井の中の蛙、大海原を知らず。されど世界を知りたいと願う。
「リフレーミング」という言葉を聞いたことはあるだろうか。「リフレーミング」とは、物事に対する枠組みをし直す作業のこと。授業では、この「リフレーミング」を使って、自分自身のことについて、ネガティブにとらえていることや欠点だと思っている部分を、ポジティブに変換し合うという体験をしてもらった。
性格や欠点だけではなく、物事を新たな視点で捉え直すという作業は、とても大切なことだ。今までとは違う角度で見てみることで、新しい発見や思いがけない出会いがある。それはあなたにとって「刺激」にもなれば、「成長」にもつながることだろう。
しかし、やってみるとわかるのだが、「物事を新たな視点で捉え直す」というのは、案外難しい。なぜなら、人は、自分の経験や知識の中でしか物事を見ることができないからだ。
「井の中の蛙、大海原を知らず」。生まれてこのかた、井戸の底に暮らす蛙が、見たこともない、どこまでも青く続く水平線や、太陽の陽射を受けて輝く波打ち際、トビウオの群れ、それを飲み込みながら悠々と泳ぐクジラを、どうしたら想像できるというのだろう。
自分にとっての「全て」である井戸が、地球上でどれだけ小さなものか、あるいはそこに暮らす自分がどんなにちっぽけな存在か、彼は、大海原を「知ろう」としない限り、井戸の中という限られた世界と、その限られた世界で得た自分の基準だけを信じて生きていくことになる。
だから、私たちは「学び」を怠ってはならないのだ。「新たな視点」を見つけ出すためには、「知識」と「経験」が必要だ。蛙の話のように、私たちは自分の経験や知識に基づいてのみ、人や物事を捉える。今は必要ないと思うような知識や、記憶から消してしまいたいような経験も、全て、あなたの「モノの見方(ものさし)」を象っている一部なのである。
その経験や知識が豊かであればあるほど、様々な角度や視点で物事を捉える素地となる。これから出会うたくさんの人、モノ、事、一つひとつと正面から向き合うだけではなく、自ら掴んだ知識や経験を駆使して、色々な角度や視点で見つめることで、正面からは見えなかったものが見えてくる。
そうすることで、きっと、あなたの思考や心は深まり、広がり、よりいっそう豊かなものになっていく。さらに、そこから生まれる想像力は、夢の実現や自己実現、温かな人と人とのつながりを支えるものに他ならない。
最後に、金子みすゞの詩を贈ろう。
「つもった雪」
上の雪 さむかろな。
つめたい月がさしていて。
下の雪 重かろな。
何百人ものせていて。
中の雪 さみしかろな。
空も地面もみえないで。
降り積もった雪を、あなたはそんな風に思ったことがあるだろうか。金子みすゞの詩は、どれもが今まで自分たちが当たり前のように思っていた風景を、違った角度から見るとどう映るかを教えてくれる。心温まることもあれば、ハッとさせられることもある。彼女の紡ぐ言葉に、人や物事に対する自分自身のまなざしがいかに狭きかを見透かされているように感じてしまう。
もし、この「雪」が「人」であったなら。同じ環境でも、一人ひとり感じていること、考えていることは違うかもしれない。同じようにみえたとしても、視点を変えれば、そこには様々な思いがあるのかもしれない。
窓の外に目をやれば、いつのまにか色づいた葉は落ち、乾いた北風が吹き抜ける季節になった。故郷に降り積もった真っ白な雪を、この詩のように見つめることのできる私でありたいと思いながら、この学級通信を書いた。
私の言葉が、少しでも、あなたの「知識」となり、「出会い」や「経験」をもたらし、豊かで幸せな人生への糧となりますように。
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