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身近なひとと過ごすということ
今年の年始は、2年ぶりに実家で過ごした。
特になにをしたというわけではなく、ただただ晴れた空を見ながら、暖房のよく効いた家のなかで、わたしのつくったおせちを食べてもらいながら家族と過ごしただけなのだけれど
この2年ほどは仕事が忙しかったので、年始だけではなく、ほとんど実家に立ち寄ることがなかったものだから、こんなにのんびりしていいものかと軽い罪悪感さえ覚えた。
忙しいことは、いいことだとよく言うし、わたしも仕事が忙しいのは、確かに疲れるけれど、そのぶん充実感もあって嫌いではない。
休みもほとんどなく、仕事をしていれば、「おお、生きてるな、誰かの役に立っているな!」と、とても強く実感する。
けれど、その充実感の裏には、何かを犠牲にしているということを、わたしは長らく見過ごしていた。
気づけば、一人暮らしだったわたしは、家族だけではなく、友人や付き合っていたひととも会うことも話すこともなく、この2年を過ごしていたのだった。
会う暇も話す暇も、LINEやメールをする暇すらないと思っていたけれど、正確に言えば、自分で暇を、余裕を、なくしていったのだと思う。
やりたいことを見つけて、ひたすらに頑張ることは、いまでも間違っていないと思うし、これからもそうしていくつもりでいる。
けれど、すこし立ち止まって、まわりを見渡したり、身近なひとたちのことを気にかけたり、すこしゆっくりとした時間をもつことがわたしには必要で、きっとわたしの知らないところで、たくさん支えてもらっただろうから、今年は身近なひとと過ごすことを大切にしなければな、と金柑の甘露煮を食べながらぼんやりと考えたのだった。
一ヶ月以上も経ったいまになって、そんなぼんやりとした考えを改めて思い出したのは、今日が祖母の七回忌だったからだ。
大人になったからこそ会いたくて話したい、そして写真に撮りたいひとは、いまはもういないのだ。
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