傍観者である限り溶け込めない。

今年は学年全体を授業で受け持つことが

できるようになったこともあって、

新年度が始まってから1ヶ月が経つけど、

前年度ほぼ接点の無かった生徒たちも

大分自分のことを認識してくれるように

なってきた感じがある。

今の学年の子たちは休み時間の動きが

結構激しくて、精神年齢が低いから

小学生みたいに走り回ったりとか、

連結ごっこみたいなことをしてたり

する光景は至って普通。そうやって

楽しいことにばかり気が行っちゃうから

なかなか時間を意識した行動が出来なくて

始業のチャイムが鳴る2,3分前くらいには

自分も含めて学年の職員何人かで

そろそろ教室に戻るよう声かけしないと

スムーズに授業が始められない。

1年生の時はまだそれでも良かったけど、

2年生になった今もそんな様子だから

そこは本当に困っているところ。

自分は去年のクラスの時から、休み時間に

ある程度見張りをしていないと子どもたちの

動きが悪くなってしまうと認識してたから

今年はそこまで手の掛からないクラスとは

いえ同じスタイルでやってる。そして

適度に廊下に顔を出してアホみたいに

騒いでる連中にちょっかいをかけたり

するんだけど、そうやって自分が

幼い連中と同じ目線で遊んであげること

によって「この人は遊んでくれる」って

認識に変わって何だかんだ慕ってくれたり

するっていうことにようやく気づいた。

去年は関わりの幅が狭かったけど、それが

広がったことと、去年から続いて自分が

ちょっかいを出している生徒の交流が

さらに深まったことによってお互いの

関係の幅に変化が見られてる。

他にも「教室に戻りなさい」と声かけを

している職員はいるけど、時に彼らと

同じテンションで遊びに付き合っている

自分の言うことの方が案外スムーズに

動いてくれる気はしてる。

これこそ前年度からの働きかけの成果

なのかもしれない。

相変わらず主任は子どもらを眺めている

だけで何もしていないけど、そんなこと

してるからいつまで経っても子どもたち

と一定の距離感でしかいられないんだよ。

その年代ごとに子どもたちのカラーは

違ってくる。今担当している子たちは

自分が見てきた歴代の卒業生たちと

比べても圧倒的に幼い。考えている

ことも、行動面も。自分も結局のところ

クソガキ要素が抜けきれない部分が

あるわけで。でもそのちょっと大人げ

ない部分が残っているからこそ、彼らと

違和感なく付き合えるっていうメリットが

ある。年を重ねても、枯らしちゃいけない

感覚があるんだなって思う。


クラスで世話の焼ける生徒が今週は

何回か学年職員に注意を受ける場面が

あって、その時の彼の様子がどうも

おかしかった。言い方が悪いけど、

完全に逝っちゃってる感じ。

何とか自分が本人と話をして気持ちを

落ち着かせることが出来るけど、不思議な

もんで担任である自分が結構厳しい指摘を

した時は案外普通なのに、何故か他の職員の

注意だと変なスイッチが入ってしまうような

気がする。おそらく自分の伝え方が

彼にとっては丁度良かったりするのかも

しれないけど、かといって他の職員の

伝え方が悪いかどうかって言うのは正直

微妙なところ。いろいろ謎の多い子だけど、

今後もしっかり見ていってあげないと

いけない。去年の担任が、「自分には

ここまでできなかった。」と悔しがる

くらいの状態を作ってやる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?