見出し画像

農家さんの右腕であること

先日、とあるイベントのお手伝いをした。

大学生の頃、東北食べる通信で特集されたことがきっかけで出会った種子宏典さんとは社会人になった今でもご縁が続いている。当時、私たちは「NIPPON TABERU TIMES」というメディアをつくり、私は彼の右腕になった。どんなメディアにするか、食べものをつくる裏側をリアルに伝えたい、という気持ちで議論していた日々。その時の仲間は、今でも交流が続いており仲良くしている。この活動がきっかけで、ポケットマルシェで活躍しているなかたくもその一人だ。

私が社会人になったとき、多くの人が不思議な顔をした。

食べることが大好きで、生産者さんとの交流を楽しんでいた私が「食」にまつわる仕事を選ばなかったことに。

そう、私は「食」にまつわる仕事を選択しなかった。「食」にまつわる具体的な仕事が思い浮かばなかったことと、学生にありがちなとりあえず「大手」という気持ちがあった。

「大手」といってもそこの選び方はちょっと特殊で、木を育て、木を原料とし、木からできる様々な製品をつくり、製品はリサイクルすることで新たな製品として生まれ変わらせることのできる製紙メーカーを選んだ。食べ物をつくる農家さんが、小さなビジネスモデルを循環させていたのに対し、製紙業はそれを大きく構築できている産業だと感じた。規模は違えど、多様性と生産性を期限なく継続するために日々チャレンジしている。

新卒で山口の工場配属となり悶々としていた頃、「(幸)福業として右腕を続けてみたら?」という先輩の後押しもあり種子さんとは時たま連絡を取っていた。行けない理由を重ね、青森に足を運ばなかった私に

「とりあえず青森にきてみなよ」

とよく言ってくれた。後輩2人を誘い、2016年9月ついに飛行機と新幹線を乗り継ぎ、青森県田子町に上陸。この時に、私は「右腕」になる受験票を手に入れた気がしている。にんにく早慶戦と題し、にんにくを植えたり、機械を操作してみたり、お手伝いしているお母さん達と会話したり、青森訪問はとにかく楽しかった。今でも東京で開催するイベントで手伝いをしている私を紹介する時「青森まできて、実際ににんにくも植えてくれたんです!」と言われるとドヤっとしてしまう。

画像4

2016年10月 「種子さん1日店長イベント」@赤坂トレジオン

画像2

2017年7月 自分たちの植えたにんにくのお届け

画像3

2019年5月 小さなマルシェー種子カレーイベントー@恵比寿ルリオン

画像5

2020年2月 4年に1度のにんにくイベント「にんにく南極観測隊~六本木・229昭和基地編~」@六本木パルズ

画像1

普段青森に住んでいる種子さん。しかし、東京で開催するイベントはいつもすぐに満席となる。彼と彼がつくるにんにくには、思わず嫉妬したくなるほどたくさんのファンがいる。みんなそれぞれ、少し不器用な彼を支えている気がする。定量的な評価のできない「持続可能」な関係がそこにはある。

「右腕」審査に合格しているかは定かではないが、私は私のペースで自称「右腕」をこれからも続けていきたい。




いいなと思ったら応援しよう!