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ナイチンゲールの足場から〝いま〟の わたしたちを見たら(18)


【第3章】 生活を整える 

13:観察 Observation of the Sick


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もしあなたが観察の習慣を身につけられないのであれば、看護師になることを諦めたほうがよいであろう。なぜなら、たとえあなたがどんなに
親切で熱心であるにしても、看護はあなたの天職ではないからである。


〜あなたの意見ではなく、あなたの伝える事実が意味を持つ〜

ナイチンゲールは『看護覚え書』の最終章でこれまで述べてきたことをまとめるかたちで観察について述べています。各項目で述べた看護であることを成り立たせる基本として観察することを位置付け、その重要性について説明しています。「看護に求められるのは献身の精神ではなく観察力である」とまで言い切るナイチンゲールの考えとはなんでしょうか。

ナイチンゲールは「良い看護というものは、あらゆる病気に共通するこまごましたこと、および一人ひとりの病人に固有のこまごましたことを観察すること、ただこれだけで成り立っているのである」と言います。観察とは何でしょうか。患者の状態や様子を探ることではないのでしょうか。ナイチンゲールは観察とは「真実を述べること」だとします。「真実を述べる」とは観察することで得られた情報を事実として伝えることです。ナイチンゲールは一見、事実として伝えられた情報の多くに「その人の考え方や意見が入り込んでいる」と指摘します。

〝事実〟が〝事実でない〟理由とはなんでしょうか。ナイチンゲールは「単純な観察不足」と「複雑な観察不足」の2つをあげます。前者は観察そのものの不足ですが、後者は観察の不足を補おうと想像力が入り込んでいます。その人の考え方やものの見方が反映されています。それは意見であり、事実ではありません。意見はここでは求められていません。観察により事実を引き出すことは想像しているよりはるかに難しいことです。事実を正確に伝えているか、自分の意見が入り込んでいないかを常に意識して、「真実を述べること」に努めなければなりません。


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自分の頭で考えているか。

新型コロナウイルス感染症が〝with(ある)〟世の中はどんなでしょうか。どんなふうに考え、どんなふうにつくっていくのでしょうか。一人ひとりが考え、みんなでつくっていくことに間違いはありません。出発点に立つにはこれまでのことを整理し、意見と事実に分けることが必要です。事実と思っていたことにある人の考えや自分のものの見方が反映されていることが多いからです。

観察は看護だけに必要な力ではありません。どんなことに取り組むときにも事実を正確に捉えることは大切です。事実を間違って捉えてしまうと、そこから積み上げるものが違う意味を持ったり、あらぬ方向を向いたりして、正しい目的地に向かうどころか、途中で道に迷ってしまうことになります。観察をして、事実を導き出すことに、もっと注意を注がなければなりません。

自分の頭で考えるとは、事実を導き出した後のことです。情報を集め、事実を導き出すことは考えることにはならないからです。勘違いをしやすいところかもしれません。情報にあたるだけで〝考えている〟と思い込んでしまいがちです。自分の頭で考えるとは観察によって「真実を述べる」ことができた後です。情報の渦のなかで自分を見失うことがないように、しっかりと意見と事実を見極める習慣を身につけたいものです。


ひとりでも多くの人にナイチンゲールが言う「生活を整える」ことの大切さを伝えたい…、そんな願いからnoteで発表することにしました。本記事は一般社団法人チーム医療フォーラムの季刊誌『ツ・ナ・ガ・ル』35号(2020年6月発行)の特集記事を転載したものです。ほぼ毎日「1章」か「1節」ずつ記事を掲載していきます(下記の目次をご参照ください)。

※本記事は以下に記載した文献を出典とし、参考にしています。 看護覚え書 フロレンス ナイチンゲール (著) 現代社、新版 ナイチンゲール看護論・入門 金井一薫(著) 現代社 白鳳選書、ナイチンゲール言葉集 現代社 白鳳選書、ナイチンゲールの『看護覚え書』金井一薫(著) 西東社、看護覚え書きフロレンス ナイティンゲール (著) 日本看護協会出版会、フロレンス・ナイチンゲールの生涯 宮本百合子 (著) Kindle版、他。
・記事監修:秋山和宏(医学博士、東葛クリニックみらい院長)


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