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『世界で一番美しい少年』と呼ばれることが苦痛だったら、容姿を褒めることは褒め言葉にならない。ルッキズムを考える

「美しいですね」と容姿を褒められたら嬉しいですか?
実は、「まったく嬉しくない」と答える人も、案外多いのではないでしょうか?

2021年12月17日(金)に公開される映画『世界で一番美しい少年』は、約50年前に、「世界で一番美しい少年」というキャッチフレーズをつけられてしまったビョルン・アンドレセンの今を描くドキュメンタリーです。

ビョルン・アンドレセンは、1971年公開のルキノ・ヴィスコンティ監督の映画『ベニスに死す』に出演した俳優です。
この映画での彼は、たしかに美しい。
息を呑むような美しさとはこのことか、というくらい彼の若さと容姿の美しさがスクリーンに刻まれています。

このスクリーンに投影された少年は、その後、どんなに華やかな成功をおさめたのかと思いきや、50年後のビョルン・アンドレセンは、俳優として成功しているとも言いづらい状況でした。

約束された将来以外ありえないと思わせる、宝物のような外見を持っていた少年の50年後とは、想像しがたい姿で登場します。
当時、彼のファンだったという人がこのドキュメンタリーを見たら、かなり複雑な心境になるであろう、リアリティ溢れる暮らしぶりです。

彼は、なぜ俳優として、もしくはモデルとして成功しなかったのでしょうか。現代であれば、彼ほどの容姿の美しさがあれば、世界的な成功を収めていても不思議ではありません。

まだ純粋な少年だったビョルンの周囲には、彼に助言をしたり力になってくれる大人がいなかったということも原因のひとつでしょう。
容姿が美しくても、それを武器にして俳優として有名になろうという野心もさほどなく、両親のいないビョルンは、お金を稼ぐという観点で俳優の仕事をしていたという背景があります。

彼自身、自分の容姿についてばかり褒められることが多く、「容姿以外になにもない人間」のように感じさせられてきたのかもしれません。

ある意味、「世界で一番美しい少年」というレッテルを貼られてしまったことが、彼の人生設計を狂わせた原因のひとつだと感じました。

この「世界で一番美しい少年」という言葉、褒め言葉のようでいて、実はそうではありません。
この言葉の中で褒めているのは「少年」の部分です。
でも、考えてみてください。
「少年」でいられる時間というのは、驚くほど少ないのです。

ルッキズム(外見至上主義)の概念に縛られてしまうことは、非常に怖いことです。
「美しいですね」と人を褒めても、それが「少年だから美しいですね」であったり、「外見だけが美しいですね」という意味で受け取られてしまったら、それはもう褒め言葉ではなくなります。

美しい人にも、美しい人なりの苦悩があると知り、いくら美しいからといって、外見だけを褒めるということの危険性について、考えさせられたドキュメンタリーでした。

『世界で一番美しい少年』12月17日公開

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