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遠く海を超えて:色んな人たち

イギリスとアメリカで感じた違いの一つに、のしかかってくるような歴史の重みー或いは社会に折り込まれた人々の暮らしの記憶の有無がある。
無論「新大陸」の名称をつけ土足で移住者が大挙して押し寄せる前にも、この地に人々の暮らしはあったはずなのだけど、残念ながらそれらの記憶は現在の社会とは断絶している。
初めてニューヨークのエリスアイライドに立った時の衝撃は未だに忘れられない。この国は移民の国なのだと、それまでにないほど強くそこで実感した。
そんなこの社会の軽やかさは、どこか不思議な感じがしつつ、移住者にとっては住みやすいのかもしれない、と思う。

私のフラットメイト (キッチンとリビングだけシェアしている) のパキスタンの彼女は、学部を卒業してすぐこちらの博士課程に来たという。
パキスタンのジェンダー状況は酷いから、とある日の帰り道のバスで話し始めてくれた。弟は習い事を色々とやらせてもらえたけれど、彼女は「女の子だから」やらせてもらえなかったという。外を出歩くことも一人では難しく、男性の同伴が必要だそうだ。だからアメリカにいる時に水泳を習おうと思うの、と彼女は続けた。金曜にアクアズンバのクラスがあるらしい (大学は無料で様々なフィットネスクラスを提供している)。あなた泳げる?と聞かれたので、そうね日本は水泳が義務教育に入っているし、私は小学校までだけど選手コースに通っていたから水泳は結構好きかな、と返したところ、目を丸くして「義務教育にあるの!」と驚いていた。

またどうやら気になるインド人の彼がいるらしい (彼女は結構おしゃべりな性格のようだ)。でもパキスタンの建国の歴史的に、「basically we were told to hate each other」な公教育だったとのこと。彼女はパンジャブ地方の出身で、彼女のおばあさまは一夜にしてヒンドゥーとムスリムの間でインドとパキスタンに分断され、橋の上で殺し合いが起き川に飛び込んでいく様を直に見たという。ただその当時も、逃げてきたヒンドゥーの人を家のクローゼットで数ヶ月ムスリムの人が匿ったり、ということがあったそうで、それはまぁその一夜の前は同じ地域住民だったのだから、と思いつつ、社会の線引きはかくも人為的なものなのにその帰結は恐ろしいことだと改めて思うなどした。
で、その彼のことは気になっているのだが如何せん基本的にお見合い結婚で男性と話すなという教育だったがために、何をどうしたらいいのかわからないらしい。まぁそれは別に日本で育ってもよくわからないけどね、と言っておいた。

博士取得後はどうするの、と聞いたところ、来た当初はそんなジェンダー状況の祖国を教育を通じて変えたいと思っていたという (教育関係の博士課程にいる)。でもあまりにも今の軍事政権がcorruptだから、と顔をしかめながら続けた。「そろそろbankruptすると思うから帰りたくない」。彼女がここにいる3年間でパキスタンルピーの価値は1/3になり、今や海外に移住しようというビザ取得の順番待ちがすごいことになっているらしい。両親をアメリカに呼びたいけどビザが色々大変で、とため息をついていた。

別のイラン人のコースメイトの彼とは、初めて話した時、「イランのイメージってどう?」と聞かれ、イメージ…?と答えに窮していたら「どうせ良くないでしょ?いいんだ、みんなそうだから」と言われ、「日本のメディアはアメリカ寄りだよね…」としか言えなかった。
あまりに情報に触れてこなさすぎていいも悪いもイメージ自体が無かった、というのが正直なところなのだが、アイオワシティのバスの本数が少ない (というかたまにバスが消える) ことについてゴニャゴニャ言っていた時「テヘランだと5分に一回は来るから気持ちわかるよ、東京もそうでしょ」と言われ、ほーテヘランってそんなに大都市なのか、と新鮮な驚きを感じたのが最初だった。

その後一緒にご飯を食べに行って判明したのだが、なんとイランにも「遠慮の塊」という言葉があるらしい。「ターロフ」って言うんだ、と説明してくれた。一生譲り合って永遠に残り続ける最後の一個memeがある、と言ってたのでほぼ同じ概念だと思う。更に乾杯の時に立場が上の人より下の位置でグラスをぶつけようとする (結果下に下に行き続ける) 慣習も、イランにあるという。思ったより似てるね、面白いね、とお互いなった。
イランはアメリカ文化が全てシャットアウトされているので、彼はマクドナルドもKFCも見たことがないという。「でも"マシュドナルド"はあるよ」と笑いながら教えてくれた。「Youtubeも禁止されていて国が作ったパチモンがあるけど、大体みんなVPN使って見てるよ」。

そんなイランに彼は"絶対戻りたくない"という。「クーデーターが起きたら考えるけど、現政権の限りは戻りたくないね」。ちょうど最近、服装からモラルポリスに難癖をつけられ逮捕された女学生の死から1年だったらしく、デモがすごいという。「デモはいつも起こっては立ち消え、起こっては立ち消え、の繰り返しだったけど、今回は長く続いていると思う」。大学教授の中には彼女の死を悼む意味でデモと合わせて授業をキャンセルした教授もいたそうだが、そうした教授は「クビにされた」。基本的に大学教授は政権とセットなんだ、と彼は言った。だから僕は政権にへつらいながらイランで教授をやりたいとは思わない、と。

そんな話を聞きながら、中国人経営の寿司屋で、謎にギラギラゲーミングPCのように光る寿司(らしきもの)を食べつつみんな色んな所から色んな背景を背負って来てるんだなぁと思案していると「初めて見た時は中国人かなぁって思ったよ」と韓国人の先輩に言われ、あぁそう?と返したところイラン人の彼に「ねぇそれって正直どうなの、日本人が中国人って思われることってoffendedって思う?」と聞かれた。
まぁ母数多いのは中国人だからそう思うよなーって感じ?と返し、なんで中国人って思ったの?と聞いた所、バイブスが韓国人とはちょっと違うし、なんか日本人っぽくもないって思ったから、じゃあ中国人かなって、とのことだった。
韓国で生まれちょっと育ち、日本で大体育ち、大学教育は大体英語で、イギリスで修士をとり、今アメリカで博士をやっている、となると色々属性も経験もフュージョンすぎて、何人に見えてもいいわぁスタンスになる。
そんな私にとってはだから別に寿司がダンスしていても、私の中での「寿司」概念と目の前にある『Sushi』は別物だなとまず思うし、社会を超えて人が移動すれば段々変化していくのが摂理だし、変化の形として見れば面白い現象の一つかなとも思うので、まぁこれはこれで、という受け止め方になる。

まぁ何人だっていいのだ。色んな経験を背負ってここにいるのが今の私だ。属性はアイデンティティ要素の大事なピースの一つだとは思うけれど、その要素をどう解釈して自己像を構築するかは各人の意思の自由だから。

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