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【読書記録】少女時代に戻った日

久しぶりに強烈な読書体験をした。

近頃の私の読書というのは、読み慣れた本を繰り返し繰り返し読むというもので、しかもそれはミステリだったりするものだから、完全に「現実逃避としての読書」に成り下がっていた。

保育園に通っていたころからずっと読書が好きで、常に文字に囲まれた生活をしていた。しかし大学生になってから、徐々に興味としての読書は減り、そのまま社会人になり、気がついたら「趣味は読書」と自称するのもためらわれるほどになっていた。


ほしおさなえ『三ノ池植物園標本室 上 眠る草原』『三ノ池植物園標本室下 睡蓮の椅子』

読み終わってしばらく経った今でも、脈打つ鼓動の早さがおさまらない。
久しぶりに、新しく出会った小説に心を震えさせられた。

どのようにこの感覚を言葉にしたらいいものか、うまく思いつかないままこの文章を書いている。なにか感動したものに対して感想文を書こうと思うといつもまとまらなくて、結局そのまま立ち消えになってしまう。それが悲しいので、とにかく文字を書いておこうと思った。

どういったらいいのだろう。作中に出てくる美しいベージュの刺繍糸が、植物のように伸び、目の前に広がり、絡まりほぐれながら身体をふうわりと包み込んでいくかのようだ。あまりにもファンタジックで美しく、おとぎ話のような佇まいすら感じさせる。ここにはいない人々、だがどこかにいる人々の物語。いや、どこかにいてほしい人々の物語だと感じられた。

この文章を書いていて、高楼方子という作家の作品のことを思い出した。小・中学生の頃よく読んだ彼女の作品も、はかなく美しくうっすらとした闇を背後に感じさせるようなものだったと記憶している。高楼方子さんの作品は主に児童文学で、物語も登場人物の年齢も『三ノ池植物園標本室』とは全く異なる。それでも彼女の作品が思い出されたというそのことが、これまで私に蓄積されてきた読書体験の記憶なのだろう。不思議である。

そもそも、この本を手に取るきっかけとなったのは表紙の挿絵をカシワイさんという私が好きなイラストレーターが担当していたからだった。シンプルで不思議な彼女(?)のイラストは、この作品にまさしくぴったりだ。


様々な要素が重なり合って、本と出会う。
しばらく忘れていたこの感覚。
ただ純粋に読書体験の快楽をむさぼっていたころに、また戻れるだろうか。


ほしおさなえ『三ノ池植物園標本室 上 眠る草原』
ほしおさなえ『三ノ池植物園標本室 下 睡蓮の椅子』
高楼方子『時計坂の家』『十一月の扉』
カシワイ『107号室通信』


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