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「戦うもの」より、「守るべきもの」を

 世間では12月を師走というが、もしこの「師」がお坊さんではなく、教師を指すのだとしたら、師走は4月に違いない。民間企業や他の公務員の内情は知らないが、教員というのは、3月30日付の新聞に掲載される人事異動発表の前に、内示は出ていても、自分が異動することを生徒や他教員に伝えてはならないことになっている。
 この謎のシステムについては、もはや言及しないが、お気づきの方もいらっしゃるだろう。業務の引継ぎができないのだ。普通の会社なら、事前に誰に自分の業務内容やノウハウを引き継ぐか、直接顔を合わせるなりして伝達や資料の受け渡しができる。

 これが、教師の業務引継ぎは、なんとも不自然なことに、分掌(いわゆる仕事の分担、子どもでいうなら委員会や係のような)が決まるのは、なんと4月1日。「お、今年は自分がこの分掌か!」と思いきや、「え?前任者いないじゃん。データないやん。」という自体はしばしば発生する。
 自分の配属学年すら、4月1日の会議で紙面にて明らかになる。

 ちょっと、自分の仕事に置き換えてみてほしい。4月1日、意気揚々と職場へ行く。なんなら、異動の荷物をつめた段ボールを抱えて。そして、新しい仲間と環境の中で、自己紹介もないまま、まず会議が始まる。
 会議の資料で、自分の所属する部が発表される。そして、何やらやったこともないような主任クラスの肩書きがついている。専門分野でもない、後輩の育成(部活動)ミッションが課される。
 もちろん、ここではだれもが「イエスマン」。「できません」「わかりません」は禁句。オーマイガー。

 そんなわけで、教師の異動というのは、多くの苦労と心労に満ちているのである。でも、ちゃんとご褒美が待っている。始業式の日に会える子どもたちの晴れやかな表情や笑顔が、そんな過労死ラインぎりぎりで働く私たちの心を支えてくれている。

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 さて、前置きと愚痴が長くなりました。本題に入ろう。先月、バルセロナオリンピック、柔道の金メダリストの古賀稔彦氏が亡くなった。
 ニュースでは、彼のバルセロナでの伝説はもちろん、後輩や未来ある子どもたちへの育成に尽力する姿が何度も取り上げられていた。
 猛烈であろう痛みに耐え、最後まで戦い抜いたバルセロナオリンピックでの雄姿を見て、感動とともに「なぜここまで強くあれるのだろう」という複雑な気持ちも沸いた
 彼の姿からは、勝利を求めているというより、結果ではなく「信念」を感じるものがあったから。その「信念」の正体は、現役引退後のインタビューの中で明らかになった。

 それは、私塾で子どもたちに稽古をつけている場面だった。彼は、子どもたちに「強くなれ」ではなく、「優しい人になりなさい。応援してもらえる人になりなさい。」と教えていた。


勝つため、強くなるために柔道をするのではなく、
優しい人になるために柔道に取り組んで欲しい。


 彼のその言葉だけで十分だった。この言葉に、自分を恥じる思いさえ感じた。社会の荒波、不遇、不運、権力、差別、経験差、そんなものに負けじと、私はずっと、それらに打ち勝つ「強さ」だけを求めて走ってきた。
 知識で理論武装し、自分が成し遂げたいことのために、自分本位な言葉を並べ、うまくいかなければ言い訳を探し、上述したような現状を跳ね除け、「勝つ」ことだけが、私にとっての使命だと思い込んでいた。

 彼の言葉は、私にとって「戦うもの」ではなく、「守るべきもの」を教えてくれた。気づかせてくれた。私には、ここでは語るに恥ずべきほど大きな夢がある。そのための一歩を、やっと踏み出せた決意の春。
 その一歩に向けられた餞として、彼の言葉との出逢いを噛み締めた。そして、見上げた桜の花言葉を思い出しながら、歩き出した。

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ーあとがきー
 彼が尽力した後輩や子どもたちの育成は、「恩返し」なのだと言う。自分を育ててくれた人、応援してくれた人、支えてくれた人たち、故郷、そして柔道そのもの。それらすべてへの「恩返し」のために、全国を奔走し、ときには故郷や地域のために力を尽くした。

 そういえば、半沢直樹も言ってたな。「感謝」と「恩返し」。

 私も、自分を育ててくれた家族や先輩たちへの「感謝」と、なにより子どもたちへの「恩返し」の気持ちを忘れず、だれもが「自分らしく」、そして自分自身とお互いを認め合うことのできる「強さ」という名の「優しさ」をもって、一歩ずつ、自分の道を歩いていきたい。


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