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フランクル哲学と小説『ヘヴン』

フランクル哲学を知った後に、一番最初に手に取った小説が川上未映子作の『ヘヴン』でした。

人生というものは、自分の欲求や自己実現のための土台ではない。人間がするべきことは人生の意味をといかけることではなくて、人生から問われることに全力で答えていくことである。

フランクル哲学の個人的解釈

人間は物事の意味さえ確信していれば、相当悲惨な状況にも耐えられる。一方で相当の苦難にも耐えられるけれども、無意味には耐えられない。

フランクル哲学の個人的解釈

特に意識して選んだ作品ではなかった (たくさん賞をとっていたので、完全に興味本位でした) のですが、節々にフランクル哲学と似たような思想があって、今まさに読むべき作品だったのだと思います。

小説『ヘヴン』は読んでいて辛い場面が多いです。特にいじめの描写が強烈で、それに耐えながらお互いを鼓舞し、距離を縮めていく二人の中学生たちが描かれています。

その中学生のうち一人は主人公で中学校に通う <僕> 。もう一人はコジマという同級生の女の子です。コジマは一番フランクル哲学の考え方と近い思考をします。いじめを含む人生で起こる出来事に対して、全て意味のあるものだと受け入れることで、乗り越えようとします。

またコジマは自分を自分たらしめる "印" を細かく定義していて、それをかたくなに守ります。その "印" がいじめられるきっかけだったのにも関わらず、それを守る事に意味を見出して守り続けます。

本文から一部抜粋します。

コジマは …(省略)… 静かな声で言った。
「……生きていあいだに色々なことの意味がわかることもあるだろうし、……死んでから、ああこうだったんだなって、わかることもあると思うの。……それに、いつなのかってことはあまり重要じゃなくて、大事なのは、こんなふうな苦しみや悲しみにはかならず意味があるってことなのよ」

小説『ヘヴン』p118

…哲学的だな。コジマ本当に中学生かよ!?


私はこの世の作品には二種類あると考えています。一つは作者の問いや象徴を伝えるための作品、もう一つはある特定の状況を作品の中で再現して、そこから感じるものは全て読者に委ねる作品です。私はこの作品は後者だと思いました。もちろん節々に作者の意図が散らばっていますが、最終的にこの作品にどう意味付けするかは読者に委ねられているように感じます。コジマのその後が書かれていないのも、そういうことなんじゃないかと思います。

そう仮定した時の私の個人的な解釈は、「この世界の意味のなさを目の当たりにしても、あなたはそこに意味を見いだすことができるか?」と言う<僕>からの問いなのではないかと思います。

小説は全編 <僕> の視点で語られますが、同じ立場のコジマがいることで、同時に <僕> 自身の状況を客観的に見ることができます。コジマを通してそのいじめや不条理には何の意味もない、ましてやそこに意味を見出すことへの "白け" を感じさせます。クライマックスのクジラ公園でのコジマの異常とも見える行動が私にはそう感じてしまいました。 

また、<僕> は意図せず自分がいじめられている理由である斜視を簡単に治すことができると知ります。斜視は一生治らないものと思っていたのにも関わらず、医者になりたての人が初めにやるくらい簡単な手術で治るものでした。そして手術費はたったの一万五千円。<僕> はそれを知ると、自分の悩みのしょうもなさに白けてしまいます。

母親はこう言います。

「目なんて、ただの目だよ。そんなことで大事なものが失われたり損なわれたりなんてしないわよ。残るものは何したって残るし、残らないものは何したって残らないんだから」

小説『ヘヴン』p303

その母親の言葉に背中を押されて手術を受け、"普通" に近づいた <僕> は人生史上一番美しい景色を見ます。そのあまりの美しさに <僕> は心を打たれ涙します。

人生の中で出会う出来事に意味を見出していくことは本当に難しい。客観的に世界を見てしまった時のどうしようもない意味のなさが、私たちの行先を阻もうとする。それでも、美しさの先に、希望の先に、きっと意味を見出すことが出来る。

それが私が小説『ヘヴン』から得た問いに対する答えでした。


いやー本当にいい作品!ただしいじめの描写が辛いので、また全編読むのはなかなかハードルが高いw

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