない。
むしろ「外側」への探求という不可能性への挑戦こそが、文化も思想もまったく異なる人間に、まったく意図しない形で伝わってしまう可能性を秘めている。

それを東浩紀は「誤配」と呼んだ。
「誤配」とは手紙の郵送ミスのことだ。
伝えようと思った相手に伝わらず、意図していないまったくの部外者に手紙が届いてしまう。

そこには多くの「誤解」も潜んでいる。
ぼくが本記事で書いたセザンヌやゴーガンやゴッホやリヒターの作品論は、もしかしたらとんでもない「誤解」をしているのかもしれない。
本人が本記事を読んだら、自分の作品の意図が全然伝わっていないことに、絶望するかもしれない。

だが、それでも、絵画(特に風景画)に興味を持っていなかったぼくが、noteに長々と考えたことを記事に書いてやろうと思わせるパワーがあったことを、誰も否定できないだろう。

ぼくは多神教の国に生まれ育った、信仰心がまるでない人間だ。
そのため、一神教信者が大好きな「普遍性」なるものを、まったく信じていない。
全人類が共通している思想や文化など存在しない。
あるのは相互の交流と、真似と、誤解である。
そしてそれは、どんどんと意図しない方向に広がる誤配を引き起こしていく。

本記事も、その誤配の一例である。
だが同時に、本記事が誰かの誤配を引き起こしてくれたら嬉しい。

うまく自分の得た感想を書けたかは甚だ心許ないが、とりあえず以上で本記事を締めさせていただければと思う。
きっと本記事の公開後、多くの「あれを書けばよかった」という想いに悩まされるであろうことを覚悟しながら、これにて筆を置くこととする。

ここまで読んでくださった方がいらっしゃるかはわからないが、もしそんな奇特な方がいらしたら、最大限の感謝を捧げようと思う。
本当にありがとうございました。


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