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ADHD事務職の私が当時困っていたこと

5月1日から復職することになりました。(まだ産業医のOKはでていないので仮)。ただ、このままNo武装、No戦略のまま挑んでも二の舞になるのは目に見えています。なので、当時働いていた当時困っていたことを振り返りたいと思います正直気が乗りません。深淵を覗きに行かないといけない気分です。やだやだ。なのでこの記事を書きながら考えることにしますw


うーーーん。なんだっけ・・・・。もともと記憶力が薄いので思い出すの大変だなあ。

①周りの想定している時間内に終わらない


私の仕事は経理でしたが、経理は小さなタスクが大量にあります。1カ月で100個くらいかな?振込のほか、日々の決算に向けた仕訳起票、マニュアルの作成、引継ぎ、予算の管理、監査資料の提出、その他管理表の作成、社員からの質問など。さらに加えて、業務改善もマスト。一度、これができなくて、評価を下げられたこともあります。二度続くと減給なので、精神的ダメージは大きかったです。

でも業務改善なんてできない!!
まず定例業務だけでいっぱいいっぱいでした。ですが、上司や先輩からすると、そんなに時間がかかるはずがないとのこと。たしかに。そりゃあそうだ。タスク表という全員が閲覧できるものに、想定時間がかかれているが、それをはるかにオーバーした時間を私はかけていました!

しかも、そのタスク表の時間を修正することもしなかったです。正直、思い付きもしなかった。先輩がある日、タスク表をもとに私の月にかかっている時間を算出してくるまでは・・・・。「タスク表によると月○○時間しかかかっていないはずなのに、残りの時間は何をやっていたんですか?」チー―――――――ン。死亡。グッバイ!!!

では、なぜオーバーした時間がかかったのか

ふざけすぎました。真面目に考えます。

仮説1 集中力が足りなかったから
→これはあるね。完全に。睡眠不足だったし、チャットがきたらそこで集中力が切れるし。ADHDの特性もあると思うけど、そもそも万全な体調で挑めていなかったのもある。

仮説2 気にする必要のないところまで、こだわっていたから
→これが一番かもしれない。例えば、なぜか数字が合わないとかあると、なぜ?なぜなの?と考えていた。もうこれは、どんなに時間がかかろうともあらゆる可能性を考えて追及していた。トレジャーハンターのように夢中だった気がする。笑 そしたらあっという間に2時間とか3時間経っているんだよね。しかもその結果、解決しないこともあった。

仮説3 どの位の時間でやるべきか分かっていない、決めていなかったから
仮説2に連動していますね。気になることがあれば、時間を気にせず(頭の中では、気にしなきゃと思ってあと少しだけ、あと少しだけ・・・で時間がたっている)、とことん調べていたもんね。ダメだねw

仮説4 周りに正しい想定時間を伝えられていなかったから
単純にタスク表の時間が間違っている場合もあったと思います。特にうちの会社はベンチャーで仕事は日々変化していたのに、私はみんなが参考にしている(ということは後から知ったがw)、想定時間を修正していませんでした。例えば、本当は60分かかる仕事を15分とタスク表には記載している感じです。そりゃあ周りと認識の齟齬が生まれます。

②仕事の期日を把握できていない、依頼がギリギリになる

①は一応タスクは把握しているうえで時間がかかってしまうケースなのですが、そもそもタスクを把握できておらず、期日ごと忘れたり、動き出しがギリギリになるパターンもありました。この原因は・・・

仮説1 そもそも、そのタスクを把握できていない、忘れる。
タスク表に書かれているタスクはあくまで定例業務です。そのほかにも、イレギュラーで仕事は降ってきますが、私はこの仕事の抜け漏れが多かったです。その原因の1つは、メールやチャットを見落とす。読んでメモをするのを忘れる。メモはするけど、メモした後に見返さない。記憶もなくなる。

仮説2 手を付けるのが遅い。
大体10分くらいで終わると思った仕事がやってみたら、あれ意外と時間がかかる・・・終わらないということが多かったです。また、これ誰かに依頼しないといけないとギリギリで気付いて、短納期で依頼することもありました。

その結果・・・

報連相が全くできなくなりました。
なぜなら、自分の進め方が悪いことが原因による進捗の遅れのため、バツが悪かったんです。1円合わないのが気になって、3時間かけた結果、解決もしませんでした。そんなこと言えません。

また、1つの仕事に夢中になってしまい、仕事の全体は把握できていませんでした。なので、終わりそう?とか聞かれてもわかりませんでした。

それでも入社して1,2年はなんとかやれていましたが、ある日を境にダムが決壊するように仕事が回らなくなり、その状態が半年続き休職に至りました。

はあ。書いてたらつらくなってきました。自分が悪いですね。完全に。
でも自分を責めるのって簡単で、私の癖でもあるので、あえて、自分のせい意外の原因も考えてみました。

敢えての外部要因

①仕事量がそもそも多すぎる。
私は当時、10時から22時計12時間仕事をしていました。
いくら私の要領が悪いといっても、こんなに頑張っても頑張っても終わらなかったのは単純に仕事量が多かったのではないのでしょうか。(あえて言っています。。。)また、まったく同じ仕事をしている人はいなかったのですが、周りも10時ー22時で働くのは普通でした。

②ドライな環境が合わなかった
今の会社はベンチャーで、やることをやって成果さえだせばOKという風潮で、大人な会社です。なので、明らかにキャパシティオーバーになっていても、自分から具体的な解決策を出さないと、放置される環境でした。
新卒で入った会社は、珍しいのかもしれませんが、かなりおせっかいな会社で、「今なにやっているんだ?」「終わるのか?」などこちらからコミュニケーションを取らなくても聞いてくれる環境でした。また、上司も仕事が終わっていなかったり、ミスも多い人だったので、ポンコツな話をしやすかったです。

③先輩や上司と合わなかった
上司は冷静沈着でかなりデキル人でした。MBTIでいうと絶対「J(計画的)」だろうなって感じの人で(実際Jらしい)、上述したようなことは死んでも相談できませんでした。でもかなり放任主義の人で、私の仕事のプロセスまでは大きな関心はなく、期日に間に合っていれば、そこまでうるさく言われなかったので、なんとかなりました。あと普通に面白い人なので、怖いけど好きでした。でも、好きかつ尊敬しているからこそ、アウトプットに対して、激烈なフィードバックをされるのは精神的に来ました。

次に、先輩。といっても私の後に入社してきた人なので、1年間くらいは特に何も言われませんでした。むしろ、相談に乗ってくれたり仲良しでした。
ですが、2023年10月から急に厳しくなり、タスク表の棚卸事件も起きました。この人にはほぼ監視されているかのような感じで、細かくフィードバックされて、当然私が悪いので、どんどん病みました。
でも、先輩は「間違っていることを間違っている」と言っただけなので何も悪くありません。でも正論をずっと言われたり、なぜ?なぜと理詰めされたり、そんなことは新卒で気づくよと言われたり、色々傷つきました。

終わりに


はあ。うまくいかなかったことを振り返るって、嫌な作業だね。。。
でも、頭の中で考えるよりだいぶ整理されました。例えば、私は「報連相が苦手」と考えていました。しかし、本当は報連相が苦手ではなく、報告の内容に自信がないからできなかっただけだと、書いていて気づきました。

次は、振り返りをもとに復職に向けた作戦を考えていきたいと思います。
では!




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