絶望的な世界を私は変えることができない。〜マーキュリーファーを観た率直な感想〜

ストーリー
ボロボロの部屋に兄弟がやって来る。パーティの準備にかかるが、そこに1人の男が突然顔を出し、「バタフライ」が欲しいので手伝うと言う。しばらくするとローラと呼ばれる美しい人物が現れる。そしてもう1人、このパーティの首謀者らしき男と謎の婦人がやって来る。彼らはパーティのためにそれぞれの役割を、異常なほどの饒舌な会話を交わしながら行う。やがて、パーティゲストがやってきて、パーティプレゼントが用意されるのだが、パーティプレゼントの異変により、パーティは思わぬ展開に…

《https://setagaya-pt.jp/performances/202201mercuryfur.html より》

言葉にならない感情
座席に縛り付けられたかのように体が重い
この舞台を見てから、しばらく眠れない夜が続いた。


良い悪いとか、おもしろいつまらないとか、
そういう次元ではなかった。
ただ、人間の歴史の中で起こっていた、
あるいは今もどこかで起こっているかもしれないむごい光景を観客は傍観することしかできない。

正直、推し俳優が出てなきゃこんな暗い舞台絶対に見ないけど、目を逸らしたい現実を突きつけられて、無視することはできなかった。

直接的なシーンこそなくても、かなりグロテスクだった....。舞台からは見えない別部屋で"パーティ"が行われるシーン、ドアの向こうから轟音と悲鳴だけが聞こえる。ドアから出てくる人達は返り血を浴びている。

地獄よりも地獄絵図なこの舞台上では、絶対に起こるな、と思うことが全て起こる。いくらフィクションでももうやめてと思うが、もちろん観客は止めることなんてできない。傍観することしかできない。それはこの劇場という空間でも、この空間を出たあとでも同じだ。私はこの残酷な世界を変えることはできない。

絶望、悲しさ、怒り、でもない、今までに感じたことのないとてつもなく大きな負の感情が渦巻いた。

マーキュリーファーの世界には過去にも未来にも希望がない。混沌とした世界の中で、兄弟たちが文字通り手段を選ばず生き抜く様が描かれる。「弟をこの手で殺すことを考えるとホッとする」と語っていたエリオット、本当に辛かった...。


イタリアの「シシリアン・ゴースト・ストーリー」という映画がある。
こちらも実際のむごい事件を基にファンタジーを織り交ぜたあまりにも残酷な物語だ。
作品としてつまらないとしても、実話だと知ったら、その瞬間に生まれる視聴者としての責任。
最後まで見ることがせめてもの弔いなのだと思う。

マーキュリーファーでも、その救いようのない展開にこの映画と同じものを感じた。

現代の日本で生活していると想像もしないような凄惨なこと。
自分の身にも起こりうる可能性が0ではないとしても、関係ないと思いたいし、考えたくもない題材だった。

演者はこの劇を長期間演じる負担は大きかっただろう。観客の私は一生で1度見るのもキツいくらいなのに、1日2回もこれを当事者として演じている役者の皆さんには心からのねぎらいと拍手を送りたい。
吉沢さんの圧倒的な重い演技力には身体中が熱くなったし、北村匠海くんの舞台デビューを見届けられたことは嬉しく思う。

見てよかったとも、 見なけりゃよかったとも思わない。ただ、マーキュリーファーは私の中に強烈なトラウマを残した、一生忘れられない作品となった。

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