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「すずめの戸締まり」と震災とオタク(by「みのくま独り読書会」#2

はじめに

こんばんは、みのくまです。
今回もTwitterのスペースでお話したことを記事にしますよ。

と言いつつ、かなり改変してしまいました。
もうスペースでお話したことが下敷きになっているのかも不明です(笑)。
スペースで話した内容はこれです。→「すずめの戸締まり」の感想戦(2022/11/21)

では、はりきって本番いってみましょう!

「すずめの戸締まり」感想戦(みのくま独り読書会#2)

導入

はい、それでははじめます。みのくま独り読書会#2。
読書会と銘打ちながら、2回目(実質3回目)にしてもうすでにテーマが本じゃないというね(笑)。
まぁなんか残念なところですけど、さっそくはじめていきます!

観てきた作品は新海誠監督最新作の「すずめの戸締まり」なんですが、ちょっとすごい感動しましたので、もうぜひぜひ語りたいんですよ!

新海誠に関しましては、昔からオタク界隈ではすごい人気のあった作家なんですけれども。
まず、デビュー作の自主映画「ほしのこえ」がすごかったですよね。
3大セカイ系作品のひとつですけど、とにかくそれがめちゃめちゃ話題になって。
それ以降は「雲のむこう、約束の場所」ですとか、「秒速5センチメートル」といった作品がカルト的な人気を獲得していました。

あとは美少女ゲーム「ef」のオープニングムービーでも有名ですよね。
人物は動かずとにかく背景がめっちゃ動くやつ(笑)!
ぼくも「ef」をプレイしたけど、やっぱりすごい綺麗な背景描写と感情を揺さぶる音楽は、のちの「言の葉の庭」や「君の名は。」、「天気の子」といった作品とも共通しますよね〜。

この綺麗な背景描写なんですが、いま観ると「インスタグラム映画」って言っていいんじゃないか、みたいな感じがありますよね。
なんか、スマホのアプリで加工された写真みたいな綺麗さというか。でもこの特徴って新海誠の初期作品からずっと変わらないので、時代が新海誠に追いついてきた感じですよねぇ。

さて、それではぼちぼち最新作「すずめの戸締まり」に関して語っていきたいわけですけど。
なんか、結論から言うと新海誠は色々なものの「終わり」に向かって動き出したんだな、と思いました。

「すずめの戸締まり」が表象した「震災」と「終わり」

「すずめの戸締まり」は何を描こうとしたか、なんですけど、やっぱり一番に思い浮かぶのは「震災」ですよね。
「君の名は。」も「震災」を扱っていましたけど、今回はもっと真に迫っているというか。

まず非常に顕著だったのは、主人公のすずめが日本全国を飛び回るという点だと思うんです。
九州、関西、関東、東北を辿るすずめの足取りは、ぼくにはやっぱり震災跡地を辿っているようにみえました。

そして各地で震災によって住めなくなってしまった場所、その廃墟に残った人々の想いを「戸締まり」するというのは、まさに「終わり」を示唆していますよね。

ちなみに「君の名は。」の震災の表象とも比べてみると、その違いに新海誠の思想の変遷がわかるような気がします。
「君の名は。」は彗星の落下によって村が崩壊するという災害が震災と重ねているわけですが、その対処方法が「すずめの戸締まり」と大きく異なっていることは一目瞭然です。

「君の名は。」では、タイムリープと入れ替わりによって震災から逃れるストーリーになっているわけですが、「すずめの戸締まり」ではまったくそうじゃないんですよね。
震災はすでに起こっていて、大切な人の命が失われたことは決まっているわけです。
そして、その心の傷とどう折り合いをつけるか、というのが一つのテーマになっていました。
ここに「君の名は。」にあった甘美なフィクション、つまり「震災で大切な人の命は失われなかった」という可能性は潰されているわけです。

また、それだけじゃなくて、最近日本列島各地で震度3から4くらいの地震が多いじゃないですか。
なんとなく、この列島に住んでいる人々が無意識に恐れている「次の震災」についても、かなり解像度が高く描かれていたんじゃないかと思います。

だって震災はこの日本列島にかならず来ることはみんなわかっているじゃないですか。
そして、それはかならず誰かの大切な人が亡くなる未来なんですよね。
ふだんはそれをなるべく意識しないようにしていますけど、でもやっぱり無意識で恐れているような、そんな感覚をみんな持っているわけです。

「すずめの戸締まり」では、再三余震みたいな描写が描かれていて、そのときに感じる恐怖と、なんとか意識しないように誤魔化しながら生きていく日常。
あと、だんだんとそういうことに慣れていってしまう肌感覚が、実に見事に描かれていました。

正確ではないですが、たしか作中で「いつかくる災害を、少しでも遅らせることで、少しでも長く平和な時間を作りたい」というようなセリフがありました。
まさにこれからくる「災害=終わり」を見据えて、そこから逃れられない運命を覚悟しながら、でも少しでも「いま」の平和が続くようにと祈るわけです。

震災はひとつの「終わり」を示唆していると言いましたが、「すずめの戸締り」で描かれた「終わり」はそれだけではありません。
やっぱり象徴的だったのは、地方の疲弊でしょう。

先ほども言いましたが、「すずめの戸締まり」は日本全国を巡ります。
そこには多くの地方の内情が描かれます。
廃墟となったショッピングモール、小学校、遊園地。
著しい高齢化と過疎化が生々しく、でも綺麗な風景として描かれています。

そこにははっきりと「終わり」がみえています。
災害と同じように、「いま」の平和が絶対に続かない現実がそこにあって。
でも誰も少子化も貧困化も止められなくて。
ただただ、ぼくたちは「終わり」に対して無力で祈るしかないわけです。

「足/靴」が意味するもの

じゃあ、ぼくたちは絶望するしかないのかといったら、新海誠はそんなこと描いていないわけです。
もう、ぼくにはそれが感動的で感動的でたまりませんでした。

災害もくるし社会全体も暗くなっていくけど、それと同調してぼくたち一人一人が「終わる」わけじゃない。
ここ、とても重要だと思います。

「すずめの戸締まり」はいろいろと象徴的なシーンがあるわけですけど、鍵を閉めるシーンの次くらいに印象に残るシーンがあります。
それは「足/靴」の描写じゃないかと思うんですけど、どうでしょう。

新海誠作品で「足/靴」が中心的なテーマとして扱われたのは「言の葉の庭」だと思いますが、あれは当時から「新海の足フェチ映画」として名高いですよね(苦笑)。
心を病んでしまった高校教師と靴職人を夢見る男子高校生の淡い恋愛映画で、高校教師の足を採寸するシーンは確かに何かを感じるシーンではありました…。

でも、やっぱりそんな簡単な読解では、「すずめの戸締まり」における「足/靴」の描写は理解できないと思います。
新海誠作品において、「足/靴」はとても重要な意味を持たされている、と考えないとダメなんですね。

「すずめの戸締まり」において「足/靴」がクローズアップされるのは、まず映画冒頭の幼いすずめの履いているピンクのコンバースです。
ぬかるみをふらふらと歩くすずめの靴からこの映画ははじまるので、重要でないシーンのはずがないのです。

次に中盤ですずめの靴が脱げてしまい、靴下で路上を歩き、電車に乗るシーンです。
足の裏から血が滲み、とても痛そうで観ているのがつらく、記憶にもしっかり残ってしまっています。

最後はすずめがぶかぶかの男性用ブーツを履き、颯爽と歩いていくシーンです。
これはもう「足フェチ」かどうかなんて邪推する余地がなく、何らかのメッセージ性を感じますよね。

これらのシーンから、ぼくは新海誠作品において「足/靴」は、「独り立ち/大人になる」というメタファーだと確信しました。
まさに「しっかりと一人で歩く」ということでしょうか。

なんかめっちゃ当たり前のことを言っている気がしてきましたので、補足します(汗)。
「独り立ち/大人になる」というのは、アニメ文化の世界では非常に難しい問題なのです。

それは昨年の「シン・エヴァンゲリヲン」を観ればわかります。
1995年から放映が開始された「エヴァンゲリオン」ですが、本作はずっと主人公シンジくんが大人になれない葛藤を描いています。
それが16年の時を経て、ようやく「シン・エヴァ」でシンジくんは大人になることができたのです。

そもそも、アニメとは本来子どものものだったのですから、アニメを観ていること自体が大人になれていないことの証明だった時代があるわけです。
そのようななかで、アニメ文化やオタク文化は育まれていきました。
だからある世代にとっては、アニメで「独り立ち/大人になる」ことを描くことは自己矛盾していることと同じなのです。

でも、今回新海誠ははっきりと「独り立ち/大人になる」ことの大切さを「足/靴」のメタファーを通して、ぼくたち鑑賞者に伝えています。
「エヴァ」をつくった庵野秀明と同じメッセージを、ぼくたちに伝えているのです。

冒頭に話しましたが、新海誠のキャリアはがっつり「オタク文化」と伴走してきています。
美少女ゲームというコアでアングラな世界にも出入りしていたほどですから、それは生粋の「オタク」コンテンツ制作者だったと言っても過言ではないでしょう。

その新海誠が「独り立ち/大人になる」ことを描くわけですから、これは驚きとともに、一時代の終焉を意味していると思います。

おっと、ここにも「終わり」が描かれていましたね。
「オタク文化の終わり」ですね。

締め

まだまだ語りたいことが多いんですが、そろそろお時間なので締めていきたいと思います。
例えば「すずめの戸締まり」では懐メロがたくさん出てくるんですが、注目すべきはユーミンですよね!
ユーミンについても語りたかったんですが、時間がないのと音楽知識がないので語れない(泣)。

ユーミン、というか荒井由実。松任谷由実ではないところが重要ですが(笑)。
宮崎駿が使い、庵野秀明が使い、そして今回新海誠が使っているので、なんかユーミンにはあるんでしょうね。
ユーミンの力ってなんなんだろ、というところはちょっと考えていきたいです。

あとはダイジンについても考えなきゃいけないですよ!
ダイジンがとにかくかわいそうで、あのダイジンの不遇さについては議論したい(笑)。
やっぱり「カワイイもの」だったり「奇形なもの」だったりに対しての感受性は、新海誠は強かったはずなので、あのダイジンの不遇さは説明できなきゃおかしいと思うんですよね。

ということで、まだまだ考えなきゃいけないことが多い「すずめの戸締まり」ですが、今日はこんな感じで締めたいと思います。
ぜひね、みなさんのお考えを聞かせてください。
Twitterでもnoteでも構いませんのでね、コメント等お待ちしております。

それではまたお会いしましょう!
さようなら!

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