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とあるマトンの話①

マトンとは、生後24ヶ月以上の成羊のこと。

僕が働いている羊牧場では、90頭のマトンを草原地で放牧している。
緑豊かな原っぱで、伸び伸びと過ごす羊たちは時たまに怪我をすることがある。

ある日、全く歩けなくなっているマトンを発見した。急いでそのマトンを羊舎へ輸送し、怪我の治療を開始した。

僕が働いてる牧場は、北海道の中でも訪れるハードルが割と高い離島にある。道外から来る場合は、日帰りはまず不可能と思った方がいい。そんな場所で問題なのが獣医を気軽に呼ぶことが出来ないという点である。獣医を呼べないとなると、羊たちのケガは自分達で治す必要がある。

怪我をしたマトンの耳標に書いてある番号は192。10歳の雌。人間の歳に置き換えると、おばあちゃんと呼んでいい年齢だ。年老いたマトンは鳴き声が違う。まるで牛の様な、低く唸るように声をだす。この192番も貫禄がある鳴き声だ。

そんなお婆ちゃん羊である192番の怪我は、左後ろの腿に直径8cm程の丸い形の擦り傷の様なもの。恐らく、カラスに突かれたのか、羊牧場では割とよくある負傷の一つ。既に出血は止まっており、痛々しい様子ながら怪我自体は軽傷の部類に入る印象だ。素人目線の話であるが。

一通りの治療が終わり、数日間様子を見るために羊舎の一区切りを192番専用の飼育場にした。192番は基本、座りっぱなしの様な状態だったが、人が見ていない時に自力で動こうとした形跡を見受けられた。恐らく、身体の向きを変えようとしたのだろう。

全く動けない訳じゃない。その事実は、192番の回復の兆しを感じさせてくれた。それを知った時、嬉しい気持ちが溢れた。

羊は基本的に群れで行動する動物だ。1匹だけ移動させようとしても、人間の思い通りに動いてくれることは少ない。だが、群れを操るように追い詰めると移動させたい方向に誘導はしやすくなる。餌を食べる時ものんびりと過ごす時も、群れで行動をする。

その習性を知っていたからか、僕はどこか192番がずっと1匹で座り込んでいる姿に寂しさを感じていた。自分の雑務が終わったら、なるべく192番の隣に座りブラッシングをしたり、身体をさすったり、可能な限り側にいた。

羊はその愛くるしい姿から、どこか能天気そうなイメージを持たれやすい動物であるが、実際はかなり賢い動物だと思う。人間の顔を覚えるし、感情の表現もとても豊かだ。192番も僕の事を認識してくれる様になり、僕を見かけると低い声を絞り出し挨拶をしてくれる。本当に少しずつだが、信頼関係を築けていってる様な気がした。

この192番との交流を通じ、僕は羊飼いとして大事な事を多く学ぶことになる。

このノートは、一人前の羊飼いを目指す見習いの日記。

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それでは、今日もいい一日を。

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