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とあるマトンの話③

前回はこちらから↓

この日は島全体が霞みがかっていたが、快晴だった。
天気がいい日は大体、海の向こう側に内地が見えるのだが、今日は見えなかった。そのおかげもあり、絶海の孤島感を普段より強く感じる朝だった。

いつも通り、羊舎に向かう。

192番には青いブルーシートが被されていた。

不思議と、何も感じなかった。あれだけ毎日葛藤していたくせに、いざ目の前に現実があると何も思わなかった。

そっとブルーシートをめくってみた。

192番は、安らかに眠っている様だった。身体はもう冷たく、硬直しているのであろう、生気はなかった。

「あぁ、死んだんだ」

本当に、それぐらいの気持ちしか出てこなかった。

午前中は、192番の死体を横目に普段の業務を淡々とこなしていった。そしてお昼休憩時、親分から伝達があった。

「埋めるか」

それが何を意味しているかは即座に理解できた。昨日まで確かに生きていた羊を、今から埋葬する。情けなく聞こえるかもしれないが、死体に触れるのは生きてる羊に触れるのとは全然違う。どこか、畏れに近い感情がうまれた。

詳しい事はまだよく分かっていないが、家畜の埋葬には様々な法律がある。それらの基準をクリアする条件は牧場に揃っており、親分は早々に昼ごはんを終えるとショベルに乗り2m以上の穴を掘った。

冷たくなった192番を3人で持ち上げ、ブルドーザーのブレードに乗せ、穴まで運んでいく。

そして、深い穴の中に死体を落とす。僕は特定の宗教を信仰しているわけではないが、自然とその瞬間は両手を合わせていた。

その時だった。親分がショベルの中から指示を出した。

「倉庫の中に冷凍庫があってその中にも何体かいるから全部持ってこい!」

何を言っているのか理解するのに少し時間がかかった。「…マジで?」という気持ちがきっと大きかったんだろうと思う。

先輩に連れられ、倉庫に向かうと浴槽ぐらいのサイズの巨大な業務用の冷凍庫があった。

開けてみると、カチカチに凍った羊が6体ほど、テトリスの様に複雑に詰められていた。マトンもラムもいる。

マトンを取り出すと、まるで剥製の様に綺麗な状態だった。何故か、味わったことのない感動の様な気持ちの昂りを感じた。

そして、全てを出すと僕達の手には死臭が漂っていた。当然だ、凍っているとはいえ触っているのは死体だ。

それらの死体を全て穴の中に落とす。最早、どれが192番かは分からない。

準備が整うと親分がショベルで土を被せていく。

その瞬間、何かが吹っ切れたような感覚を覚えた。恐らく、これから先この仕事を続けていく以上、この光景はきっと何度も見ることになるだろう。

羊飼いという仕事を通して、月並みな言い方だが生命とは何かという事をよく考えていた。確かな答えのない事を考えるのは昔から癖の様なもので、羊飼いという仕事を始めてその答えに対する探究心は強くなってきている。

「なんだ、こんなものか」

心の中でそう呟いた気がする。この日、一歩答えに近づいた様な気がした。

羊は本当に、いろんな事を教えてくれる。きっと彼らが一番気づかせてくれるのは、いかに自分が様々なことに対して無知であるかということだろう。

これからもこの不思議な感覚は自分の頭に残り続けていくと思う。羊飼いという仕事にこれからも真剣に向き合っていこうと決意をした瞬間だった。

3部にわたるお話に付き合っていただきありがとうございました。

このノートは一人前の羊飼いを目指す見習いの日記。

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今日も良い一日を。

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