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みにぺ!裏話第3弾 えだまめ

「『受験失敗談』なんていうけれど、『失敗』なんて言葉を使っていいの?」
「中高生向けの出版物で進路を扱うなら、受験はもっと希望的に描くべきではないか?」
「行きたい大学に行けなくても人生どうにでもなるのに、このタイトルは不適切ではないか?」

そう思われた方々へ。どうも、えだまめです。今号では、「ねこねこ×えだまめの受験失敗談」と題して、受験についての対談を掲載しました。あえて「失敗」という言葉を使った理由は、読み手、まさに受験勉強真っ只中の高校生にとって第一志望に行けないことが失敗であるからに他なりません。

他の3人と比べて分量も内容も重い読み物になります。ご了承ください。

強烈な失敗体験

実際、私は家族内の事情で第一志望の大学に出願することすら叶いませんでした。出願をあきらめた当初は、代わりに母親の勧めで出願した別の大学の対策にいっぱいいっぱいで悔しがる暇なんてありませんでした。ただ目の前の受験に必死で必死で。

でも受験が終わると、第一志望に行けなかったんだなあ、落ちたどころか受けることすらできなかったんだなあという事実にまともに向き合いざるを得なくなりました。あの時、受験期真っ只中の私には、反対を押し切るエネルギーも、家族を黙らせるだけの学力もなかった。この世の不都合は全て当人の能力不足なのだと強く強く実感しました。

もちろん、浪人も考えました。親に何度も何度も、泣いて土下座して頼みました。しかし許されることはなく、入学手続きも完了し、進学が確定しました。この頃、私は完全に鬱になってしまい、1日ベッドから出ることも食事をとることもできず、ひたすら泣いて泣いて過ごしました。衝動的に命を絶とうとしたこともありました。無理でした(だから今これを書いているわけですが)。

視野の変化

大学生になって、大学を卒業したその後の進路を具体的に考えるようになり、一気に視野が広がりました。本誌に書いた通り、確かに私にはやりたいことがなかった。いったん今はこの大学の国際系の学部で落ち着いているけれど、ここで高GPAをとって英語力をつけ、国際感覚を養っておけば、どこの大学院にも、もしかしたら海外の大学院にも行けるかもしれない。そうしたら日本だけで学ぶよりも広いフィールドで羽ばたけるのかもしれない。そう考えると、自分の置かれた境遇も悪くはないと思えるようになりました。

大学が全てではない、なんて綺麗事だと思っていたし、今でも大学名で見られる場面に実際に出会うこともあります。しかし、日本企業にも年功序列から実力主義に評価の形態を移行する潮流があります。この先、私たちが社会を支える頃には大学名が威力を発揮する場面はどんどん減っていくのだと考えています。

本題:確かに大学が全てではないかもしれないが

確かに大学は全てではありません。第一志望に落ちたからといって、人生が終わるわけではない。でも、それでも、大学受験に向かって長い期間勉強してきたその努力が報われなかったなら、それは失敗に他ならないんです。学校や塾で散々発破をかけられて、受からなくて、でもそれは失敗ではないんだよって言われては、感情が迷子になってしまう。失敗を失敗として一度きちんと受け入れなければ前には進めない。厳しい冬を経験して消化しなければその先の飛躍はないんです。ちょこっと先を行く者として。今号を通して、私は中高生の皆さんに「失敗のその先」を見せたかった。これを読んだ記憶を、彼ら彼女らの強さに、失敗したときの支えにしてほしいんです。

失敗は失敗だけれど、その先にある選択肢を知っておけば、私のように命を絶とうとするまで苦しまなくてもいいかもしれない。あえて「失敗」とつけることで、より中高生の目線に近づけていたら幸いです。

文責:えだまめ


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