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レイシズム、被抑圧者の生、社会学理論、そして私

"ある種の啓示のように、私に突き刺さった。私はどこかで、自分が真空の中に生まれた無色透明な存在として、彼らの痛みをともなう記憶に触れることが許されると勘違いしていたのかもしれない"
"彼らと私を隔てる境界線に土足で踏み込んできた私は、彼らを苦しめたかつての植民者の子孫であり、植民地主義の暴力を想起させる日本人であり、いや、もしかしたら、彼らに過去を語ることを強制する暴力そのものであった"

"はっきりとした境界線がある。歴史を通して形づくられた境界線は、共感や理解、絆、多様性、そんな綺麗な言葉でたちどころに解消されるものではない。いや、むしろ、私と彼らとのあいだの境界線の前で、ひととき、立ち止まることを学ばなければならない"

榎本空 (2022) それで君の声はどこにあるんだ?ー黒人神学から学んだこと

ブログで論文のようなことを書きたくはないから、私にとってこのテーマでそれを保つことは少し難しいのだけれど、Ph.D.の日常を書き留めておくという意味で少し筆を執ってみる。

基本理論のクラスでは毎週、社会学の古典 (といっても社会学自体の歴史を考えれば19C以降でしかないのだが) を読む。今週はDu BoisやBellら、Racismの論者たちの文章だった。

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Ph.D.自体がそういうものだろうと思うが、プロフェッサー (教授、という日本語のイメージと"Professor"が伴うイメージは違う気がするのでこう書いている ー 多分、日本の「教授」よりフラットで距離感が近い) は「教えない」。
必須で読むべきリーディングを列挙してくれることで読み進める道筋は提示してくれるし、クラスディスカッションでは時折合いの手を入れながら解釈を補足してくれたりもするが、ファシリテーション自体は週替わりでプレゼンターにアサインされた学生が行うスタイルだ。全員が発言するには少し大きすぎるクラスなので、前日までにディスカッションクエスチョンをポータルにポストすることが義務付けられている。
学期の間に何本か理論解釈のペーパー (といっても論文ではなく自分なりの解釈や現代への適用可能性についての考察などの文字通りの「ペーパー」/応答する問いの設定もpromptsは提示されるが「相談してくれればなんでもいいよ」とのことなのでかなり自由) を書くので、そこでのコメントバックが敢えていうなら「教え」に相当するかもしれない。
ただ私の場合、前回のコメントバックは「この視点面白いね!」「この解釈好き!」といった感じだったので少し心配になり、評価がポジティブすぎて逆に不安なのですが、と言ってみたところ、「各論者の議論を読み込んで、自分なりの解釈をdevelopしている限りI'm okay! 指摘する所があればそれはちゃんと言うから心配しないで」というなんともchillなバイブスの返事だった。そうか、なら引き続きマイペースに自分のスタイルで読んで思考しよう、と今のところはなっている。
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今週もそういう訳で、学生によるプレゼンテーションだった。今日のプレゼンターの二人は、二人とも黒人だった。

議論の仔細をここで述べることは避けるとして、私が感じた印象は、圧倒的な「立ち入ることが許されない黒人の世界がある」ということだった。

それは、ブラウン(インターレイシャル)の子やプレゼンターのブラックの女性も、「(ブラウンだから)十分にブラックじゃないあなたがブラックコミュニティを代表しようとするな」「(知的エリートじみた)ホワイトの話し方/振る舞い方をブラックコミュニティに持ち込むな」と言われた(ている)経験をシェアしてくれていたので、当事者自身も感じる、ある種の閉鎖性らしい。

ただ、もう一人のプレゼンターのブラックの男性 (正確な年齢はわからないがかなり年上、50代くらい。かなり強い黒人英語で話すので正直私は未だに聞き取りが難しい) と以前話した時にも、私は似たような、拒絶にも近い「別世界の線引き」を感じたのだった。

私が彼に、日本社会におけるコリアン対するレイシズムを研究したいの、と言った時、彼は冷めたようなへぇ、という反応だった。そして、私がクラスに対して (Critical Race Theoryで指摘されるような) 現代的レイシズムに絡めて関心を話した時、鼻で笑っていた。その笑いが何に対するものなのか、私にはわからなかった。私の説明に、(残念ながら未だに私の咄嗟の口頭英語は語彙力に乏しいので) 拙さがあったことは間違いないので、「そんな説明で語ろうとするな」という笑いだったのかもしれない。でもその時の経験に加えて今日のクラスを通じて私は、「アメリカ社会で異邦人のお前が軽々しくRacismという言葉を使って自分の社会の問題を語ろうとするな」と更に言われているような気がしたのだった。

彼は、大体のクラスの人の(ポータルに提出された)コメントに言及していたが、私のコメントには一切言及しなかった ー 彼が話題にしていた問いに関する一つの答えの仮説を、たまたま私はコメントの中で書いていたのだが。もちろん、言及がなかった本当の理由などわからない。単に見ていなかっただけかもしれない。でも私は聞くことができない。最初に話した時の冷めたような反応と無関心から感じた距離感を埋めることを試みられるほどのメンタルエネルギーは、自分の拙い英語に四苦八苦している今の私には、無い。

冒頭の引用は、初めて読んだ時あまりにも自分と重なって感じられ、涙が止まらなかった大好きな本からの引用だ。ニューヨークのユニオン神学校で黒人神学を学んだ筆者が綴る言葉は、Du Boisの「The Souls of Black Folk」にも通じる、祈りのような文章だった。

私は、同じ「被抑圧者」という構造の中にあったとしても、問題固有の文脈だけがもたらす一般化され得ない / してはいけない固有の痛みや体験や闘いがあるということをわかっていたつもりだったけれど、こうしてこの地で踏み込むことを拒むような冷たい拒絶に直面してみて、でもきっとアメリカ社会のBlackに関する固有の文脈をわかってはいなかった、と思った。だからあの時の私のRace理論への言及は、それを産んだ文脈への敬意を欠いた温度感をまとっていたのだろう。

同時にこれは、"必要な、ひとときの立ち止まり"なのだろうとも思う。「抑圧」という構造の共通性と、各問題の固有性。その間を行ったり来たりしながら紡いでいくことが、私の研究になるのだろうと思う。

かつてある人が、「自分は、日韓ハーフとして日本社会で生きるマイノリティでは無いけど、福島に対するネガティブな目線を自分ごととして感じてきた。決して同じというつもりはない、全く重みも異なる問題だと思う。ただ「言われのない偏見に晒される」ことがどういうことかは、一定多分、わかると思う」と言ってくれたことがある。その注意深い、"ちがい"と"おなじ"の狭間を縫うような感覚が、好ましかった。

社会学における理論とは、何だろう。
対象がとりわけ痛みを伴う抑圧の記憶や生の実態である時、理論はそれを生んだ文脈を離れどこまで自由に他の文脈の事象の分析に適用され得るのだろう。

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