見出し画像

限りなくADHDな私とミニマルライフ


 私は以前から私自身に発達障害、特に「ADHD」の傾向があると感じていました。

 息子は今でこそ軽度知的障害と診断されていますが、小さな頃は広汎性発達障害と診断されていました。

このような子供に特徴的な幼少期の育てにくさ。息子にもありましたが、私自身の幼少期にも育てにくさがあったと母や祖母などから聞かされていました。

十数年間、小学校教諭をしてきた経験を重ねてもうっすらと「遺伝的要素」を感じることがありました。これはあくまでも私の私見です。

息子のことを知った時(息子のことは診断前から
気付いていました)「きっと私もそうなんだ…」と思いました。

私には大人になった今でも、どうしても敏感で繊細すぎて、感覚的に耐えられないことや不得意で出来ないことがあります。

音や光に敏感で感覚的に受け入れられないと
疲れすぎてしまったり、気になりすぎると眠れなくなってしまったりします。

それ以外に一番苦手で困ることはモノの管理や整理整頓ができないことです。

自宅で困る分には自分が困ることなので、まだ良いのですが、仕事の場面では本当に困りました。

特に教員は、あつかう書類、文書の量が膨大なので「分類して整理する」ことが苦手な私にとり許容範囲を越えるものでした。

必要な書類を無くすこと、必要なときにパッと取り出せないことが苦痛で苦痛で…。

特に、他の先生に提出すべき書類を紛失してしまい、お願いして再度頂くことが多く、人に迷惑をかけてしまうことが本当に申し訳なく辛いことでした。

その頃は頭の中がとっ散らかっていたし
「どうして私は…?」と自分を責めることばかりで自分をいじめまくっていました。

今思うとそんな中でよく仕事をやってこれたものだなぁ…と思います。

ミニマルライフはそんな苦しい私を「私自身が救う」ためのものでした。

「ミニマリスト」という言葉も知らず、もしかするとまだ存在しない頃…かれこれ5~6年前からになるでしょうか…?

昨年、メンタルクリニックのかかりつけ医から、さらっと「あなたはADHDだよ、おそらくね」と言われました。

「あ!やっぱりですか?ついでにHSPでもあると思います。」と私が言うと、先生は「自覚あったんだね。あなたの生きにくさは、そこから来てるものだよ。よく頑張ってきたね。あなたは器用だし好奇心もあるし、できることは必ずあるよ。自分のペースで見つけていこう。」と返してくださいました。本当に安心できる言葉でした。

私は私のままで存在する。今ここ…を大切にしながら、私の価値観で
私にできることをやっていて良いのだ。

どうしてもできないことは、できなくて良いし、感覚的に我慢できないことは我慢しなくて良いのだ…そう思っています。

ミニマルライフは私にとって治療でした。少ないことは良いことだ!ということではなくて、発達障害であり、多忙過ぎて壊れてしまい、うつ病になった私が


「自分を認め」
「自分を許し」
「心にゆとりをもち」
「愛を感じ」ながら
「最適に」
「心地よく」
「笑顔で」

生きるための生き方です。


私たちの暮らしは、情報やモノに
囲まれ過ぎて、溺れそうになっている…。

生きることは、もっともっと
シンプルで良いのです。


*この文章はアメーバブログに掲載したものです。








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?