「将来やりたいこと」が見つからない人に伝えたい3つのこと
「将来何になりたい?」と言われて困ったことがある。
そもそも、どんな選択肢があるのか、わからなかったからだ。
小学生のころは、世の中のことがさっぱりわからなかった。社会人の生活と自分の学校生活がまるで別世界のようで、自分が働くという想像がうまくできていなかったのだと思う。
そんな私は今、会社員→教員→専業主婦を経て、個人事業主となった。
今日は、「将来やりたいことがない人」に伝えたい3つのことを、記事にしてみた。
自分がやっていることについて「本当にこれでいいのかな」と感じている人、「将来何をしたいのかイメージがわかない」人の参考になればと思う。
1.将来のために、今やりたいことに嘘をついてないか
将来やりたいことがない人には、今やりたいことに向き合うことをおすすめしたい。
例えば私の場合、子供の頃から絵を描くのが好きだった。高校進学では普通科を選んだが、将来のことを何も考えずに「そのときやりたいこと」を選んだら、「美術科に行きたい」と親に言っていたと思う。
でも、「家が遠い」「学区外だ」「下宿?一人暮らし?」「親を説得するだけの覚悟があるか?」と自分に問いかけた結果、親に希望を伝えることもなく、地元の普通科に進学した。
「絵描きで食べていく」という明確なイメージも覚悟も持てなくて、「なんとなく」のレールに乗ったのだ。
最終的に美大に行き、今現在は画家・グラフィックレコーダーとして活動しているので、回り道が悪かったとも思えないが、私が言いたいことは一つ。
「今やりたいこと」は、「将来もやりたいこと」につながっている可能性が高いのではないか。
(「そもそも今やりたいことがわからない」という人には、私がやってよかったと感じたワークや、本、自己分析方法を紹介できます)
2.やりたくないことに正直になる
「やりたいことを見つける」のは、簡単なことではない。
「立派なことじゃないと」とか、「本当にやりたいことじゃなきゃ」「生涯をかけてやり通すようなことでなくては」「自分らしさを生かさなきゃ」などと、他人の価値観や世の中の風潮に影響を受けやすいと感じる。
「本当にこれでいいんだろうか」って思うことが、私も何度もあった。
でも、最近思う。
やりたいことがないのなら、ないままでいいんじゃないか。
そういう人は【やりたくないことを全力でやらないように努力する】方向に動くのも、ありじゃない?
やりたくないことを全部取り除いたら、それってやりたいこと(もしくはやってもいいもの)しか残ってないのでは?
例えば、私は集団を相手にすることや、代わる代わる人と接する仕事(1日に100人とか)が苦手。それから、朝決まった時間や早い時間に起きたくない。自分のペースで仕事をしたい。たくさんの案件を同時に抱えるのもあまり得意ではない。大勢の人の調停役みたいなのも、気を使って疲れるから、大きな組織にはいたくない。
私は嫌なことを全力で避け始め、面白そうなこと・ちょっと怖いけど楽しそうなことだけやり始めたら、個人事業主になっていた。
今、以前よりずっと快適だ。これはこれで、「やりたいことをやっている」状態になっている。
3.「将来」やりたいことが、明確じゃなくても大丈夫
子供の頃、よく聞かれたのが「将来の夢」だ。
私は「画家」「漫画家」「パタンナー」「Webデザイナー」などと答えていた。でも、どれも「夢」「憧れ」レベルで、「目標」ではなかった。
子供心に、「画家なんて実際に見たことないし、どうやってなるのか、そもそも生活していけるかもわからない。あまり現実的じゃないな」「お金は欲しいけど、【何かになる】って言われても、イメージが湧かないなあ」「長時間労働になりそうな仕事ばっかりで、やだな」
などと思っていた。
今振り返ってみると、私の本音は「既存の枠の中で働きたくない」だったのかも。
すでにある枠の中に自分をおさめにいくのが、どうにも窮屈で息苦しいのだ。
実際、今の時代ははっきりと職業や肩書を一つに絞れる人ばかりではない。それくらい、働き方も、仕事の内容も多様化している。
そんな時代だからこそ、明確な目標に向けてコツコツ頑張るのもいいけれど、「行き先を決めずに、様々なジャンルのものに触れ、それらの経験全てをひっくるめて自分の仕事にする。」
そんな人生があってもいいのではないか。
私が今、感じていること
「明確な目標がない」ことにコンプレックスを持っていた私が、今はそれなりに毎日を穏やかに過ごせている。(多少の波はあるけれど)
それはきっと、自己啓発書やコーチング、アサーティブコミュニケーション、心理学などで「自分を大切にする」術を知ったからだ。
自分と向き合い、自分を知ると、自分に優しくなれる気がする。
息苦しかった毎日が、穏やかで心地よい毎日になる。
ソファーに座ってあったかい紅茶を飲んだり、自分の好きなことで「ありがとう」と言われたり、「バナナが折れちゃった。バナナをくっつけてよ!」と大泣きする我が子をなだめたり。
そんな今の毎日が、私にはなんだかとても優しいものに思えるのだ。
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