見出し画像

26歳で漫画家を諦めた女が、34歳で突然漫画の仕事をすることになった話

まず初めに、こちらの記事は下記の「東京ネームタンク」様の記事を受けて、自分の体験を語りたくなったものです。

東京ネームタンク様の読んでからだと、より分かりやすいかと思います。

また、全体的に鬱々とした話になるので、精神的に弱い方は読まないほうがいいかもしれません。

▼漫画家の夢を諦めるべきか(質問編)
https://note.com/nametank/n/nc20e52994d68
▼漫画家の夢を諦めるべきか(回答編)
https://note.com/nametank/n/nc20e52994d68


▼私が漫画家を目指していた頃

「漫画家を諦めるべきか」という質問が、東京ネームタンクさんに寄せられた。

「漫画家を諦めるべきか」

この問題にぶつかった人は多くいると思う。
自分も、10代から26歳まで、ずっとこの問題と向かっていた。

実は、私の投稿歴はあまり多くない。
2回。2回しかない。

ネームはたくさん描いたが、原稿として仕上げたものは、この2作品しかない。そのくらい漫画を描いていなかった。

いや、描けなかった。
生活のために働きながら描くための体力も精神も、私には無かったからだ。まあ、一言で言うと、体も精神も壊れた。

1度目の投稿から5年後くらいの、26歳の時に「これで受賞できなかったら漫画家を諦めよう」と決めて、かなり力を入れた作品を投稿した。

結果はAクラスだった。

Aクラスと言われて、ぴんとくる人もぴんとこない人もいると思うので、出版社から帰ってきた原稿と別紙の書評に書いてあった言葉を借りると

「あと一歩で賞が貰えるクラス」

になる。

あと一歩、今聞くともうちょい頑張れば行けたのでは? と思ってしまうが、当時は絶望して「もう漫画は諦めよう」となった。

そのころには双極性障害を発症していた。


▼漫画家を諦めてからの話

高校を卒業してからずっとフリーターだった。
色んな職種を経験して漫画に活かすつもりだった。

もちろん経験は、漫画以外のことにも役に立ったが、もうフリーターでいる理由も失くなってしまったので、30歳を越えて就職することにした。

給料や業務内容より、休日数を最優先に決めた。

特に誰とも仲良くもせず、静かに黙々と働いた。苦しくはなかったが、楽しくもなかった。まだ学生だった頃に思い描いた「1番なりなくない未来」だった。

それなりに上手くいっていたが、家庭内の不和により体調と精神が悪化し、辞めることになった。

職場の事務の人が親切に「傷病手当金」というものの手続きをしてくれた。

これと失業保険で、2年半食いつないだ。


▼転機となったのは職業訓練

失業保険の手続きでハローワークに通っていたときに「DTPデザイン」の職業訓練生を募集しているのを見つけた。

「絵が描ける=デザインができる」という田舎の謎思考により、町内チラシなどのデザインをさせられていたので、興味がわいた。

後に聞いたが、年に2回しか募集しておらず、人気も高いとのことだったので、入れたのは本当に運が良かった。

職業訓練に入れたことで、失業保険が貰える期間が延びた。
授業では、デザインのことよりもソフトの使い方が主だった。多少の心得があるお陰で、大分楽だった。

職業訓練が終わる前に、先生からデザイン専門の派遣会社があることをきいて、取りあえずそこに登録することにした。派遣会社には高卒以来お世話になりっぱなしである。

そこで半年ほどデザイン会社やデザイン部門に派遣され、デザインばかりをしていた。

漫画を必死に描いていたときより、切迫感がなくて楽しかった。

経営不振による部門縮小にともない、契約が切れた。

そこで、より自分の精神と体力に合わせて働けるように、独立することを選んだ。実務経験半年なのに。


▼デザイン事務所設立

取りあえずフリーランスというか自営業というか、事務所的なものを立ち上げた。

といっても、自室に新しいパソコンを置いただけ。

仕事は時々くる地元のチラシやWebバナー。それだけでは足りないので、クラウドソーシングを始めた。

そこはデザインの仕事で溢れていた。

毎日いくつものコンペがあり、デザイナーを探している企業が大勢あった。

最初は受かりそうなコンペをちまちまと受けて、小銭と信頼を貯めていった。

そこそこ慣れてきたときに、ふと「漫画制作」の文字を見つけた。YouTube漫画動画や、広告漫画の仕事だった。

漫画を描くことは久しくしていなかったが、1ページや動画用ならなんとかなるのではと思い、応募して、受かってしまった。


▼今は漫画を描く時間のほうが長い

気づけば、デザインの仕事よりも、漫画の仕事が多くなっていた。

漫画で収入を得たのだから、と肩書きに「漫画家」を付け加えた。

26歳で諦めたはずなのに、思っていた形とは違うが漫画家になってしまった。不思議な気持ちだ。

あまりにも唐突になってしまったので、これからどうしたいかも決まっていない。まだしばらく、決まらないと思う。


▼こんな奴がいることも覚えておいて欲しい

自分は漫画家を諦めたが、いつしか漫画家になっていた。

なぜなら、自分のできる仕事に「漫画を描く」があり、「漫画を描いて欲しい企業」がいたからである。

最初の東京ネームタンク様の記事に戻るが、おそらく質問者のいう「漫画家」とは違う漫画家だとは思う。

雑誌に載ったり、本を出したわけではない。
なんならストーリーすら考えていない。

でもこの漫画で、広告を飛ばさず読んでもらえて、一つでも多く商品が売れたら、嬉しいなぁと思って、漫画を描いている。

こんな奴がいることも、知っていて損はないと思ったので筆をとった。


ちなみに漫画家なのにエッセイ漫画にしなかったのは、エッセイ漫画を描くのが苦手なのと、金にならない漫画を描くのが面倒だったからである。

サポートいただけたら大変励みになります!