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「3人しかいない!」文章アーカイブ

 私は2022年9月10日、東京都大島の貸民家プライベイトにて、歌って踊れる似顔絵師このよのはるとのコラボ展示兼イベント「3人しかいない!」を行いました。詳しくは展示の前日に書いたこのnoteをぜひ読んでください。

 簡単に要約すると、これは家族をテーマにした展示兼イベントです。(ちなみに「3人しかいない!」というタイトルはテレビ朝日のドラマ「11人もいる!」のオマージュ。)私たちは理想の家族の形を「依存し合わずただそこに居ることができる人間関係」と定義し、そしてそのような家族の形は「内と外の空気が流動的に入れ替わる家」にて達成されると考え、プライベイトという家の中でまる1日(14:00-21:00)、展示となんちゃって演劇を行いました。あと来てくれた人には、入場者特典として展示していた都市で拾ったものを選んで持ち帰ってもらいました。
 たくさん人が来てくれて嬉しかった。その後感想をツイートしてくれた方、個人的に送ってくれた方、ありがとうございます。糧になります。現場でもそうだったし、その場で感じたことを持ち帰っていくれて、家族について場について演劇について、一緒に考えてくれたことが本当に嬉しかったです。
 全ての感想や思いが嬉しかった中で、特に、来てくれた人がその人の家庭や人間関係の超個人的なことを話してくれたことが嬉しかった。これは別の文章で詳しく書くつもりだけど、私は、その作品を見た人が、その人の個人的な思いや境遇をぽろっと口から出してしまうような、そういう作品を作る人になりたいと考えています。ずっと、何を作っても何をやってもただの一人よがりでしかなく、1人で暴れているだけで、目の前のあなたにすら手が届かないような、そういうもどかしさを感じてきました。作品としては全く1ミリも完全に満足ではないけれど、でも、今回、内側を吐露してくれた人がいたことがとてもとても嬉しかった。
 何か感じてくれた人も、そうでない人も、本当にありがとうございました。

 今回、この展示をどのようにアーカイブをするか考えた結果、文章としては私が展示の夜、貸民家プライベイトの管理人さんに送った文章がめちゃ「魂」って感じだったので、ほぼそのまま載せることにします。主催者も観客と同じ演者の1人となる展示だったので、この文章はあくまでの私という1人の鑑賞者・観客・演者の立場からの感想でしかありません。あと、演劇人のことをあーだこーだ言っているところもありますが、その人たちにも、というかその人たちにこそ心から感謝しています。あなたたちがいたから生まれたシーンがありました。(管理人さんの個人名は全て「管理人さん」になっています。)
 「ホームビデオ」として撮影した当日の動画も、私のYouTubeアカウントで近々公開しようと思っていますので、お楽しみに。

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管理人さんへ

「プライベイトを人に貸しているのも、逃れられない家族という形態の模索であり、あらゆるご利用がひとつひとつの舞台であるとも言えます」という管理人さんの言葉が、強く心に響きました。

まだアーカイブなどをしていないのですが、昨日プライベイトの中で発生した出来事を、文章でお伝えします。動画撮影をしたシーンもあるので、それも後ほど何かしらの形で発表しようと考えています。

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管理人さんが来てくださった時(14時ごろ)、まだ展示が始まったばかりで私もこのよのはるもうまく「居る」ことができずにオロオロしていました。帰宅中、でもそんなうまくいってない「居る」をしてるのに管理人さんめちゃくちゃ優しく接してくれたね、嬉しかったね、と話していました。

その後2時間くらいして、16時〜18時くらいだったと思うのですが、とても理想的な家族の状況になったのです。誰もがそれぞれと適度な距離になり、距離が少し近いな、と思ってしまう前に別の部屋や外に移動をする。個人的な話をしている人の隣に「居て」、ただただ聞いている。床に寝っ転がって、話すでも寝るでもなくただ隣に「居る」。知っている人も知らない人もいる環境で、心地の良い空気で満たされた空間になりました。

今回は2階のテーブルがある部屋を「居間」、和室を「おばけの部屋」とし、3階を「個々人の部屋」としていました。「個々人の部屋」とは、「子供部屋」「ゆうかの部屋」のような個人部屋の、誰の部屋にもなれるバージョンです。ゆうかがいればゆうかの部屋になり、のはるが行けばのはるの部屋になる、誰もいなければ誰の部屋にもならない、という感じです。その部屋の使い分けも良かったのかもしれません。

だけど今回の個展、ツイートした通り、家族喧嘩のシーンがありました。

酒を持ち込み、飲み、テンションが上がった家族がいた時、そして「演劇」をやっていると聞いた演劇人が、家族のロールプレイングをやりに来た時からです。お正月の親戚の集まりのような内輪ノリが生まれ、演じている外の世界であるメタの話を始める人もいました。私は3階の「個々人の部屋」(その時はゆうかの部屋)に一人でいて、2階の人々の声を聞いていたのですが、最悪な心持ちでした。家族誰もが「家族」という人間の輪の真ん中にいると、家族の膜が強く分厚くなってしまい、外にいる人は中に入れず、中にいる人は外に出れなくなってしまうのです。まさに空気穴がなくなる状態、風通しが悪くなる状態でした。でもそれは誰も悪くなくて、人間が集まり共同生活を営もうとした時の、必然でもあったと思います。

私は3階で、ずっと悶々としながらどうしたらその状況を打破できるのか考えていました。そして、どうしたらその状況を生かせるのか。誰も悪くない状況であるとはいえ、私にとっては居心地が悪かったからです。観客も演者もいるこの状況では、主催である私も真っ向な立場から観客と会話をする権利があると思いました。

ちゃぶ台返しをしようか。ムカつく演劇人を殴ってしまおうか。酔っ払いの頭に酒をかけてしまおうか。でも家を傷つけちゃ絶対にいけない!そんなことしたくない…

そう考えていた時、お客さんの一人が3階にやってきました。「ずっか」という役名の男性です。メタ世界でも会ったことのない人でした。私はずっかに「あの状況最悪だと思うんだけどどうしたらいいかな、私はちゃぶ台返ししようかなって思うんだよね」と言いました。そうしたらずっかは「家族会議がいいんじゃないかな」と言いました。そんなふうに話していると2階にいた人たちがなぜか1人ずつ3階にあがってきたのです。だから私は来る人来る人全員に「あの状況最悪だと思うんだけどどうしたらいいかずっかと今会議してるの。私はちゃぶだい返しがいいと思ってて、ずっかは家族会議をすべきだって言ってるんだよね」と。

すると心地の悪い家族の空気を作っていた当事者たちが、どうしたら良いかな、と真面目に話し始めたのです。最終的には、2階で心地の悪い家族を作っていたメンバーのほとんどが3階に来て、「あの状況」を打破するにはどうしたら良いのか、「あの状況」とはそもそもなんなのか、本当に「最悪な空間」なのか、を話し合い始めたのです。

そこで、演劇とは何か。家族とはどうあるべきなのか。人間の対立ってどうやるべきなのか、を、話し合いました。ピリピリした空気も流れて、それはある意味家族喧嘩だったと思います。(このシーンの動画があります!!!!)

私は今まで家族の中で、或いは恋人などの超近い関係の中で「喧嘩」をできたことがありませんでした。近い関係だからこそ、今の状況が最悪だったとしても人間関係の形が変わってしまうことが怖かったからです。

だけど今回は所詮他人だったから、話せたことがあったと思います。他人だけど、演じる中の家族で、それぞれがそれぞれに家族を持っている(持っていた、或いは持っていない)当事者である。そして何よりあの家があって、空間が作られていた。全てが合わさったからできたシーンだったと思います。

今回私たちはあえて家族とはこうあるべき、という形を作らないでいました。依存し合わない関係、などは書いていましたが、それは抽象的なものであり、展示の前から家族の形がその言葉で決定されたくないと思っていたからです。その結果、家族の在り方ってなんなの?!というぶつかり合いができました。家族の逃れられなさと、少し向き合えた気がします。

反省はたくさんあります。「演劇」という言葉の強さ、「居る」という定義の曖昧さなど。あとは宣伝の下手くそさや準備の段取りの悪さなど作品の外のことも。それを次に活かしたいと強く思います。

あと個人的には、演劇の可能性を強く感じました。所謂演劇人が今回お客さんとして二人来てくれたのですが、その一人のセリフがものすごく良かったとのはるさんが言っていました。2階で家族でテーブルを囲んでいる時、ふと上を見上げた彼は、「あの天井のしみ、ずっとあるよね…」と言っていたそうなのです。その瞬間の、家族感というか、空間に入っている感(うまく言葉にできない…)があったそうです。これは、演劇の力あってこそだったと思います。

私は「家族」と同じくらい「演劇」に深い業があります。単純に言ってしまうと嫌い、なのだけど、それだけじゃ語りきれないような可能性・悔しさもあります。それを改めて再認識できて、改めて演劇を勉強してみたいとも思いました。

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初めてプライベイトに行った時開催されていた菊村詩織さんキュレーションの展示で、私は3階で作品に囲まれ、何も作品のない窓の外を眺めていました。

平面作品などの作品はじっくり見るもの、という認識があった私にとって独特な鑑賞体験でした。見ていないのにそこに在る、共に居る、という鑑賞体験。

そして、絵の横に座って外を眺めていた時、なぜだか涙が出てきたのです。

あの家には、人々にとっての「家族」を引き出してしまう、呪いのような、何か、が、絶対あると思います。そこがとても魅力的だし、怖い。今回の展示はプライベイトだからできたことだと、本当に心から思っています。

また、先日プライベイトのホームページで、「2023年の1月2月、7月8月はご予約を受け付けないことにしました。」というお知らせの文章を読みました。作家として立てたコンセプトと鑑賞者・他の作家の搾取の問題は、私も制作においてたくさん考えることがあります。そして「場」が「空間」が、「もの」になってしまう悲しさもとてもわかります。

まだ表現者として未熟すぎる私ですが、管理人さんのようなアーティストと、ぜひ作家としても今後何かで関われたら嬉しいと思っています。ぜひ、今後ともよろしくお願いいたします。

改めまして今回は、本当にありがとうございました!!!

わたしのような天気

(写真は当日写真屋さんを呼んで撮影した家族写真です。)

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