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とあるマトンの話②

前回はこちらから↓

192番は日に日に痩せていった。
元々、年老いていることもあり、身体は他の羊と比べると小さめではあった。それでも明らかに骨が体に浮き出始めているのが見て分かる。

あれから192番はすっかり僕に懐いてくれた。
毎朝必ず、挨拶の様に鳴き声をあげてくれるし、側に座ると頭を僕の体に擦り付ける様に戯れてくれる。すっかり心を開いてくれている様子に、暖かい気持ちにいつもなった。

確かに日に日に痩せていっているが、怪我はもうかさぶたの様になっており、投薬より栄養をしっかり与えて様子を見る段階に治療も移行しつつある。飼料も栄養剤もしっかり摂ってくれるし、後は192番の自分の脚で立つ気力と体力を養っていく。しかし、羊舎に戻してからまだ一回も自分の脚で立てたことはない。

僕は普段通り、自分の雑務が終わると192番の側に座り、ブラッシングなどをしながら触れ合う時間を設けていた。この日も仕事終わりまで側におり、時間になると「また明日な」と声を掛け、192番も低い鳴き声を返してくれる。最早、いつもの日常のひとコマの様になりつつある。

その晩、従業員みんなで食事をしていた時、牧場の親分が突然口を開いた。

「もうあの羊はダメかもしれんな」

あまり考えたくなかった事を急に突きつけられ、正直動揺は隠せなかった。しかし親分はもう長い年月を羊と過ごし、羊の状態に関する感覚は確かなものがあった。長年、羊を見続けて来たからこそ分かる事がきっとあるのだろう。

親分は話を続ける。

「あの怪我した192番に献身的な世話をしてくれている事は分かっている。だが俺たちが相手をしているのはペットではなく家畜である事を忘れるな。死ぬやつは死ぬ、生き残るやつは生き残る、一頭が死んでもまた新しく産まれてくる一頭もいる。俺にもお気に入りの個体はいるが、飽くまであいつらは商品であり、いずれは肉となり食卓に並ぶ。だから必要以上に情をかけるな。細かな点をずっと気にしていると世話をする側の神経がすり減っていく。そして、思い入れが強くなればなるほど別れの時の精神ダメージは大きくなる。冷たい様に聞こえるかもしれないが、それが家畜の現実だ。それを覚えておけ。」

頭では分かっていたつもりだった。それでも直接言葉になって聞くと動揺はしてしまう。何より自分はまだ見習いの立場であり、親分と比べると羊のことはまるで何も分かっちゃいない。

今まで、感情が理性を飲み込みかけた瞬間は人生の中で幾度となくあった。大体、怒りや悲しみといったネガティブな感情が理性を飲み込み行動に影響が出てしまうケースがほとんどだ。これはきっと、誰にでもある経験だろう。

だが、羊と触れ合うにつれ、今まで味わったことがない感覚におそわれた。それは愛情という、これ以上にきっとないポジティブな感情が理性を飲み込もうとしていることだ。羊たちの可愛らしい姿を見ると感情移入をどれだけしない様に心がけても、どうしても無理だ。日々、この葛藤は強くなっていき、それに対する答えを求めるために羊に触れ合っているのかもしれない。まだ自分の中に確かな答えは見つかっていない。

それでも、今自分ができることは、自分が持っている愛情を羊達にいっぱい捧げることだ。その自分の決意がぶれない様に、毎日全力で世話をする。今すべきことは、きっとそれに違いない。

親分の話があった翌日も、僕は変わらず192番と触れ合った。正直、かなり衰弱している。鳴き声も弱々しくなっていき、骨は身体に浮き出て、自分の脚で立とうという気力はほとんど感じられない。

その日、初めて192番は夕方の飼料を全く食べようとしなかった。前日まで飼料は必ずすぐに平らげ、牧草も食べていた。だがこの日は全く食べようとしなかった。

一晩あればきっと食べてくれるだろう。

僕はそう思い、いつも通り時間ギリギリまで側に座り、いつもの様に「また明日な」と声を掛けて羊舎を後にした。

この日は192番の鳴き声はなかった。

このノートは一人前の羊飼いを目指す見習いの日記。

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今日も良い一日を。

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