見出し画像

「神を信じる」には、2つの意味があった。

「神を信じる」には、2つの意味があった

「神を信じる」には、2つの意味があった。
ことを、さっきふとさとった。
 2つって言うのは、神の存在を信じる場合と、人格としての神を信じるという場合だ。

 なんのことか・・・

「父を信じる」と言った時に、どういう意味だと考えるか・・・
 それを、「父が存在するかどうか」という意味だと考える人は、まあ、ないだろう。
 「父が善人(悪いことをしない人)だと信じる」とか、「父は親として子である自分のことを愛してくれていると信じる」とか。 そういう意味のことを考えるだろう。つまり「父の存在」ではなくて、「父の人格」を信じている、とでも言いましょうかね。

神が存在するかしないかは、まだ未明の世の中

 「神を信じる」という場合に、神が存在するかしないかという論点が前提にあって、その論点に対して「自分は存在を信じる立場を取るよ」ということで発言する「神を信じる」が一般的なんだと思う。違うかね?

 神が今はまだ明確になっていないこの世界だからそういうことになるのだと思う。
(この場合の「神を信じる」は「UFOを信じる」というのと同じだろう。まあ、UFOだと「未確認飛行物体を信じる」ということになってさらに定義が曖昧で厄介になるから「宇宙人を信じる」という方が例示としては適切かも・・・。笑)

 よく、クリスチャンの伝道師が街で「あなたは神を信じますか?」と言っているその質問の意味はそう言うことでしょうね。神が存在しすると信じていますか? という意味。

人格的な意味での信じる・・・

 一方で、この「神を信じる」という言葉を「父を信じる」という時の意味で考えるとどうなるか。
 「神は存在すると信じている」が、その神の存在を信じている人が、その神を人格として信じているかどうかはまた別だということなんだな、これが。

 神を信じる。神の人格を信じる。
 全知全能者である神の、その人格をも信じていると、人間はどう考えどう行動することになるのか・・・。神が愛なり、という事を信じているか? 全知全能なることを信じるか? ということ。

 神が言う。
「わたしを信じろ!」
 と。
 それは、「わたしがいるに決まっているだろう!」と言う意味ではないはずだ。
 「わたしを信じろ!」の意味は深かったと言うお話なんですよねえ。。。

この記事が参加している募集

最近の学び

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?