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宇宙人の正体は、こういうことです。

トップの写真はお借りしています・・・。

本題に入る前に・・・

 議論を側から聞いていると、「両者の話の食い違いって、言葉の定義の問題なんだよな・・・」と、感じることが多々ありますよね。当事者になると見えなくても防寒している見えるものってあります。

 例えば「神」。
 一神教と多神教の世界観がありますが、よく話を聞いてみると結局同じことだよなあ、と思うのが常です。

 唯一無二の創造主である神さまが居るとする一神教。しかし、その神さまは永遠・普遍の存在。そしたら神さまは全てに宿っているということなので、それなら、海にも山にも石にも水にも、お米にも神さまが宿っており、神さまはいろんな様相を見せると考えれば、それは多神教的な世界観と表裏一体で、結局同じじゃないか、とか。
 神の言葉の定義に執着しちゃうと、なかなか答えの出ない、くたびれる論争に時間を使うことになってしまったりしますね。

 以上、言葉の定義の話だったのですが、あんまり本題と関係ないかもしれません。すみません。

 で、本題です。
 宇宙人のこと、年を経ていろんなことに関する話を聞き重ねてくると、「ああ、こういうことだな」と、見えてきたことがあり、それを書きます。ちなみにわたしは現在52歳です。いろいろ聞き重ねてかれこれ半世紀です。

宇宙人は、天使でした

 結論から書いてしまうと、宇宙人は天使なんだなと。
 上に書いた、言葉の定義的なことで言うと「宇宙人」も「天使」もやや世の中で定義が曖昧だと思いますが、まずわたしは「天使」をこう定義しています。

天使とは・・・

 天使については、聖書に記述のある「霊的存在」のことを指しています。
 つまり、神さまが、天地創造・・・すなわちこの宇宙神羅万象を作る時に先に創造した霊的存在。仕える霊(新約聖書ヘブル人への手紙1章14節参照)です。

 旧約聖書の創世記1章26節にある天地創造の記述を見ると、
『神はまた言われた「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り・・・」』
 と、神が自らのことを複数形を持って語っているので、神学的に長らく混乱があったようなんですが、結論としては、この時神さまの他に仕える霊である天使たちがすでに創造されていて、「神と天使」が存在するのを念頭に「われわれ」と複数形を用いた、ということで決着しているようです。

 続く、創世記の1章27節には
『神は自分のかたちに人を創造された』
 とも記述があります。
 神と人は似ている、同種の存在なんですね。ということは、
 神≒人
 神≒天使
 だから、
 人≒天使
 と、いうことで、天使は人に似た霊的な存在だということになります。

 以上を踏まえて・・・
 天使は、人類創造あるいは宇宙創造に先立って、神さまの創造の補佐役として、神さまや人に似た「かたち」の存在として居るものである、ということで認識をしています。

 創造の当初、かのエデンの園で、人と神さまは一問一答していました(今は神さまと一問一答できる人は極めて少ないですが)。すなわち、両者は言葉でのコミュニケーションが可能ということなのですが、天使もまた、同じように言葉でコミュニケーションが可能な存在ということになります。それができないと同種の霊的存在とは言い難くなりますので。
 ちなみに、「堕落」があって霊落することで、人は神さまの言葉が聞こえなくなっちゃったわけですよね。そこで「宗」つまり「神さま」を教える宗教というものが必要になってきたわけです。

宇宙人とは・・・

 さて、一方の宇宙人ですが・・・
 こちらは、定義が難しい。
 一般的に、メディアなどにもよく出てくる、グレイ宇宙人。人間よりちょっと小柄で、肌が灰色で、目がとても大きい、UFO円盤に乗って飛来する、、、ああいうのも宇宙人ですが、
 それと、もう一つ、金星人とか、土星人とか、アンドロメダ星系から来たとか言って、人間にそっくりな容姿の宇宙人の話があります。 
 金星人は美女だとか。笑

 後者の宇宙人。彼らはたいてい、人類より進んだ技術や文化を持っていることになっています。(ま、グレイも進んだ技術持っているようですが。笑)
 彼らが、「人に似た宇宙人」が地球に文明をもたらしたとか、あるいは人間を作った・・・という話もありますね。

人間より古い知的存在・霊的存在とは、天使

 昨年、日々の読書の中で、2冊続けて「鞍馬山」と「サナート・クマラ」という宇宙から飛来した存在の話が出てきて・・・。『聖なる予言』の「偶然の一致」じゃ無いですけど、これはただ事では無いと思って。だって、一年のうちにだって読んだ本の中で鞍馬山が出てくることってそんなに多く無いですよね。それが、2冊続けて出てきたんです。尋常ではありません。そこで、コロナの最中でしたが、夏に鞍馬山に行ってきたんですよ。埼玉から車で。

 鞍馬山。クマラが転じて、鞍馬になったと言われたりしています。
 鞍馬山の天狗が、かの源義経を幼少期に鍛えたと言われていたりしますね。

 この、サナート・クマラも、650万年前に金星からやてきた存在だと言われています。あるいは、1850万年前に金星から来たとか。
 1000万年も開きがありますが。笑
 鞍馬山の、サナート・クマラが着地したという場所も、写真撮ってきました。

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なぜか、360度写真ですが・・・

 人類のスタートは、30万年前とか、600万年前とか、諸説ありますが、ま、いずれにしても、人類スタートの遥か昔、あるいは、人類誕生の頃にサナート・クマラが地球に来た・・・という話になります。

 わたしが知る限り、宇宙人と呼ばれる存在は、サナート・クマラみたいな感じで、人間よりも古い存在で長い歴史を持っていて、人間に文明を与えたりして。人間より進んでいて、遅れた人間を指導していますよね。人間を指導する際には、こう、ホワーっと光で包み込んでなんとなく悟らせる・・・とかではなくて、言葉でコミュニケーションをとって、教えてくれているイメージが多いです。

 そうするとですね、そんなに前から、つまり、人間誕生の前から存在していて、そして人間よりも高いもしくは同等の高い知性や知識を持っていて、人間とコミュニケーションを取れる、同型種の似たような存在となると、それに合致するのは天使なんです。

 ただ、天使というのは、神さまと同じで、この宇宙、物質界で生まれた存在では無いので、物質でできた体は持っていません。通常は。
 でも、天使は、必要に応じて、物質的なボディーを持って人間とコミュニケーションをとることもできるようなんですね。人間と相撲をとったり、話したりしているエピソードが、聖書にも書かれています。

天使と相撲をとったヤコブ、聖書の中の話

 旧約聖書、創世記32章24節から30節。
 イスラエル民族の名前の由来となった、ヤコブという人が天使と相撲をとったエピソードが上の聖書の箇所に書かれています。(ヤコブが天使に勝ったので、勝利した人という意味でイスラエルと名乗るようになった)

 このエピソードはキリスト教やユダヤ教文化圏ではとっても有名で、昔から絵画にも多数描かれていますし、わたしがカソリックの国南米のパラグアイに行った際も、公園の真ん中にこのヤコブが天使と相撲をとる大きな銅像が立っていました。裸の尻がヤコブです。天使は翼をはやしています。ヤコブに負けたくせに、買ったようなポーズをとっていますね。笑

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 また、日本の「相撲」という言葉も、この「ヤコブ」という人の名前が由来になっているようです。ヘブライ語で「ヤコブ」と言うと「すもう」と言う音に近いのだとか。ヤコブが相撲で勝ったので、相撲競技に「ヤコブ」を意味する名前がついたというわけです。(まあ、この話をすると日本ユダヤ同根説も出てきちゃいますが・・・ここではそれは置いておいて)

 いろいろとネットを検索して見ても、聖書のこの箇所で、『ヤコブが天使と相撲をとった!』と書いてあるんです。
 でも、その箇所を実際に聖書で読んでみると、天使という言葉は一つも出てこないんです。某所からそのテキストをいただいて貼り付けますと・・・

32:24 ヤコブはひとりだけ、あとに残った。すると、ある人が夜明けまで彼と格闘した。
32:25 ところが、その人は、ヤコブに勝てないのを見てとって、ヤコブのもものつがいを打ったので、その人と格闘しているうちに、ヤコブのもものつがいがはずれた。
32:26 するとその人は言った。「わたしを去らせよ。夜が明けるから。」しかし、ヤコブは答えた。「私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ。」
32:27 その人は言った。「あなたの名は何というのか。」彼は答えた。「ヤコブです。」
32:28 その人は言った。「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。あなたは神と戦い、人と戦って、勝ったからだ。」
32:29 ヤコブが、「どうかあなたの名を教えてください」と尋ねると、その人は、「いったい、なぜ、あなたはわたしの名を尋ねるのか」と言って、その場で彼を祝福した。
32:30 そこでヤコブは、その所の名をペヌエルと呼んだ。「私は顔と顔とを合わせて神を見たのに、私のいのちは救われた」という意味である。 

 以上、その箇所なんですが、天使という言葉はありません。
 ヤコブは、「人」と戦ってたと書いてあるんです。
 でも、その「人」は自分を「神」と言っているようにも思える箇所がある(32:28)」でも、天使という言葉はない。
 32:30の「私は顔と顔とを合わせて神を見たのに、私のいのちは救われた」と言うのを見ると、ヤコブ自身は、その「人」を「神」だと思ったようなんですよね。

 でも、このヤコブの相撲のエピソードのことを検索すると、どこの記述を見ても、「ヤコブが天使と相撲をとった」と書いています。不思議です。

 これらから導き出すと・・・神と人と天使って、その差が明確では無い。(存在論としての定義は明確なのかもしれませんが)
 歴史的に、その表現のされ方として、同一的に扱われることが少なく無いんですね、神と人と天使。だから、人なのに神な人もいますよね。

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 超常的な、超人的な、何かしらの力を持つ霊的存在を、神、ということがあると・・・。あるいは、上級の天使を神と呼んでいる場合もあるかもしれません。特に、一神教では無い世界観の中にいる人は。

天使は自分で自分を天使とは言わない?

 さらに、面白いのは、聖書をぺらぺらと読んでいきますと「天使」という表記自体が思ったほど多く無いように思うのです。全部を完全につぶさに見ているわけでは無いのでアレですが・・・。

 上に書いた、ヤコブのエピソードのように、天使という概念を持って読めば、「ああ、これ、天使だな」って思えるんですけど、「天使」っていう言葉は、後日、研究する上である存在を定義するのに「天使」って命名したってことなのでは無いかなと、思われます。

 だから、天使という存在がいるとして、その天使に「あなたは誰ですか?」と質問しても、「わたしは天使だ」と答えるとは限らない! ということが言いたいんです。
 天使は、自分が「天使」という名称の存在だと認識していない可能性がある。なぜなら、それは後日、人間が勝手につけた総称だから。

 例えば、宇宙からある存在がきて、「あなたは誰だ?」とわたしにたずねるとします。
 わたしは、個体の名前として「ハラダジイプです」と、答える。もしかしたら「日本人だ」と、付け加えるかもしれない。
 しかし、相手は、
「え? お前はビグルヒイッピー』では無いのか?!」
 と、びっくりする。
 実はこの、「ビグルヒイッピー」とは、彼らの言葉で「地球にいるヒト種」の意味だったのですが・・・。
 (いやこれは、あくまでフィクションでの例えです。分かりづらくしちゃったかなあ・・・汗)

 何が言いたいかと言いますと、
 コミュニケーション相手の認識状況によって、こちらが何者であるかの正解が変わることがあるだろうということなんです。

 江戸時代、外国の人が来て、日本の一武士を捕まえて「お前は何処の人だ!?」 と質問すると、その武士が「薩摩の者でごわす」と答える。しかし、外国人はまだ日本国内の細かい藩の区分があることを知らないので、「え? あんた日本人、日ノ本(ヒノモト)の人じゃ無いの!?」と、驚く。
 そういうことがあっても、不思議では無い。
 でも、その武士としてのアイデンティテイは、あくまでも「薩摩藩士」なので、「薩摩ものである」と答える。

 そんなことで、何者だと聞かれたら、自分が所属するコミュニティーの場所の名前を返答する・・・というのは、よくあることだと思うのです。

天使は宇宙中に配置されている

 天使は、神さまの宇宙創造の際に、宇宙の各部の創造の経綸役として、各地に散らばっている。そして、今も、その任地を守護しているとします。
 (経綸【ケイリン】は「国家の秩序を整え治めること」という意味で、シャカシャカこぐヤツとは違います、中野浩一さんのとは違うのです)

 宇宙の各地各部と言っても、天使は肉体を持たない霊的な、神的な存在なので、宇宙のある場所を見守っているとしても、存在自体は霊体の次元に置いている。(だから、地球から物理的な手法では観測できません。例え数十億、数百億、数千億の数の天使が集まっていたとしても・・・)

 それで、金星付近の霊体次元に待機している天使とか、土星の天使とか、あるいは、アンドロメダ星雲方面を担当して、そのアンドロメダの各星系の霊体次元に居て宇宙の運行を守護しているアンドロメダ天使なんかがいる。宇宙には無数の星系があるので天使も無数に居る。そんな風にも考えられると思うのです。

天使が自分を「金星人だ」と言う理由

 その、天使が、何かの用事があり、地球に来て、人間とコンタクトして。
 その時人間から、
「あなたは誰ですか?」
 と、問われた時、なんと答えるか・・・。興味深いです。

「金星の者です」「アンドロメダの者です」というような答えをする。
 あるいは、
「金星人です」「アンドロメダ星人です」と、なることもあるかもしれない。
 先に例にあげた、侍が、「薩摩のもんでごわす」と答えたように。

 特に、天使が、自分を「天使」と言う名称の存在だと認識していなければ、霊的な存在として近い人間と同じ名詞を使って、「金星のヒト」「アンドロメダのヒト」である・・・と、答える可能性は高くなります。
 「金星に住む者」の意味で、「金星人だ」と答える場合があってもそんなにおかしなことでは無いということです。

天使は地球上で自由に姿を変えられる

 UFOってありますよね。
 未確認飛行物体がUFOだから、正体が確認できるまでは、それが実は鳥でも飛行機でもドローンでも、確認されるまではUFOなのですが・・・。

 最近は、キラキラと綺麗に光るUFOの動画が、どこぞに置いてあって見れたりします。Youtubeとか。
 しかも、UFOのその光が、どんどん色や形までを変えて、不思議に動く。

 アレも、天使なんです。

 天使は、霊的世界から、こちらの物質世界に顕現する時に、形を自由に選べます。
 どちらかと言うと、人間が喜ぶ形態で現れることが多いみたいですね。サーボス精神が旺盛。

 別に、彼らは羽とか翼をはやした存在では無いらしいのですが、人間が、羽があった方が天使っぽいと思うので、そう言う人の前には羽の生えた姿で現れるそうです。(なんで知っているんだ?)

 だから、キラキラした綺麗な色で空を飛ぶと、人間が喜ぶでしょ。
「ほぅー!」って、有り難そうに眺めるでしょ。動画も見るでしょ。天使も、YouTubeのカウンターを意識するんですね。だって、せっかくならたくさん見られたいですもんね。

 天使なら、物理法則に左右されませんから、光状態になって、どんなスピードでも、どんな方向にでも、方向転換も物理的には無いくらいの鋭角でクイックリーにできてしまうと言うわけです。

 そなると、あの、光のUFOを見て、金星人が乗っているとか、アンドロメダ成人が乗っているとか言っても、そんなに間違いでは無いんですね。

 そんなことで、宇宙人は天使だ。UFOも天使だ。と言うお話でした。
 まあ、UFOは、未確認飛行物体で、たくさんの種類があるので、中には空を飛んだ灰皿を見ている場合もあるとは思いますが・・・。

おしまい

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