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留学最終東欧旅行記①ケルン→ベルリン編


イタリア旅行記も未完成かつ早くも半年経とうとしていますが、最近のこちらの旅行を先に書こうと思います。なあなあに終わらせようと思ったら、嬉しいことに友達がオーストラリア旅行記を気に入ってくれていて、催促されたわけです。

これは、私の半年間のハイデルベルク留学のフィナーレを飾る10日間の話。

8月29日
7時28分の電車に乗って大好きなりんと一緒にケルンを再び旅行した話から。

前日はハイデルベルクのいつメン4人で丸ちゃんちに集まり、最後の晩餐会を開いた。それはもう幸せな時間だったのだけど、帰り際の丸ちゃんから不穏な空気を感じていた。
「明日の朝早すぎるし、ちょっと頭痛がするから、行かないかも」
は????大事な友達の私が去るんだが。

こういうときの丸はマジで来ない可能性があるのですごく焦った。なんせミュンヘンの時がそうだったから。さすがに今回はそれでも来るだろうという期待はしていたけれど、終電が来たときのハグがあまりに力強かったのが不安で不安で仕方なかった。

夜はりんの家に荷物を置きつつ泊まらせてもらって、翌日の朝早くから来てくれる友達一人ひとりに手紙を書いた。丸にも直接渡せることを願いながら。あつき、トニー、かずま、丸、そしてエリアス。ここまで涙ぐみながら書いたところで、時刻は3時半。睡魔に限界まで襲われていたので、りんにはケルン行きの電車の中で手紙を書くことにした。まあ直前に始めるのも悪かったんだけど、実感がなかったからさ。
そして、丸には6時半Mauer発でも見送りに十分間に合うことを証明すべく、時刻表の写真を送っておいた。

睡眠時間は1時間、5時に起床していったん家に戻る。洗濯物の最終確認、部屋の指差し確認を終えて、ゴミも出して、空っぽになった部屋の中を見回す。どうせ半年しかいないし人に返す部屋だからと、かわいいインテリアなど全く置かず殺風景だった部屋が、シーツも壁のカレンダーすらもなくなって、真っ白に残っていた。同居人を起こさないように静かに鍵をかけて、重い階段を引きずって騒がしく3階から降りる。多分この時から荷物は25㎏くらいあっただろう。でもむしろ半年分の荷物をこのスーツケースとリュックだけで持って帰るなんて寂しいものだ、と思った。他の友達はスーツケース2個とかで帰っているのにな。思い出が少ない人みたいで少し嫌だった。
ただ私にはこの後ヨーロッパ周遊旅行が待ち構えているから、そんなことは言っていられないのだ。

7時11分、24番のトラムでハイデルベルクHbfに到着。この道中、りんには丸が現れないかもしれない不安をこぼしていた。一方でメッセージの既読が着いているのも確認し、淡い期待も抱いていた。それでも7割くらい、来ないだろうと考えていた…が、駅について最初に私たちを見つけて近づいてきてくれたのは、このツンデレボーイだった。私が駆け寄り、話をしていると次々と友達が集まってくれた。エリアスはすぐ日本に留学に来るので、いつも通りの気楽さだった(に見せていたのかもしれない)。それでも奈良だから遠いし、毎日のように集まれなくなるのが私にとっては何よりも寂しい。だから問題大アリなんだけど、私は彼のこの楽観ぶりに救われていたと思う。

早起きして来てくれてありがとな!大好きメン


無事全員に手紙を渡して記念撮影をしたあたりで、電車が皮肉にも今日は定刻通りに到着した。なんでこう都合の悪いように運行するんだ、このDBは。
丸とエリはどれだけ促しても来なかったけれど、あつきとトニー、かずまがマンハイムまで一緒に乗ってきてくれた。トニーに「夢の終わりだね」と言われて、本当に夢のように楽しい半年だったなあ、終わらせたくないなあとしみじみ。次に会うときは全員ではないし、それはすぐ先のことでもない。分かってはいるけど、でもやっぱり実感が湧かなかった。マンハイムで3人が降りた後も停車時間は長くて、しばらく手を振ったり変顔したりしていた。それはいつもの別れと同じようで、本当に明日にでもすぐまた会えるような気持ちだった。
みんみんを見送った時もそうだったけれど、それはもう彼ら大切な友達を心の中で生かすことができているからかもしれない。

りんと二人になってから、りんは昨日の寝不足を解消すべく仮眠を取り、その間私はりんに手紙を書くことにした。でもやっぱりりんとまた半年会えなくなるというのも、正直よく分からない感じだった。たった半年の付き合いでも、留学前から連絡を取り、語学クラスを常に隣で受け、メンザでもトラムの中でもしゃべり続け、同じ寮に一緒に帰ってきたりんはもう私の大学生活に欠かせない存在になっていた。留学という環境も大きく手伝って、何でも頼ったり、楽しいことには何でも誘ってみようと思える友達は初めてだった。そのりんが、最後の最後まで私と一緒にいようとしてくれて、5時間電車に乗ってケルンまで来てくれる。こんなにも嬉しい出会いはなかった。(これを書きながら目から汗が…)
りんへの感謝と敬愛の気持ちは手紙一枚ではとうてい足りないのだが、小さな字で埋め尽くしたところで終わりにした。
りんからは緑の封筒の中に、猫の折り紙とメッセージカード、そしてハイデルベルクのポストカードをもらった。昨夜私が手紙を書いている横で「急いで折り紙作ってる!」と一緒に起きていてくれていたのだ。なんのこっちゃ、午前2時に冷製トマトパスタは食べ始めるしおもしれ―女、と思っていたら私宛てだった。
メッセージカードに書かれていた内容は、今朝電車の中でりんが直接私に話してくれたことだったのが面白かった。最後に伝えたいと思って書いた言葉は、口からも出てくるらしい。私も手紙を書きながら内容と同じことをりんに話してるなーと感じていたから。だからメッセージカードは泣かずに読めたけど、りんのセンスには脱帽。ポストカードを見た瞬間、

涙があふれだしてきた。

友達は日本に来る予定があるから会えるけれど、ハイデルベルクで、大学生として、みんな揃って過ごす時間はもう戻ってこない。美しいハイデルベルクの街を、この半年間と同じ気持ちで眺めることはもうない。それがどうしようもなく寂しかった。
電車の中で何度も半泣きになり、その度にりんにからかわれて抑えていたけれど、この時は泣かざるをえなかった。
どうやって気持ちを切り替えたかは覚えていない。多分、乗り換えのおかげだ。今は最後のりんとのケルン観光を楽しもうと思った。タイムリミットは日本から来てくれた友達と合流する15時30分。

前回6月にケルンに来たときの思い出を話しながら、最初
は前回のリベンジで今回こそ大聖堂の上にのぼろうということになった。相変わらず駅の真ん前の大聖堂は堂々と立っていて美しかった。その側面へ続く階段の前にストリートアートを描いている人がいて、前回は同じやつ正面でやってたよね、場所かえてずっとやってるんだね、とか言って笑う。限られた短い時間でいろいろなところに行きたかったから、同じ都市に2度目来るのは初めてだった。まして同じ友達と来ると、前回の話もできて面白かった。前回上れなかったのは入り口が分からなかったからなのだけど、今回も場所が分からなくて苦戦した。でも今回は聖堂の中で記念撮影をすることに成功した。

なんとかケルン大聖堂の塔に続く階段を上り始めようというところで、反対から降りてくる日本人の集団がいるなと思った。ふと顔を見たら、この後合流予定の友達4,5人の顔!!!思わず「オイオイオイオイ!!!!」と叫んでしまった。この後感動の再会を果たすつもりだったのに、こんな意外な出会い方、聞いてねえよ。
りんもいたし、狭い階段の途中だったので、みんな髪の毛明るいな~と思いながら「後でね」とすれ違う。
更に少し上ると、後半組の数人ともすれ違い、軽い挨拶を交わして別れる。あえて軽く挨拶してしまったけど、内心ドキドキだった。友達が、マジでケルンにいる!!

面白いと思いつつ、階段を上り続けていくとそれどころではなくなってきた。長い。500段超えの螺旋階段を、もう到着かなと思ったくらいですれ違った紳士に「あと半分だよ」と言われてがっかりする。でも、階段の途中の小窓からゴシック建築が細かいところまで見られたので、上る価値は十分にある。やっと上に着いた頃には二人とも汗だくだった。上着を脱いで水を飲んで、ゆっくり展望コースを回る。前回訪れたチョコレート博物館を見つけて嬉しくなる。この大聖堂以外にも多くの教会があることに気付いたり、意外とケルンが都会であることを発見したり。もちろんライン川沿いのこの町も良かったけど、ネッカー川沿いのハイデルベルクを城や哲学者の道から見たときの景色に敵うはずがなかった。ポストカードをもらった直後だったので、念願のケルン大聖堂に上ってもなおハイデルベルクシックを発症する。
階段を降りるときは肉体的には楽だったけど、ゲシュタルト崩壊を起こしそうになった。上ってきた人に「もう半分来た?」と聞かれて、りんは「まだ」と答えていたけれど、私はもう何が何だか分からなくなっていた。

途中鐘も見て大満足で地上にたどり着くと、もう時間があまりなくなっていた。そこで我々はケルンの一番の目的と言っても過言ではない、Mett(豚の生ひき肉)を食べることにした。前回はReweで済ませてしまったので、今度こそお店で食べたいということで少し遠出。前回Mettをストーリーに載せたときエリアスが「Digger」と言っていたけど、その時は彼がベジタリアンなんて知らなかったよね、とかそんなことを話しながら。店の前でお目当てがあるか確認していると、テラス席に座っていたおじさんがメニューを見せてくれた。お礼を言って店内に入ると今度はお客さんの1人であろうおじいさんがテーブルに案内してくれる。地元の人が集まるお店という感じで、ドイツらしい雰囲気とお客さんとの写真が壁に埋め尽くされた賑やかな内装だった。多分ドイツ語を話せていなかったら、ただの観光客としてだったら、びびって入るのをやめていただろう。Mettだけを注文して席に着くと、他のお客さんがみんなビールを注文していることに気付く。でも今日はこのあと8人を引率しないといけないから、酔っていられないのだ。
注文が届いて写真を撮っていると、隣の席のおばさんが写真を撮ろうか、と英語で声をかけてくれた。気遣いに感動しながらお願いし、食べようとすると、さっき案内してくれたおじいさんが近づいてきて、卓上の塩とこしょうをかけて食べなさいとジェスチャーで教えてくれる。ドイツ語を話せない(と思われている)観光客を総出でおもてなししてくれる皆さんの温かさに感動した。もちろんMettも本当に美味しかった。臭みがなく、例えるならトロのような感じ。管理を間違えると大変なことになるので普通は生の豚肉は食べられないのだが、真面目なドイツ人ならきちんと管理できるということでこの地域でだけ出されている隠れ名物だ。またケルンに来たら絶対にまたこのお店を訪れたい。


おばさん、優しくしてくれてありがとう

15時、駅までショッピング街を歩いて行くことにした。この道は「竹下通りみたい」(りん曰く)に賑わっている。前回のReweもこの通りにあって、Mettのおいしさと安さに魅了されている私たちはまた立ち寄ってしまった。私はこの後会うみんなのために2つ、りんも「後で食べる」と言ってなぜか2つ買った。この友達への配慮はみんみんから教わったな、前の私だったらケチって買っていなかっただろうな。友達を喜ばせるために迷わず行動できるようになってよかった、なんてまた留学中の友達に思いを馳せた。

15時30分、残念ながらまたICEに遅れがないことを確認してホームへ。他のみんなはかなりギリギリに来るようだった。りんとゆっくりお別れをする時間ができたが、何を言えばいいか分からなかった。ハイデルベルクだろうが京都だろうが、りんがいてほしかった。でもそれより、ハイデルベルクに私なしで残るりんが心配だった。半年間がんばってね、帰国したらすぐ会いに行くからと約束しながら、2人とも泣いた。りんは、やっと泣いた。ICEの出発は48分。43分ごろみんなが来たときは私たちは涙を流し合っていた。7人の友達は気を遣って私を置いて先に電車に乗り込んでいてくれた。45分、私も乗りそびれないように電車に乗った。ドアの前でりんに手を振っていると、スマホに不穏な通知が来る。7人の友達はそわそわしている。

このタイミングで「ロッカーから荷物が取り出せない」という通知。…この旅行は9人旅行ではなかったか?

嫌な予感がする。この時点で、別れどころではなくなっていた。荷物を落ち着けて事情を聞くと、旅行グループのうち一人がロッカーの前で困っていてまだ乗れていないそうな。動揺しているうちに、

電車が動き出した。1人、早速乗り遅れた。

別れのメッセージもそこそこに、りんに救助要請を出す。本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。うちのアンポンタンがすみません…。でもりんの対応は完璧で、新しい切符をすぐに彼に買い与えて、ホーム変更の連絡もすぐこちらに伝えてくれた。後で聞くところでは私が買った分が当たらないと思って、Mettも一つ彼にくれたそうな。ほんとに優しい。心優しいりんが私は大好きなのだ。
おかげで彼は次の電車に乗れたし、こちらはこちらでほっとしてMettをみんなに渡すことができた。事前に宣伝していたのだがやはりみんなはそれを食べていなかったので、とても喜んでもらえた。一息ついてからようやく私たちは再会を喜び合い、髪の毛が明るくなっているみんなの就活が終わったことを知り、日本で流れていた月日の長さに私は少し絶望した。

ベルリンは首都で大きくて、ハイデルベルクからは遠いし到底似ていなくて、なんだかすでにほかの国に来たような気持ちだった。ホテルの下にあったスーパーLidlで晩御飯を買い、みんなにおすすめ商品やくそまずMilch Reisを紹介してやっとまだドイツにいるのだと感じられた。私はYouTubeの広告で気になっていたEckeというヨーグルトを最後に買えて満足だった。乗り遅れ男も合流し、初日の夜は男子部屋で数人に睡眠妨害迷惑をかけつつ盛り上がって終了した。

8月30日

この日は朝からポツダムのサンスーシ宮殿へ。世界史にも出てくる場所だし、サンスーシがドイツで一番良い城だという噂を聞いていたから期待大だった。チケットを買う際、「今から何分後に入れます」という言い方のドイツ語が聞き取れなくて悔しかった。想定できることは聞き取れるけど、咄嗟に情報を理解できるようになりたい。
サンスーシは1階建てで、裏から入ったのもあって前に行ったWurzburgよりも小ぶりに見えた。私はロココの家具が大好きなので調度品が可愛くて気に入った。

あと、ベネチアの絵がいくつかあって、しばらく会えていないゆうとここに行ったな、とまた思い出モードに入りかけたりした。サンスーシには少ない部屋数の中、客間が4つほどあって、最後の部屋は自然をモチーフにしたものだった。黄色い壁紙に、他の部屋の豪華なものとは違う、植物を取り入れたファンシーなシャンデリア。動物も描かれていて、この部屋で目覚めることに憧れるなどした。この部屋の壁紙や写真のポストカードがあったら絶対に購入したかったのだけれど、なかったのが残念。

森の中にいるような気分になれてとてもかわいい

でもショップにはジャガイモのグッズがあって、皇帝フリードリヒ2世が当時人気のなかったジャガイモを庶民に広めるために、ジャガイモ畑を兵士に守らせた話をエリアスがしてくれたのを思い出した。可愛かったけれどグッズを買うのはやめておいた。

外に出て噴水の前で記念撮影をし、ベルリン市内に戻る。お昼の目当ては超人気店のケバブだった。2時間並ぶと聞いていたのだが、そんなケバブ屋さんなんて見たことない。着いてみると意外と列が短く、やっぱり2時間なんてそんな馬鹿な、と思っていたらマジだった。

皆が待ちきれず隣のカリーブルスト屋さんでドイツの味覚をまた一つ食べたいと言うので、2つにグループ分けして引率した。ケチャップたっぷりのカリーブルストはみんなにも好評で嬉しかった。こうしてお腹の空きを慰めた後も、さらに1時間ほど待った。一つ一つ出来上がるのが遅いのだ。我々のグループも、一度に8個頼んだのでいい迷惑客だったと思うけれど。辛いのを抜いてくれとか、要望を付け足しながらドイツ語で注文する私が珍しかったのか、みんなはなぜか遠巻きに私を眺めたり写真を撮ったりしていた。ちょっとお店の注文台が高かったので背伸びしていた私のふくらはぎのたくましいこと。留学中自転車を持っていなかったのでずっと歩き回っていたせいでまた筋肉がついたのだ。
ケバブは今まで食べてきたケバブとはまた違う感じで、これケバブなのか?という感想が第一に来たけれどとても美味しかった。野菜と言っても生野菜と揚げ野菜が両方入っていて栄養たっぷり完全食という感じ、チーズとハーブのアクセントが効いていて量は多いのに飽きさせず最後まで美味しい。ただ当分ケバブはいらないと言いたくなるようなボリュームだった。

その後はベルリン市内を観光。題名をつけるならば、ナチスドイツから冷戦までの歴史をたどる市内観光だった。ベルリンの壁のあの有名な絵の前でちゅーしよう!!とえみを誘ったところ振られたので、ちょうどよく写るように撮ることに。

なんだかんだ言ってえみも私のこと好きだかんね。

お土産を買ったり、脱力感満載な休憩をはさんだりしながらこの日から結構歩き回った。途中アンペルマンのお店を見つけて歓喜した。ベルリン土産として最適ということで、1週間前に失くした財布を買うことに。リーズナブルな価格かつ可愛いデザインで気に入っている。ウンターデンリンデンではクズ男豊太郎を思い出し、彼もここを見たのかと考えたりする。ブランデンブルク門はがっかりスポットという噂もあったが、個人的には迫力があってすごくよかった。そこできれいなお姉さんに声を掛けられ、写真を撮ってあげるとポージングのセンスがものすごくオーラを感じさせるものだった。集合写真をお返しに撮ってもらったのだが、いろんな角度から、近づいたり遠ざかったり、いろいろ試行錯誤してくれて素晴らしい写真が撮れた。我々はこれに感動し、彼女をおしゃネキと名付けてインスタアカウントを探し出そうという議論までした。

さて夕方から夜にかけては、ユダヤ人記念碑を見たりまたお土産屋さんに入ったりした。私も友達もお土産屋さんに積極的なのがとても居心地よかった。駅前ではBratwurstの屋台を見つけ、フライブルクで感動した思い出を披露して皆に食べてもらった。やはりドイツのソーセージはうまいのである。

夜のブランデンブルク門を見ながら、私はこっそり泣いていた。その日はドイツで過ごす最後の夜だったからだ。もうここは留学中の思い出とは何の関係もない場所だが、それでも。ストリートバイオリンで、最後の夜に丸ちゃんがピアノで弾いていた曲が流れてきたのもある。ドイツの気候、食べ物、人柄、言葉、すべてが自分に合っていて、ドイツが好きだった。寂しさと感謝の念で胸がいっぱいになって泣いていた。



小学生の頃好きだった一期一会のポエムで、「あんたといると喜びは2倍、悲しさは2分の1になる」というのがあった。よく言ったもので、観光客用のおもちゃで無邪気に遊ぶ友達を見ていると涙も引けてきて、その先の旅に前向きになってブランデンブルク門を離れることができた。その日の夜はこっちに来て好きになったラドラーを飲んで、テラスでエリアスと電話して、友達の1人を紹介した。京都の友達とエリアスが繋がるというのは、変な感じだった。

8月31日

ドイツ最後の朝食に、ベルリン駅でチーズプレッツェルを食べた。小さいころプレッツェルを甘いと思って食べたらしょっぱくてショックを受けて以来、プレッツェルのことは嫌厭していたのだが、ドイツで改めて食べて好きになった。ベビーカーに乗った赤ちゃんはみんなプレッツェルを握りしめて食べていて可愛かった。そんなドイツでの生活を思い出させるパンだ。LLサイズだったが、しっかり完食した。

ちなみにベルリン駅は私が知る限りの他のドイツの駅とは違って、駅とショッピングモールが合体した日本の駅に近い雰囲気があった。いろんな線が通っており構造が複雑で建築として面白かった。他の駅は簡素でホームとパン屋さんが数店だけあるのが普通だと思う。でも考えてみれば、それぞれの駅にパン屋さんが必ず複数あるというのはパン文化の象徴みたいだ。

ご飯を食べたら博物館島へ向かう。正直ベルリンの博物館のことは全然知らなかったが、ペルガモン美術館が一番の目玉だというのでそこへ向かう。その時点で、確か11時を回っていた。さすがは目玉で、オンライン予約分は既に売り切れており、当日券も16時半からの券しか残っていなかった。この日はこの後ポーランド行きの電車に乗らなければならなかったので、ペルガモン美術館は諦めることに。ショップだけ覗いて、お世話になったおばに本を買った。

次に隣にあるベルリン大聖堂へ。ケルンですら無料で入れるのに、入場だけにお金を取られるというのは妙な話だ。若干納得いかない感がありながらも、7€で券を買う。重厚なつくりで、ドンと身構える感じの大聖堂はかっこよかった。中は茶色を基調に綺麗になっていて、新しいんだろうなという印象を持った。展望台に上れるというのでケルンに引き続き階段を上ることに。ケルンの半分くらいしか段数がないので余裕だった。上り終えて展望台に出ると、いきなり雨が!さっきまできれいな青空だったのに、このタイミングで雨が降るだなんて誰が予想できただろう?幸いにもそんなに大粒の雨ではなかったので、気にしないことにする。写真写りは良くないが、ベルリン市内を一望することができた。ベルリンは完全に都会の眺めだった。

ほら、こんなに青空だったじゃないか

運がいいのか悪いのか、大聖堂を出ると再び晴れた空が広がっていた。バーンで移動し、ウンターデンリンデンをまた少し歩く。ちょこちょこ大戦関係の記念碑があり、ベルリンにとっての歴史の重さが伝わってきた。チョコの博物館で一つ無料のチョコをゲットしたほかは、この日もベルリンの壁跡、東西ベルリンのチェックポイント、ユダヤ博物館など前日とテーマを同じくして見て回った。というか、ベルリン観光ってそれに触れざるを得ない気がする。私達の場合は少し多かったけれども。どこに時間をかけすぎたのか、ユダヤ博物館はもっと見たかったのにタイムオーバーで、1時間ほどで切り上げた。ロッカールームのおじさんが、最初英語で話しかけてくれたが私がドイツ語で対応するとちょっとフレンドリーになってくれた(気がする)。

チョコまみれベア。ベルリンは州旗が熊で街中にこんなのがいっぱいいる

帰りはバスで帰ることにしたので、バス停を手分けして探し、混み混みのバスに乗り込む。1人体力が心配な子がいたが、バスで座ってもらったりしてなんとかもたせる。ベルリン駅について、意外とすんなり荷物を取り出せたので最後にカリーブルストを食べたいという要望にお応えして注文。希望者7人だったのに、時間がないのと荷物が多いのでパニクって5つだけにしてしまった。みんなごめん。

最後のドイツ駅でいよいよドイツを離れるのかとしみじみしていると、やって来たのはICEではなくどうやらポーランドの電車。がっかりしながら乗り込んで更にがっかり、席がICEより狭いし通路側の席からアクセスできるゴミ箱がない。通路側ハミ席だった私はごみをポーランドまで保持しないといけなかった。ポーランドとの国境はどんなもんかと思っていたら、小さな湿地帯みたいな川があるだけ。すんなりと越えてしまった。さようなら、ありがとう、Deutschland。

ポーランド到着は20時半頃だっただろうか、爆睡していたところを起こしてもらった。アナウンスも何もないので地図とにらめっこしながら不安のまま下車する。降りたところで、電車で荷物をしまうのを助けてくれたおばさんに「ポーランドのこの駅への行き方分かる?」と聞かれるが、当然全然分からないので謝ってグッドラックを願う。

周りがみんなドイツ語を勉強していたから、日本人でもドイツ語を話せるのが当たり前だったし私は友だちの中で一番ちんちくりんだったのだが、それでもドイツ語で日常会話くらいはできるようになったおかげで、ドイツ語話者からは話しかけてもらえるし多少仲良くもなれる。英語だと共通言語の地位が確立しているから話せるのは当然で、そうはいかないんだよな。それが第3言語を学ぶいいところだと思う。

さてそんなこんなで荷物を預けて21時、早くも近くのレストランが全て閉店して残るはマックのみとなる。仕方なくみんなマックに入る。私は50€をズオチに両替していたので、コインがユーロかズオチかよく分からずレジで困り果てた。(もちろん未知の通貨に興奮して写真も撮った。お札は100ズオチまでコンプリートした)マックのサラダは久しぶりの野菜摂取ができてうまかった。マック、悪くないな。

次回、ポーランド編です。
たった3日のことなのに、多分フィールドワークで丁寧に記録する癖がついてしまったせいで起こったこと全部書き起こして長くなってしまっています。適当に読み飛ばしてください。

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