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利益追求の果てにあるもの

 このところJR東日本への苦情をニュースでよく見る。いち企業としては(五街道始め日本で1番の生活動線をいち企業が握っていることが問題だが)、みどりの窓口閉鎖も京葉線の快速減便も、本数削減も列車ワンマン化も、利益を追求するための効率化であることは誰でもすぐにわかること。

 だけど、利益追求の先にあるものって何だろう。「経済の話」で書いたけど、お金は何かと交換するための手段であって、お金を表す数字の印刷自体が目的ではない。利益の先にある「究極の目的」が人の幸せでなければ利益それ自体には何の意味があるのだろうか。
 空前の利益を追求する企業が天文学的なお金を集めることができたとしたら、果たして何が欲しいのか?日本に流通するお金を全額、自社に集めれば気が済むのだろうか。

 窓口がなくなり車掌さんがいなくなり、おそらくそのうち運転士も要らなくなり、車両のメンテナンスにも手がかからないようになる。人が要らなくなるわけだけど、これは鉄道に限らずすべての分野で進んでいる。すべての分野・業界が自動化して省力化して人が要らない社会になったとき、どうなるのだろう。
 みんな仕事がなくて失業者ばかり。めぐり巡って自分の会社にも客がいなくなってしまう。
 お金がかかるからと人件費を削って利益をあげ、お金がかかるからと遺産になるかもしれないものを廃棄処分したぶん利益があがる。このあたりがちょうどいいだろうから、もうやめようよという発想はないのだろうか。
 
 過ぎたるはなお及ばざるがごとし。「足るを知る」がわからない企業ばかりになったら経世済民どころではなく、みんなが苦しむ。
 
 「自動化が進めば、それに取られていた時間を人はほかのことに使えるようになる」と、スーツ交通さんが記事に書いていたが、ほかのことも自動化が進んでいる。すべて自動になった果てにスーツさんは何をするのだろう。
 
 効率化しすぎて従業員が不要となった社会では、ついに電車に乗る客そのものがいなくなり、鉄道も無用になってしまう。そこまでして増えた利益を株主に還元したところで、効率化の果てにある世界で株主は何を買おうというのだろう。 

 どんな幸せを描いて進むのかという、利益追及の目的地がなければ儲かる企業の価値などないとおもう。

なんてかわいい新幹線なんだ。


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