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言語と料理の「創訳」とは

 他国の言語の翻訳について、文章をそのまま訳す直訳と文脈に沿って訳す意訳という二つの基本のアプローチがある。近年では、元の言葉にはない意味合いを創り出す「創訳」が注目されている。一方、二国間における料理の伝播と受容は、本場と違う味や形で「翻訳」されていることも多い。言語と料理、どこか似ているところがあるのだろうか?

「創訳」とは

  今年の初めに京都でmorph transcreationの共同創立者の一人である小塚さんと会う機会があった。初めての面会だったが、創訳と料理の翻訳について話が盛り上がった。
 創訳の由来は、実はトランスクリエーション(Transcreation)である。そのTranscreationは、Translation(翻訳)とCreation(創造)を掛け合わせた造語だ。それは単にメッセージを翻訳するだけでなく、元の言語で作り出されたものを、他の言語や文化に適合させて再構成するということを意味する。1960年代頃から欧米の広告業界で使われ始めたそうだ。しかし、Oxford Dictionaryなど幾つかのオンライン辞書で調べたが、なぜか意外にも登録されていないようだ。一般的に広く認知されているというわけでもなく、まだ業界用語なのだと感じられる。

  小塚さんのmorph transcreationとは、東京・ロンドン・ニューヨークに拠点を置く、「創訳」に特化し、多言語で戦略的なメッセージを設計する世界的にも珍しい企業だ。小塚さんは、創訳は「新しい共感をつくる技法」でもあると説明していた。創訳は、言語と言語、文化と文化、異なる何かの間に新しいアイデアを生み出す方法として、 言葉、社会、認知の構造を分析する。より効果的に伝えるための意味創造で活用されている。例えば、1804年創業の老舗京湯葉専門店「千丸屋」の仕事では、湯葉を「Golden Leaves」と創訳するなど、湯葉の再定義のプロジェクトを実施していた

 小塚さんによると、湯葉の英訳は一般的に「soy skin」とされているが、湯葉を食べたことのない英語圏の方々にとっては、この表現だけでは良いイメージが湧きにくいかもしれない。湯葉は自然の恵みと清らかな水によって育まれ、一枚一枚に多様な紋様が描かれるものので、その美しい風情を含めて理解していただけるよう、「golden leaves」と創訳した。この新しい表現を通じて、湯葉の価値が新たな視点で評価され、海外展開に向けた経営戦略の幅も広がっているという。

 こうしたように、創訳は、対象国の文化的な差異を考慮する必要性のあるクリエイティブなプロセスとして、目的に沿って利用し、企業にとってのマーケティング上で利益をもたらしている。

 小塚さんとのお話から、異国間の料理の伝播も一種の「創訳」ではないかと感じた。

料理伝播のプロセスからみる「創訳」

   料理の伝播は、基本的に「受容→変容→定着」という3つの時期で構成される。例えば、日本の中華料理は中国の料理文化の影響で日本に伝播して、最初の受容期にできるだけ忠実に再現しようとして、そのままの形で中国の料理を導入した。その時期の中華料理のレシピ本には、いまでは中国料理店のメニューでしか見られないような漢字だらけの料理名がずらりと並んでいる。レシピの中身も読むとかなり本格派で、充実に再現されているものだったのだ。料理も、料理を紹介する本も、まさに中国の料理の「直訳」だった。

鰯の揚げ煮=中国料理の紅焼魚


  次にやってくるのが変容期である。料理の日本化が進み、さまざまな創意と工夫がもたらされてくる。この中で、甘口のマーポー豆腐、汁なし担々麵など、日本人の口に合うように、本場にこだわらず、味や形は少し変えたものが出てきた。原文の語句の一つ一つにこだわらず、全体の意味に重点をおいて訳すことを「意訳」と言うように、こうした料理は、「意訳」された料理とも言えるだろう。
 
  さらに、その中から、本場にはない、新しい「意味合い」も作られた料理が誕生していた。その代表格はラーメンと焼きギョウザだ。
 
 ラーメンは中国の発祥であるが、中国のラーメンは、ラーメンの上に乗せる「肉」や「野菜」などの具材でスープの味が決まる。そのため、中国のラーメンは具材がたくさん入っているのが特徴的だ。一方、日本は肉や魚介類や野菜から出汁をとり、煮込んだスープの中に麺を入れ、チャーシューや卵などをトッピングする。

  餃子について、中国では茹でて食べる「水餃子」が一般的だ。中国では焼き餃子というと、前日食べ残した水餃子を焼いて食べるものだったが、日本に伝わってからは生の餃子をそのまま焼いて食べるようになり、現在の焼きギョウザのスタイルが出来上がった。実際に、中国の水餃子と日本の焼きギョウザは次で比べたように大きく違うのだ。

  こうして当初の形から姿を変え、地域の人々の口に合うように改良された料理は段々と拡大し、そして定番化し、日本固有の料理となった。このような「似て非なるもの」はまさに料理の「創訳」だろう。

  日本のラーメンと焼きギョウザは、日本料理として海外へ広がった、本場の中国へも逆輸入された。特に、ラーメンは中国でのファンも実に多い。一方、言うまでもなく、「直訳」と「意訳」の料理は「創訳」された料理と比べて本場とそれほど大きな違いがないため、創造性が足りなくて、逆輸入の可能性はあまりないだろう。

料理の「創訳」はどのようにできたか?

 日本のラーメンの作り方は、蕎麦を参考にしたといわれている。『ラーメンの誕生』という本によると、ラーメンは蕎麦の調理法と密接な関係があると指摘されている。「来来軒」の中華そばが、手延べ麺から蕎麦と同じ切り麺へと変化し、それが中華麺の主流となっていった。加えて、旨みを引き出すためにタレをスープで割るという調理法が、蕎麦つゆが「かえし」と「出し知汁」で作られているというのとよく似ていることなども本に挙げられている。

 『ニッポン定番メニュー事始め』によると、東京・渋谷のかつての中心街、百軒店に日本で初めて焼きギョウザを提供した店「有楽」がオープンしたのが1948年だ。「水餃子と焼きギョウザを出したら、この焼きギョウザが当たった。惣菜としてご飯に合い、酒の肴としても受けたのだ」という。やはり主食である「ご飯」との組合せである。焼きギョウザはご飯のおかずに合うように改良された。この方向性は洋食も同様で、オムレツはご飯を包み、とんかつはご飯のおかずとなったのだ。

 いずれにしても、異なる食文化同士の衝突と融合に、さまざまな創意と工夫を加えて作られたのだ。異国の食文化が持つ意味の要素を正確に理解し、それを日本の文脈で捉え直すことが必要だと考えられる。

カタカナ語と「創訳」

 周知のように、近年、カタカナ語の氾濫が続いている。カタカナ語で外来の文化を吸収しやすいメリットがあるが、自分なりの意訳と創訳がないと、伝わらない、中途半端という欠点もある。あんまりにも行き過ぎで、自国の文化からの理解と捉え直しがなくて、「消化不良」と「丸呑み」になったと感じている。異なる国の言葉の訳しには創訳が必要だと思っていた。

  小塚さんのご紹介によると、近年、ダイバーシティ&インクルージョンへの対応を表明する企業が増えているが、これらの言葉の定義を明確にして社内で共有・理解している企業は意外と少ないという。そこで、特に日本ではわかりづらい“インクルージョン”という言葉の解釈を日本の社会に即して整理された。日本向けには『インクルージョン=互寛容』という創訳を提案し、『お互いさま』の文化がある日本におけるインクルージョンと、人種の違いなど明らかな多様性を前提とする米国におけるインクルージョンの差異を共有できるように、図式化していった。詳細は、次の記事に詳しく書かれているため、ご参考ください。

  「インクルージョン」に限らず、ますます溢れているカタカタ語には、ピンと来ないのが多くないか。言葉の意味合いを深く捉えて、創訳した和製漢語を切に期待している。同時に、料理も、ラーメンと焼きギョウザの次の「創訳」した料理を待っている~


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