2023年の秋にnoteの存在を知りました。 2008年より台湾に在住しています。 2012年に20歳年上の台湾人と結婚して 2017年 仏教に帰依。 2018年 色々あって地獄に仏を体験し、五戒を授かりました。 五戒とは煩悩に打ち勝つための心がけで「不殺生戒」「不偸盗戒」「不邪淫戒」「不妄語戒」「不飲酒戒」の五つになります。 今はアートの仕事をしながら台湾で暮らしています。家族には普通の食事を作っていますが、自分はラクト・オボ・ベジタリアンな二児の母です。 京都市立芸
文人画の芸術観において、書、画、印(篆刻)の三者は密接な相関関係があると言われています。そのような思想のもと博士課程履修時、私も水墨画の他に書道と篆刻を習い始めました。 篆刻に関しては力およばず学習を断念。自ら印章を制作することは出来ませんでしたが、清の趙之謙がうちだした「印外求印」という理論から篆刻を転化させるという発想を得ました。そして独自に「画外求画」(画の外に画を求める)という考えをもとに、絵画と印(篆刻)を融合させた創作スタイルを展開し始めたのが2013年。 こ
この何年かは自分の制作は少し封印して、主人の営む印刷業を手伝っています。印刷といってもただ刷れば良いという訳ではなく、テストにテストを重ね、そして新しい技術の開発も必要。 ありがたいことに、ずっと芸術分野に携わってきたので、そういう視点からも手伝えることは沢山あることに気づきました。そして過去あれだけの時間を自分の好きな制作活動に費やしながらも、現在は経典印刷の仕事をしている今の状態を、私は仏様から割り当てられた課題だと考えられるようにもなりました。 仕事を手伝い始めた頃
昨日は娘だったので公平に。今日は息子の生後約1ヵ月、胎毛筆にするため髪を剃った日のスケッチです。最近ちょっと反抗的な態度もとるようになった息子は、もうすぐ11歳。やっぱり兄妹どことなく似てるよね。おやすみなさい。
なにも思いつかない日は、寝ます。写真は生後約一か月、胎毛筆にするため髪を剃った日の娘をスケッチしたものです。娘ももうすぐ6歳。 おやすみなさい。
18歳の時生まれて初めて行った海外、それが中国の杭州でした。その風光明媚な風景と芸術文化にすっかり魅了された私は「絶対にここで水墨画の勉強をしたい!」と決意し、京都芸大の第二外国語にはなかった中国語もNHKラジオで勉強を始めました。 こうなると寝ても覚めても考えるのは中国の事ばかり。どうすれば杭州へ無事留学してやりたい勉強が出来るのか熟慮を重ね、修士課程時に国費留学の資格を得て杭州の中国美術学院へ行く!という計画に照準を絞りました。 努力はしても試験に合格できるのか不安だ
私が日本画の勉強を本格的に始めたのは高校生の時。 京都にある銅駝美術工芸高等学校という公立高校の日本画科で、みっちりと日本画の基礎を学びました。 その中でもダントツの思い出は、すずめの写生。朝に伏見稲荷の周辺できれいに仕留められたすずめが一人一羽ずつ。初日は3時間ほどかけて鉛筆で画用紙にデッサンをし、下図の準備が終了。その日すずめさんたちは冷蔵庫で夜を過ごし、翌日また各々の机の上に置かれます。そして前日の下図に薄美濃紙を重ねて墨で線を写し、それを柿渋の板に水張りした後、水干