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ミニマリストが時々陥る「消費の罪悪感」ついて。「消費」の概念をもっと細かく考えて克服する

ミニマリストといえば「消費しない人」ってイメージでしょうか。

なんとなく「反消費主義」「反物質主義」だと思われがちです。


わたしもヘンリー・デイヴィッド・ソローにけっこう傾倒しているので、買い物だったり消費に罪悪感を覚えることがしばしばあります(笑)

たしかにミニマリズムはヒッピーなどのカウンタカルチャーと相性が良く、実際にそのような行動に出つつ、ミニマリストを名乗る人もいます。(海外が主)

とは言え、この日本においては尖った思想をもってミニマリストになる人は少なく、ふつうにお買い物もする。

わたしたちはみんな森の中で暮らしているわけではないので、日々、なんらかの消費活動をします。


しかしそうなると、たしかにミニマリズムと矛盾しているような気もする…。

なんだか「これでいいのか?」という罪悪感がムクムクと湧いてくる。


そこで考えたいのが「消費」についてです。

「消費」は「購買」「所有」「消費」と切り分けて考える

いろんなメディア空間の中で、

買うこと、持つこと、使うこと

が一色たんにされて「消費」という言葉で表現されているような気がしてなりません。

ここをひとまとめにしてしまうと、ちょっともったいないと言うか、わけがわからなくなって、矛盾と罪悪感が生まれるように思います。

購買とはまさに買うこと。お買い物です。

所有とは家の中に持ち込む、保存、保管すること。(余計ややこしいか?)

そして消費とは、実際に使うことですね。

この内、ミニマリズムをもっとも厳格に適応させるべきなのは「所有」というフェーズでしょう。

大事なのは、所有量と消費量をイコールで結ぶことではないでしょうか。


つまり持っているモノを全て”使い切る”ことです。


これを意識すると、ミニマリズムの精神は保たれなからがらも、生活の楽しみや人間関係も阻害されない。

消費しきれるならば、所有していい。
消費しきれる所有ならば、購買していい。

こう思うと、漠然と感じてた消費への罪悪感もすこし和らぐのではないでしょうか。


わたしたちミニマリストは、モノが多すぎる弊害を解決するためにミニマリズムを行使するわけですが、「だから、消費もしない、所有もしない」という選択は現実感が薄く、あまり有用な解ではないでしょう。


しかし冷静に考えてみれば、社会にとっても個人にとっても、問題を引き起こすのは、「消費しきれないほどの所有」だと思います。


つまり「使い切る」ことを目標にすると、現実的で、かつミニマリズムのメリットを享受することができ、ちょうどよい塩梅に思える。

消費という概念をいったん砕いて3つに分けてみる。

その上でもう一度ひとつに結び直すことで、よりミニマリズムに対する理解が深まった気がします。

で、なんでそんなことを思ったかと言うと、『人はなぜ物を欲しがるのか:私たちを支配する「所有」という概念』と『使い切る』という本を読んだから。


立て続けに読んだこの2冊。
学術書的なディープな本と料理研究家 有元葉子さんのエッセイなのですが、自分のなかでは妙につながる部分がありました。


興味ある方は読んでみてください。

人はなぜ物を欲しがるのか:私たちを支配する「所有」という概念 Amazon

使い切る Amazon

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