見出し画像

ミラクルハンド

就職が決まり一か月後に引っ越しを控えたある日、私は下着専門店に行くことになってしまった。
化粧品のメーカーで働いていたおばに誘われて断り切れず、連行されることになってしまったのである。

「下着なんていいよ、はまったらそれでいいし。」

下着は三枚いくらのものを選ぶ……いや、与えられるのが常だった。
幼いころから、それが私の常識だったのだ。
やけに厳格な家族は華美な下着を一切許さず、いい大人になっても従い続けていたのだな。

「ダメダメ!!一回ちゃんと専門家に見てもらって、一枚でいいからちゃんとしたの買っときなさい!」

おばは祖母の姉の娘で、当時としてはやや珍しい、ワーキングレディの走り…トップにいるような人であった。

独身でバリバリ働いていて、母親…私の祖母の姉にあたる人の経営している飲み屋に毎週顔を出していた。
私の祖母も毎週のように姉の店に顔を出し、酔っ払うと酒のつまみと称して孫である私の話をしていた。

どうやら、そこで祖母が声高々に私のダサさを自慢していたらしいのだな。
それを聞いたおばは、私に憐れみを感じて、施しをしたくなったようだった。


「いらっしゃいませ~!お待ちしておりましたん♪」
「行平さん!前言ってた……この子ね!あたし出すから、サイズ測ってボディースーツ選んであげて!」

全体的にピンク色の、ずいぶんゴージャスなレースが溢れたお店に完全にしり込みした私は、ふと目を止めた下着の値段に驚いた。

「さ、三万円?!無理、おばちゃん、私こんな高いの買えないよ、ばあさんに殺される!!!」

2980円のカバンを買った時ですら、こんな高いもんを子供が持つなんてと言われて没収されてしまったくらいだ。三万円の下着を買ったなんてことがバレたら……通帳没収どころか人肉としてどこかの団体に切り売りされそうだった。

「姉ちゃんには話してあるから!あたしがあーちゃんに買ってあげるの、もらってくれないと困る!!!」

おばは私の祖母の事を姉ちゃんと呼んでいた。祖母は姉と12歳離れていたから、おばにおばさん呼ばわりされることを嫌っていたのだ。

「でも、もらったところで、たぶんばあさんは奪ってっちゃうと思うよ……。」

私の祖母は、それはそれはゴージャスな下着を好んで身に着けていた。
人には地味な下着を着せていたが、自分はとことん派手で上質なものを好んで身に着けていたのだ。
新しい下着が発売されたと聞いては購入し、一万円越えの下着を何枚も持っていて、試着会を家で開いては、30年前から1cmも変わっていないという自慢のプロポーションを披露していた。
毎回これはいくらで買っただの、どこぞのデパートで買っただの聞かされてはいたが、三万円越えの下着など、見たことがない。値段を知ったらおそらく、うばわれるであろうことは容易に想像できた。

「サイズが全然違うでしょ!!150センチのばばあと165センチの肉弾女子なんだよ?!」
「でも、私のセーター着て旅行行っちゃったし、デニムもいつの間にか取られちゃったし。」

サイズ違いなんて祖母はまるで気にしないのだ。
若い子のファッションは積極的に取り入れたくて仕方がないのだ。
バイト代で買った服の半分は、祖母に持って行かれてしまうのが常だったのだ。

「わかった、じゃあ、引っ越し先に送ってあげる、ならいいでしょ?就職祝いなんだから、遠慮しないで、ね!!!」

ここまで言われてしまっては、無下にすることができない。どうしたものかと、黙り込んだのだが。

「……あんたもう社会人になるんでしょう、スーパーで買うような下着なんかダメだよ。姉ちゃんの笑い話になるような生活、もう辞めないと。……ね?」
「あのね、うちの商品はちょっと高いと思うかもだけど、一枚ちゃんとしたのを持っておくと、本当に助かるから、ね?」

おばとお店のお姉さん、二人がかりで追い込まれて、私は下着専門店へと、入ることになったのだ。

店内に入って、フィッティングルームでサイズを測ってもらった。
まっすぐ立っているだけではなく、前傾姿勢になったりしてポーズを変えつつ、体中のあらゆるところを計測された。

「今後はね、このサイズの下着を買ってね!」

どうやら私はサイズの合わない下着を着けていたらしかった。
見たことの無いアルファベットと数字に、驚いた。

「ボディースーツはね、全身のお肉をかき集めて胸に持って行くの、だからさらに胸が大きくなるから、このサイズになるよ、今から試着するからね。」

お姉さんに促され、ボディースーツなるものに初めて触れた。

「いい?今から下から肉を持ち上げるようなイメージで、どんどん胸の位置に持って行くからね!」

お姉さんの手が、私のからだ中に散らばったぜい肉を、胸という一部に無理やり持ってくる。

「あのね、脂肪は自分の居場所をわかってないの、だから、あんたの位置はここですよって教え込んであげて!そうすると、脂肪が胸の位置にいていいんだって思うようになって、結果としてサイズアップするんだよ!だから、週に一回は絶対にこのボディースーツを着て、お肉に自分の位置をきっちり叩き込んでね!!」

やけに伸縮感にあふれた小さな布切れは、実にこう、私の緩みきった体を締め上げ……たるんだ肉が、胸のあたりにこう、集まってきてですね。

……何これ、ものすごい技術だ、もしかして魔法なんじゃないのか。

お姉さんの手の平は、信じられない富士山を構築し―――!!!

「うっ……、スカートが、緩い……胸が、キツイ気がする……。」

全身のサイズが目まぐるしく変化し、驚きを隠せなかったのだな、私は。

「胸の肉がウエストまで垂れ下がってたんだよ、今後は正しく下着をつけて、ちゃんとプロポーション維持してね?」
「もうさ、その綿の下着はあっち行ったら全部捨てなよ。あたし買ってあげるからさ。」

……おばからプレゼントしてもらった下着は、お値段に恥じないしっかりとしたお品で、ずいぶん長いこと愛用させていただいた。

入社式にも、結婚式にも、パーティーにも、葬式にも着てったっけなあ……。
ボディスーツは、娘を産んだあたりで経年劣化で裂けてしまったのだなあ……。

長年の感謝をこめて、丁寧に廃棄させていただいて以来、矯正下着の類いは購入していない。

あの時躊躇しながら入店したお店は、もうずいぶん前になくなってしまったのだ。

そのせいなのか、私の体中のお肉は、いなければいけない場所から自由気ままに出張し始め、あらゆるところに点在するようになりましてですね。

もはや、一か所に集める事すら難しい状況がですね。

集めきれないほどの肉が全身にあふれかえっておりましてですね。

もう、ボディースーツでどうにかなる範疇を完全に超えておりましてですね。

あの時のお姉さんのミラクルハンドがあったら、ひょっとしたら、なんとかなるのかもしれないけれど、ねえ……。

……無い物ねだりをする年でもあるまいて。

私は肉の飛び散った体を包むべく、三枚いくらの下着に手を伸ばしたのであった。


相当高かったけど、相当長い期間使う事ができたんですよ。
私が値段の高いものを買いがちなのは、この一件があったことがかなり影響しています。消耗品は安くていいけど、良いものを買って長く使う事も必要だと思うタイプです。


↓【小説家になろう】で毎日短編小説作品(新作)を投稿しています↓ https://mypage.syosetu.com/874484/ ↓【note】で毎日自作品の紹介を投稿しています↓ https://note.com/takasaba/