見出し画像

人生とは借り物の時間

「あまり長くは生きたくない」と少し前までの自分は思っていた。

学生を終えて社会人になったら、変わり映えのない日々が淡々と続いていくだけで、楽しいことよりも辛いことや苦しいことのほうが、遥かに多い気がしてならなかった。

若いうちは体力があるからできたことも、歳を取ったらできなくなってしまう。また、歳を重ねていけばそれだけ自分の価値が下がってしまうように感じがして、恋愛などのハードルも高くなっていく気がした。

学生だから許されていたこともたくさんあった気がする。

そういう一種の免罪符みたいなのがなくなり、生きるために働いて働くために生活する、というサイクルが待っていると思うと、とても社会に出ることが喜ばしいことだとは思えなかったのだ。

実際に働き始めてみて、職場環境はかなり良くて、もちろん大変なことや汚い仕事もやって、辞めたいなと思う時もあるけれど、1年目でもちゃんと休みが取れたり、ボーナスがもらえたりして、自分が恵まれた環境で働くことができていることを実感する。

親はそのことについて「それはお前が就職活動をちゃんと頑張ったからやで」と言ってくれる。努力したからと言って、必ずしも報われるわけではないけれど、それ相応のところには手が届くようになるし、思いもよらない報酬が訪れるときもある。

ワールドカップでの日本代表も、念願のベスト8には惜しくも手が届かなかったが、ドイツ、スペインと強豪を倒したという事実は、着実に日本が力をつけてきた証明であり、必ず次へ進む大きな一歩となったと思う。

新海誠監督の『すずめの戸締まり』を観に行って、ネタバレになってしまうので詳しくは書けないが、やはり生きているというのは、とても有難いことなのだと改めて思った。

生きていると否応がなしに辛い出来事に見舞われることがある。次々と訪れる不幸に対して、常に笑っていられる人間は少ないだろう。それならば、別に生きていなくてもいい。でも、同時に死ぬのはやっぱり怖いから、生き続けていくしかない。

しかし、たとえ不快な感情でさえも、それを味わえるということ自体が、奇跡なのかもしれない。自分の生きている時間というのは、所詮は神様からの借り物の時間であって、必ず終わりがある。ならば、「せっかくだから生きていく」という選択肢があっても悪くないなと思うのだ。

まあ、生きてさえいれば楽しいことや喜ばしいこともある。そういう想いは生きるのを止めてしまったら味わえなくなってしまう。忘れられない悲しい記憶も、楽しい思い出を作り重ねていくことで少しずつ薄れていく。

なかなか思い通りには行かないこともあるけど、少しずつ、少しずついい方向に向かっていけたらいいなと思う。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?