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父が浮気をした。それが少し、嬉しかった。

 父が浮気をした。
 いや、本当に浮気かどうかは正直わからない。
 でも、駅に父が車で迎えに来てくれた時、私が乗った瞬間信じられないくらい焦って車のカーナビと同期されていたスマホを操作していた。焦りすぎて、LINE通話を切る、ぴろん、という音が時差ではっきり聞こえた。そして何事もなかったかのように「おかえり」って。
 浮気かどうかはわからない。でも私に、家族に何か隠していることがあるのは確かだった。夫婦仲がめちゃくちゃ良くて、結婚してから一度も喧嘩した事のないような気の弱いあの父が。
 でも私はそれが少し嬉しかったんだ。
 あの父にも家族の知らない顔があった。外の世界を持っていた。
 家族という、薄くて、でも決して破ける事のない膜に覆われた丸い空間に、空気穴が開いたような気がした。

 私は今まで制作を通して家族の在り方をずっと考えてきた。私は過保護過干渉な親に育てられ、うまく折り合いをつけることができず、家族の内に居場所がないのに外にもなかなか出られず、依存や不安で形作られた家族の概念なんてなくなってしまえばいいと思っていた。
 だけど実際、家族の中で成り立つ健全な人間関係もあるし、家族が居場所になる人もいる。それに人間は一人では生きられない。だから私は家族の在り方から逃げたくなくて、「家族」の中に在るために、今回のこの作品を制作することにした。

「3人しかいない!」の概要・コンセプト

 2022年9月10日(土)東京都江東区大島にある貸民家プライベイトというギャラリーで、このよのはるとのコラボ個展兼パフォーマンスイベント「3人しかいない!」を開催する。ちなみにこの日に向けてサブイベントを3回やってきたのでそれも後で紹介しようと思う。
 貸民家プライベイトとは3階建ての民家で、ゴミ屋敷だったところを綺麗に清掃し主にギャラリーとして貸し出している場所だ。とても最高な場所なので私たちの個展以外でもぜひ遊びに行って欲しい。
https://tokyoprivate.theblog.me/

 私たちはさまざまなサブイベント、実際の家族内の関わり、共演者や参加者との対話と通して、私たちの理想する家族の形を「依存し合わずただそこに居ることができる人間関係」と定義した。そしてそのような家族の形は「内と外の空気が流動的に入れ替わる家」によって達成されると考え、このふたつを「3人しかいない!」のコンセプトとした。当日は空間作りや観客との関わり方を通してその「家族」をプライベイトの中で作り上げることを計画している。
 当日は、会場内を今まで都市で拾ってきたものたちで生活空間を作る(展示)ことと、鑑賞者とともに「家族」を演じる(イベント)ことを合わせて作品とすることを考えている。そこでメインとなるのは空間作りだ。展示はもちろんだけど、鑑賞者が「家族」として存在できる空間を作ることを最も重要視している。拾い物による空間作りはもちろん、スタッフや私たちも含めてさまざまな舞台装置を用意した。「観客を巻き込む」といっても観客に一方的に絡む芝居なんてただのオナニーだと思っているのでそんなことはしない。鑑賞者は血縁関係のある家族を無理に演じる必要もない。演じることによくありがちな嘘をつく必要もない。(演劇は嘘をつく免罪符ではない。)喋らなくていい。ただそこに居るだけでいい。居て欲しい。居たくなくなったら遊びに出かけてもいい。それですら「居る」事になる。もちろん帰ってきてもいい。帰ってこなくてもいい。「演じる」というと難しく聞こえると思うから、「過ごす」の方が正しいかもしれない。観客と一緒に空間を作りたい。「過ごす」をしに来て欲しい。
 (当日は会場に入ったタイミングでその辺の説明を詳しくわかりやすくしてくれる人がいるからピンと来なくても大丈夫。安心して来てね)

天気は演劇が嫌い

 私は演劇が嫌いだ。
 だけど今までさまざま形で演劇に関わってきた。
 自分が劇団(?)に入っていたこともあるし、一瞬だったけど中高生のとき演劇部だったこともある。そして演劇のことが嫌いでも、それでも実際に見たら素晴らしいと感動する演劇の舞台もある。
 私は演劇に、人や場所、空間、そして自分自身との新しい関係性を構築する途方もない可能性を感じているけれど、それと同時に、演劇をやる側が明らかにそれを狭めてしまっているとも感じている。だから演劇が嫌いだ。形骸化したそれっぽい演劇が嫌い。でもたまからこそさまざまな形で演劇に関わりたいとも思っている。演劇で広がる世界を見たい。だから演劇らしい演劇もやりたい。らしくない演劇もやりたいし、新しい演劇もやりたい。
 今回のサブテーマは、そんな演劇を私たちなりに再構築することでもあるのだ。
 演劇の嫌いなところ。
 例えば演劇に舞台があること。
 劇団時代、私は演目の途中で、舞台と客席の間の端っこに座らされたことがあった。その時、私は舞台と客席の境目を見て絶望した。鑑賞者と演者の間には、あなたたちと私たちの間にはあんなに大きな隔たりがある。
 もちろん、わざわざ舞台を作ってその上で「物語」を「演じる」ことによって表現できることもあると思う。だけど必ずしもそうである必要はない。そして何も、それは物理的な段差の話をしているわけでもない。空間の話をしている。
 演劇の嫌いなところ。
 例えば客出し客入れの時間。
 好みの問題かもしれないがほとんどの場合この客出しが大嫌い。せっかく物語をやったのに空間を作ったのにそれが崩れてしまう感覚がある。悲しい。
 だから今回私とこのよのはるの二人はずっと「演じる」を続ける。さまざまな宣伝文句に「なんちゃって」演劇、と書いたのは、役者がいて台本があって舞台があって…みたいな所謂「演劇」をやるわけじゃないからだ。演劇が本当に好きな人から見たら私たちのやっていることを自分達で「演劇」と書くのはあまりにも浅はかな気がして。
 あと、「〇〇さんまた来てくれたんですかー!ありがとうございます!」みたいなやり取りもしない。営業もしない。今回は「演じる」の外のあれこれは信用のおける別の人に頼んでいます。

理想的な家族のヒントは路上にあった

 以前のnoteにも書いたけど、私は路上でものを拾うことが好きだ。そのものとは、人のもの(落とし物)でもゴミでもない、都市の一部になっているようなもの、だ。それは私にとって宝物だった。都市で拾ったものを持ち帰って家に溜め込むことで、この狭くて閉鎖的な牢屋のような家・家族、の外と、少しでも繋がれる気がしたからだ。
 父の浮気が空気穴なのだとしたら、拾い物もある意味私にとっての空気穴だった。
 だから今回はお客さんたちとサブイベントで拾ったもの、そして私とこのよのはるが今まで拾って来たものを使って家族を演じる空間を構成する。そして入場者特典としてそこにある拾い物をひとつ持って帰ってもいいことにする。こうすることで家の空気穴がもっと広がると思うから。

本番に向けて行ったサブイベントたち

 今回は、準備や練習をできるだけ公開し、観客や演者など関係なくみんなで手作りで進めていくイベントにしたかったので、本番に向けて何回かサブイベントを行った。(もちろん9/10当日はサブイベントに全く参加したことない人でも楽しめるイベントになってるよ!)

⓪フライヤー撮影
 「3人しかいない!」のこのフライヤーの中央の写真は、私(中央)とこのよのはる(両端)がそれぞれ家族の一員としての格好を撮影した家族写真だ。この写真は実際の家族写真を撮影するような写真館でお金を出して撮影したものである。りささん(のはる)(左端)はりささんそのものを演じ、私(真ん中)はハムスターの着ぐるみを制作してそれを着てペットを演じ、まほほん(このよ)(右端)は腐女子を演じている。こんな感じで当日も、母父娘みたいな記号的な家族ではなく、個人個人と家族になりたい。

①もの拾い遠足(7月2日・渋谷)
 7月に渋谷で行った、9月10日個展本番で使うものを路上で拾い集めるイベント。自分たちで拾ったものが家を構成しているという実感を鑑賞者に持ってもらうため開催した。天気とこのよのはるの今までの採取経験から、「ゴミでも人の落とし物でもないもの」を拾うのコツを伝授し、二時間ほど個々人でもの拾いをしてもらったあと、美竹公園に再集合し、拾ったものを見せ合った。
 拾い物にも個性があり、探す地域の土地性や、その人の目を付けるポイントによって拾われるものの種類が全く違って面白かった。
https://note.com/minimum_multi/n/n0f6285bd91c2

②1人しかいない!(8月20日・北千住BUoY・ダチュラフェスティバル
 8月に北千住BUoYで開催されたダチュラフェスティバルに天気が出店。公開演劇練習として、アクリルチューブと針金で建てた家型の舞台で、観客と家族を演じた。入ってくる観客に「こんこん、ごめんください」(客)と入るか「こんこん、ただいま」(家族)として入るか選んでもらい、観客に役割を与えて家族を演じる。演じるというかこれは家族ごっこに近かった。
 このイベントでは家型の仮設舞台が「家族」の記号として機能し、役者は「母」「兄」「父の愛人の娘でたまに遊びにくるお姉ちゃん」「居候」などの名称で関係性を築いた。その結果、家系図が本人たちの知らない間に広がっていく面白さはあったが、その反面、既存の記号的な家族の役割のなかでしか関係性が築かれないという欠点があった。この反省を踏まえ、より流動的で新しい関係性を築くために、本番は個人名(仮名も可)で演じることを決定。

③百鬼夜行東京アタック大作戦!6
 東京練り歩きゲリラパフォーマンス大作戦。
 普段このよのはるが都内の路上で活動していて色んな面白いことを道から知ったこと、妖怪のように振る舞うことでサバイブしてきた経験から、妖怪的な要素のある人たちと都内を練り歩き、実際に歩いて知ったことや感じた東京を作品やパフォーマンスにしていくお祭り。
 関わる一人一人が都市に身をあずけて、いつもより少しのチャレンジをして街を活かして遊びを考える事で都市がワクワク面白くなっていくと思い、毎年1年に1度、今年で6回目を開催しました!(文・このよのはる)


まとめ

 ここに書いたことはあくまでも作品の前に書いたことで、私たちの中にある考えでしかない。そしてお察しの通り今回のイベントにはシナリオがない。ぶっつけ本番だ。どうなるかわからない。だから来てくれる人によって作品が変わる可能性もある。というかむしろそうなってほしい。そして、そこで起きた出来事を持ち帰って、あなたなりに家族について考えてくれたらとても嬉しい。私たちが目標とする家族の形と違う何かをあなたは見つけるかもしれない。批判してほしいし対立もしたい。


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