見出し画像

朝活古典:講孟箚記

何か間違ったり、失敗してしまうと、自分が嫌になって何も手につかなくなることがありますよね。

「失敗は成功のもと」という言葉があります。
しかし、失敗した瞬間は、元気がなくなってしまうものだと僕は思います。

さて、世の中には、失敗した人を「恥だ」とけなす人がいます。
失敗は恥なのでしょうか?

吉田松陰は、失敗は恥ではないと書いています。

なぜなら、失敗はチャンスだからです。

例えば、失敗したということは、上手くいくための別な方法があるということかもしれません。

何度も話を忘れる人は、紙にメモを残すことに気づけるし、伝える側の伝え方の失敗に気づけます。

だから、失敗は恥ではないのです。

ただし、吉田松陰は、失敗したのに失敗していないように取りつくろうことは恥だと書いています。

僕が考えるに、失敗していないように取りつくろう人とは、失敗に臨機応変に対応する人ではなく、人の失敗は咎めるのに、自分が同じ失敗をした時にはごまかす人を指すと考えます。

そして、なぜ恥なのかと言うと、自分で「自分は不正直者です」と言っているようなものだからです。

僕が大学生の頃バイトしていた薬局には、怒らせるとめんどくさいタイプの副店長がいました。

ある日、僕はレジ入力をミスしてしまいました。
怒られたくなかったので、機械のせいにしたら、「自分のミスを認められないの?」と言われたのです。

苦手な副店長でしたが、良い意味で咎められ、「自分は恥ずかしいことをしたんだ」と気づき、行動を改めることができました。

失敗は恥ではないと考えますが、失敗した事実を認め、行動として改め続けられる人であり続けたいですね。

この記事が参加している募集

古典がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?