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#BlackLivesMatterとドイツのポッドキャストシーン

2020年5月25日にアメリカ合衆国で、警察官が黒人男性ジョージ・フロイドを拘束中に殺害した事件を発端に、BLM(ブラック・ライヴズ・マターBlack Lives Matter=黒人の命は大切だ)運動が再び盛り上がりを見せています*。ドイツでもこの事件は大きく報道され、ポッドキャストシーンでは様々な反応や取り組みが行われています。
この記事では、その中からいくつかのポッドキャスト・エピソードを取り上げ、黒人住民に対する度重なる暴力の問題や、その背景にある人種主義差別**についての議論を、様々な角度から紹介します。

〈"Kanackische Welle"〉

以前、ドイツのポッドキャスト10選でも紹介した、"Kanacke"(特にアラビア語圏やトルコなどの外国にバックグラウンドを持つドイツ人を指す蔑称)の視点からドイツ社会を見るポッドキャスト "Kanackische Welle"。ともにジャーナリストの、マルコム・オーハンウィー(Malcolm Ohanwe)とマルセル・アブラキア(Marcel Aburakia)が早口でまくし立てる、テンポ良い番組で、英語の語彙を多用したドイツ語や、彼らの飾らない率直な言葉が魅力の番組。
ジョージ・フロイドの死をうけて、「ドイツにおける黒人に対する警察の暴力とレイシャル・プロファイリング(Polizeigewalt & Racial Profiling gegen Schwarze in Deutschland)」と題したエピソードを公開した。聴いて何よりも伝わってくるのは、2人の悲痛な怒りだ。
黒人が苦しむことがいかに「普通」のことになっているか。黒人とハグするだけで「反レイシズム的」で「進歩的」だと考える人々がいることは、黒人に唾を吐くのが普通の状態になっていることの裏返しだと指摘する。
レイシャル・プロファイリングの実態も克明に語られる。見た目だけで判断され、「不法移民」の嫌疑をかけられる。自動車を運転中に呼び止められ、薬物取引や飲酒運転を疑われる。拘束された経験を持つ人も多い。

警察が自分を護ってくれるという感覚を生まれて一度も持ったことがない。

という言葉はが胸に刺さる。エピソードの最後、6分半にわたって様々な人の生の声が流れる。身をもって警察の暴力やレイシズムを経験しなければならなかった人々の声には圧倒される。


〈"Alles gesagt?"〉

ドイツを代表する高級週刊紙のオンライン版 "ZEIT ONLINE" と "ZEIT MAGAZIN" のポッドキャスト"Alles gesagt?"(番組についてはドイツのポッドキャスト10選も参照)。両媒体の編集長ヨッヘン・ヴェーグナー(Jochen Wegner)とクリストフ・アーメント(Christoph Amend)が毎回ゲストを迎え、「ゲストが『言うべきことは全て言った(Alles gesagt)』と思うまで」トークを続けるという番組。
今回のゲストはアリス・ハスタースAlice Hasters)。ハスタースはドイツ人の父とアフリカ系アメリカ人の母を持つドイツ人で、1989年生まれのジャーナリスト。このエピソードが収録されたのは5月上旬で、ジョージ・フロイドの死の前であるため、当然フロイドのことは話題に上らない。それだけに、フロイドの死後に様々な人々の間で行われている議論が、ハスタースのような当事者にしてみれば日常の一部であることが浮き彫りになる。
ハスタースは自分のポッドキャスト"Feuer & Brot"も配信しているほか、2019年に著書『白い人々が人種主義について知らないけれど知っておくべきこと(未邦訳, 原題:Was weiße Menschen nicht über Rassismus hören wollen: aber wissen sollten)』を出版した(Hanser Literatur社)。AudibleやSpotifyではオーディオブックとして聴くこともできる。


〈"Das Politikteil"〉

"Das Politikteil"はドイツの週刊紙 "DIE ZEIT" とそのオンライン版 "ZEIT ONLINE" が制作する政治ポッドキャスト。様々なポッドキャストシリーズを制作しているZEITが2020年3月にスタートした新しい番組で、毎週1つのテーマについて、1人のゲストと議論が行われる。
「ドイツはどのくらい人種主義的か?」と題されたこのエピソードでは、"ZEIT"と"ZEIT ONLINE" の調査報道部に所属する、ヤスィーン・ムシャルバーシュ(Yassin Musharbash)がゲストとして呼ばれている。ヨルダン系ドイツ人であるムシャルバーシュは、人種主義についての議論の中で決定的に欠けているのは「自省」だとする。ドイツ社会で人種主義についての議論がなされるとき、もちろんその議論では人種主義が断罪されるわけだが、何かがどのくらい人種主義的か、どの線を超えると許容されないか、といった判断を下すことが自分にはできる、自分は「審判」であり、客観的で独立した「ゼロ」である、という思考の白人の多さにムシャルバーシュは愕然とするのだという。

教養のある白人は全ての物事の尺度である。そしてそういう白人はクールで理性的で、物事を考え抜いており、計画を持っている。というこの思考は、西洋全体に深く浸透した人種主義的な思考様式なのです。

ここでは全ては紹介できないほど、このエピソードでは緻密で包括的な議論がされている。名前は「外国人風」だが外見は「白人にも見える」ムシャルバーシュが体験した差別的な体験、警察組織の内部に存在する人種主義の問題、アラブ系住民による「黒人」差別、極右集団による暴力事件との関連。現状に対して批判的で、しかし希望を捨てていないムシャルバーシュの語り口に勇気をもらえる56分間。

人種主義的であることは、イデオロギーが染み付いたナチであることとイコールではありません。非常に教養があり、政治的にも左派リベラルを自認している人であっても、人種主義的な思考や態度を身につけている可能性はあるのです。


〈"Lakonisch Elegant."〉

ジョージ・フロイドの死をめぐる議論を少し違った角度から捉えているのが、公共ラジオ放送のカルチャー専門チャンネル "Deutschlandfunk Kultur" のポッドキャスト "Lakonisch Elegant."。番組タイトルは「寡黙に、エレガントに」という意味で、若手ジャーナリストが毎週配信している(ドイツのポッドキャスト10選も参照)。
人種主義や差別について議論が繰り広げられる中、議論はしばしば「お互いの言うことに耳を傾ける(zuhören)」ことが大切、ということに落ち着くが、耳を傾けることで十分なのだろうか?という問いに端を発するエピソードである。どうすれば人の話に深く耳を傾けることができるのだろうか?耳を傾けていれば、いつか分かり合えるのだろうか?あるいは「耳を傾ける」という言葉によって、私たちは大切なことを無視してしまっているのではないだろうか?
この問いに答えるため、このエピソードでは "Alles gesagt?" のホストで "ZEIT MAGAZIN" 編集長クリストフ・アーメントと、政治学者でNPO法人 "Center for Intersectional Justice" を創設したエミリア・ロワグ(Emilia Roig)にインタビューし、この問いに迫っている。
マイノリティについての研究をする立場のロワグは、立場の違いを単に「私たちの立場は異なっている」と受け止めることに警鐘を鳴らしている。なぜならば、異なる意見の間には常に権力関係があり、声を聞かれやすい立場の人とそうでない人がいるからだ。支配的な意見に対する共感は生まれやすいが、マイノリティに関してはそうではない。その意味で、「耳を傾ける」ことが大切なのだと、ロワグは言う。

例えば私には障がいがないとして、私は障がいがないことによって生じる快適さへのアクセス[という特権]に気付かないのです。これは人種主義や家父長制についても同じです。(……)だから、耳を傾けるためには、(……)構築され、内面化した特権から自由になる必要があるのです。


〈#BlackLivesMatterをめぐる議論を振り返って〉

記事を構成するにあたり、なるべく多様な立場の人の声が反映されるようなポッドキャストを選んだつもりだ。時間的にジョージ・フロイド事件の前に位置するもの、複数の当事者の受け止め、そしてこの問題だけにとどまらない社会の差別構造そのものに広げて議論をするもの。
その理由は、例えばどの言葉を使うか、という問題ひとつとっても様々な考え方があるからだ。「黒(schwarz/Schwarz)」という単語をどう扱うか、誰が使うべきか(「黒」という単語の頭文字を大文字にして、自らのアイデンティティを他者に規定されないとする人々がいる)。「移民背景を持つ人(Menschen mit Migrationshintergrund)」という言葉を使うか使わないか。「外国人に対する敵意(Ausländerfeindlichkeit)」という表現はどうか(実際この言葉で言い表されるような敵意の矛先となるのは多くの場合「外国人」ではなくドイツ人である)。
今回、日本語で記事を書くにあたり、止むを得ず「黒人」「白人」という言葉を使ったが(主に "schwarze/weiße Menschen" の訳)、これらの言葉を使うのには細心の注意が必要である。ドイツ語を日本語にそのまま訳すことも場合によっては誤解を招く可能性がある。もし不適切な点があれば指摘をしていただきたい。

最後に、「島国」日本もこの問題と無縁では全くない。人種主義差別や、出自が異なる人に対する差別は日常的に行われている。何より、それに気付かないということは特権なのだということをきつく肝に銘じたい。


〈註〉
*:遅くとも2012年に黒人男性が自警団長に撃たれ死亡した事件後には米国でこの言葉が注目され、抗議デモとともに広がった。(朝日新聞
**「人種差別」という単語が一般的に使われているが、現在の科学では存在しないと考えられている、ホモ・サピエンスの亜種としての「人種」があたかも存在するかのような印象を与えるおそれから、この記事では「人種」を生物学的カテゴリーであるかのように扱い、それに基づき差別的な行いに及ぶ一群の差別を「人種主義的差別」と表記する。

カバー写真:Lorie Shaull/Wikipedia (CC BY-SA 2.0)


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