『燃ゆる女の肖像』を観た
絵を描く人が出てくる映画が見たいと思い、Netflix を漁っていたところ『燃ゆる女の肖像』という映画を見つけました。
繊細で美しい映像が淡々と静かに流れながらも、強烈に燃え上がる感情や不条理への叫びが鋭く突き刺さる、とても印象に残る映画でした。
全く身構えてなかったのですが、思いがけず素晴らしい映画に出会えたのが嬉しくて記事を書いてみました。ネタバレ注意です!
あらすじ
マリアンヌの描いた二つの肖像画
舞台は18世紀末のフランスの孤島。この頃は男女差別や階級差別が色濃く残っており、女性は絵を学びたくても絵画教育を受けることができない時代でした。マリアンヌは画家の父から絵を習い、父の名前で作品を発表しています。
一方で孤島に住む箱入り娘のエロイーズは、望んでいないのにも関わらず相手が自分の肖像画を見て気に入れば問答無用で結婚させられるという状況です。この事実に耐えきれず、エロイーズの姉は数年前に自殺しています。
マリアンヌは最初エロイーズに画家であることを隠しながら記憶だけで最初の肖像画を描き上げます。その仕上がりは正直言って微妙です。全然似ていないのです。
顔の凹凸が少なかったり、頬が不自然に赤かったり、意図された可愛らしさが感じられます。
この頃は肖像画でしか相手の容姿を知ることをできなかったため、ちょっと良い感じに加筆することは珍しくなかったそう。そして何よりもマリアンヌは父親の名前は借りながらも、まあまあ売れっ子の画家です。こうしてプロフェッショナルとしてお客様の要望に応えていたのでしょう。元々この肖像画はお見合い相手に気に入ってもらうためですから、自然と可愛い加工サービスをするのは自然です。
しかしエロイーズは、この肖像画を自分ではないとマリアンヌを強く批判します。
ーーそりゃそうです。この最初の肖像画を描き上げる頃には、二人はまだ恋人同士にはなっていないものの、心を通じ合わせて始めておりいい感じの雰囲気になっています。
そんなほぼ恋人のような人に書いてもらった肖像画が媚びたっぷりのデフォルメ肖像画だったら怒りますよね。今で言うと恋人が勝手に自分の自撮り写真をゴリゴリに加工していた様な感じでしょうか。
写真がない時代で、画家の仕事の一つはある情景を捉え記録すること。エロイーズがマリアンヌが自分の本当の姿ではなく、媚びたっぷりの加工された姿をみていたのかと思われても仕方ありません。
絵を批判されたマリアンヌは、衝動的に最初の肖像画をぐちゃぐちゃにします。そして描き直させてほしいとエロイーズの母親に直談判します。
ぐちゃぐちゃになった絵を見て怒る母親に対して、突然結婚を嫌がっていたはずのエロイーズがモデルになると提案します。それを受け入れた母親は五日間の旅 (?) に出かけるのでその間に描き上げるようにマリアンヌにいいつけます。
そしてマリアンヌとエロイーズは二つ目の肖像画の制作に取り掛かります。この五日間がこの二人にとっての最も重要な期間であり、映画のクライマックスになります。
五日間の詳細は映画を見てもらうとして、二つ目の肖像画を見てみましょう。
二つ目の肖像画は、よりエロイーズの人間らしい凹凸と自然な色の変化を残しています。そしてポーズや表情からは気品と意思を感じる仕上がりになっています。さすが売れっ子画家マリアンヌ。
散りばめられた不条理
映画は淡々と進んでいきますが、あらゆる場面で今の時代も通ずるような不条理が散りばめられています。エロイーズは顔も知らない人に選ばれなければならないという圧力を感じていたり、女性であるだけで自分の名前で作品が評価されないマリアンヌであったり。
そんな中でも特に強烈な印象を残したのはソフィの中絶のシーンではないでしょうか。走ったり薬草を飲んだりして流産を試みるもうまくいかず、最終的には町医者に麻酔なしで中絶手術を施してもらいます。手術が行われるベットの横では、赤ちゃんが戯れていました。
その頃はメイドが主人に狙われてしまい、望まない妊娠をして泣く泣く実家に戻ることはよくある話だったそう。そのことを考えると、ソフィの妊娠も恋仲とのものと考えるよりも主人からの虐待だった可能性が高いのではないでしょうか。
個人的にそれを示唆していると思うシーンはこちら。
奥様が帰ってきた朝のシーンです。奥様と帰ってきたはずなのに、一人でソフィと二人っきりの部屋で食事をとっています。これまでずっと女性だけの映像が続く中で、突然現れる男性の姿に奇妙な違和感を感じるシーンです。
二人が愛を深めた五日間の夢のような時間は、マリアンヌがエロイーズのコルセットを締めるシーンで閉じられます。男性優勢の色の強いコルセットをつけて現実に戻るという、短いながらも直接的で印象的なシーンです。
そしてその直後のシーンでは母親の谷間に目がいくようなショット。
この映画の中では、このように細かく言及するには小さすぎるかもしれないが、ドキッとするような直接的な反発や皮肉が色々なところで仕込まれているように思います。
オルフェウスの神話
母親が留守にしている間のある夜、三人は暖炉の前でオルフェウスの神話の話をします。
なんで振り返ったの?!と憤ってしまうのは私が単細胞だからでしょうか。
この神話を聞いたマリアンヌは言います。オルフェウスは妻の思い出のために振り返ったのだと。夫ではなく詩人としてその選択したのだと。
うーん、よくわかりません 泣
詩人、つまり芸術家としてしなければならない選択をしたということでしょうか?芸術家としては、振り返って妻が奈落へ落ちる様をみなければならないということでしょうか?
確かにこのままオルフェウスが振り返らずに妻を生き返らせることに成功し、しあわせに暮らしましたという話であれば神話として残っていなかったかもしれません。
またこの神話は最後のシーンとも重なります。
マリアンヌは芸術家としてエロイーズの真の美しさを絵に捉え、無事に肖像画を納品します。そして島を離れる別れの時、エロイーズの方を振り返ってしまいます。
振り返った先にはウェディングドレスを着たエロイーズがいました。
エロイーズは結婚という奈落の底に落ちていったということでしょう。
二人とも愛を追いかけることをやめたということであれば、両方とも奈落の底に落ちたと言えるかもしれませんが。
そして数年後二人はオペラ会場で再会します。
オペラには目もくれず、じっとエロイーズを見つめるマリアンヌ。そして恐らくマリアンヌの存在に気づきながらも、全く振り返らないエロイーズ。
マリアンヌは愛するエロイーズを見つめます。神話のシーンから引用するのであれば、マリアンヌは思い出のために振り返っているのでしょう。一方でエロイーズは決して振り返りません。
エロイーズはもう新しい家族、愛するものたちとの人生を歩み始めています。過去の思い出を振り返るためにマリアンヌの方を見ることはありません。
また調べてみてわかったことなのですが、どうやら監督のセリーヌ・シアマさんとエロイーズを演じたアデル・エネルさんは実際にパートナーだった過去があるそう。このことを両者公にしていて、監督はこの映画を彼女の新境地にしたいと考えて脚本制作をしたとのこと。
これを聞くと、カメラ越しに見つめる監督の気持ちはマリアンヌと似たものがあったのかなぁと考えてしまいました。私はあなたとの思い出を振り返るけれども、あなたは振り返って思い出に浸ることなんてせずに、私でない人と幸せな人生を歩めよーー的な。かっこいいかよ。
なぜ燃えているのか?
最後に本映画のタイトルでもある、燃えている女について。これは紛れもなくエロイーズなのですが、なぜ燃えているのか?熱くないのか?なぜ火を消そうとしないのか?などなど、とても考察しがいのあるシーンです。
ですが正直自分の中で腑に落ちる答えが見つかっておらず、悶々としているシーンでもあります。
燃え上がる恋心を表しているのか、不条理に対する怒りを表しているのか、全く違うものを表しているのか。ぜひ映画を見た方の意見を聞いてみたいです。
最後に
最後にこの映画で一番新しく印象に残った点として、淡々と静かに物語が続いていくことでした。使われる曲は二曲だけで BGM も全くない点もそれをさらに強調します。
受け入れ難い不条理が目の前にあっても、登場人物は暴動を起こしたりはしません。淡々と受け入れて対処します。
人は何があっても前を向いて歩いていかなければなりません。もちろん、不条理に声をあげることは大事ですし、必要なら強く反発することは必要でしょう。しかし、人間は複雑であるがゆえに悩みながらも決断し、行動に移します。
この映画を通じて、前を向いて堂々とありのままの自分らしく生きろと言われている様な気がしました。
素敵な映画でした!
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