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弱さを見せるのには強さがいる

妹から「どうしてそんなに本を読んでいるのか?」と聞かれることがある。

いつも「暇だから」と答えるのだけれど、その後は必ず「時間を有意義に使っていて偉い」と言われる。

偉いだろうか?

本当に他にすることがないので、何か気晴らしになればいいと思って、本に手を伸ばしている。実際には内容なんて何でもよかったりする。ただ、自分にとってある程度のリズムで読めればそれはいい本なのだ。

だいたい、読んだ内容なんてすぐに忘れてしまう。大学時代の友人が読んだ知識は生かさないと、読書の意味がないみたいなことを言っていた。でも、それはもう勉強と等しいことなので、そんなんだったら僕はもう本なんて読みたくない。

職場の同期からも、なぜ本を読むのかと聞かれる。

同じく「暇だから」と答えるのだが、妹同様に「偉い」と言われる。

勉強は嫌いだが、新しいことを知ることはけっこう面白かったりする。自分が考えたことのない発想や視点を、わざわざその人に聞かなくても、本が教えてくれる。

本の良いところは、儀礼として意味しかもたない言辞や振る舞いを抜きにして、本質的な思考のやり取りができる点にある。ネットのせわしない、強迫的に思考を奪われていくような言語空間とは異なる、静かで温かい思索が、人間には必要だ。
『ペルソナー脳に潜む闇』中野信子

まさにこれだと思った。この言葉がいちばん自分にしっくりくる。

決して、暇であることばかりが本を読む理由に足るわけではない。人とのコミュニケーションを奥手としているからこそ、「静かで温かい思索」が自分には必要なのだと思う。

悩みや不安があっても、なかなか人に話せなかったりする。
本当に親しい親友と思える友人以外には、本当に自分の核心に触れるようなことは話したくない。それは家族も同じだ。

弱さを見せるのには強さがいる。

だからといって、常日頃から親友の力を借りるわけにはいかない。毎日会えるわけではないし、向こうにも向こうの時間があるのだから、それを侵すわけにはいかない。

そんな時は、やはり本を頼るほかない。

今の自分の心情に合っている言葉に出会えると、救われたり勇気づけられる。自分の気持ちをうまく言葉にできないから、それをうまく表現してくれる言葉が欲しくなる。

別に偉くなりたいわけではない。あんまり頑張らずに静かに暮らしたい。

自分の心と向き合うのはなかなか難しい。胸のうちはいつもざわついている。それを鎮めるには、誰かの助けが必要だ。でも、その誰かはすぐそばに必ずしもいてくれるわけではない。

だから、誰かが書いてくれた言葉を拾っている。
それを武器に自分と闘っている。






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