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私は昔、フレネミーだった


フレネミーという言葉をご存知だろうか? 私はたまたま昨日知った。

昨日、たまたま知人の山添智子さんが「フレネミーの特徴と対策、フレネミーにならないための知恵」というタイトルでライブ配信していたのを見た。

「何なん、フレネミーって?」と、ただ単純に思いまして。で、見たら面白かったし、コレは誰でも経験あるやつじゃないかな?と思ったのと、1番感じたのは「私は昔、フレネミーだった」ということ。

フレネミーって何なのか? フレネミーとは、「フレンド(友達)とエネミー(敵)を合わせた造語」で、割と最近アメリカで使われ始めたと言います。例えると、友達を装いながら、裏でその人の足を引っ張ったり悪口を言ったりして陥れるようなことをしてくる人のことを指すそうです。

私は昔、フレネミーだった。そう思った。自覚してなかったし意識的にはしてなかったけど、そうだった。たぶん。

私は自分に自信がないくせに嫉妬深かった。自己評価が低くて、自分にはできないことがたくさんあって取り柄もないように感じる。外見も内面もコンプレックスでいっぱいだった。

そのコンプレックスを刺激されると困惑した。単純に「羨ましい」だけなのに、嫉妬は悪だと思っている私は嫉妬してはいけない!と、その感情を感じないように頭でコントロールしようとした。「こんなこと思ってはダメだ」「あの人は何も悪いことはない。ただ私に無いものを持ってるだけ、私がどんなにがんばってもできないことを、何の努力も必要なくできてしまうだけなんだ」そんな風に自分を納得させて、羨ましいとか悔しいとか感じた気持ちをなかったことにしようとした。

でも、そんな時こそ、不思議なことに、私のそんな健気な我慢をガン無視してコンプレックスを刺激するような言動が増えていくように感じる。コレはたぶん自分が我慢してるから余計に目につくだけだと思う。

優しくていい人でいたい。私に好感を持って接してくれる相手にこんなこと感じたくない。相手には何の悪気もないんだし…。そうやって、最初に感じた「羨ましい」とか、ちょっとモヤッとしたこと。ちょっと嫌なんだけど…と感じたことを無視して封じ込めた末に自家中毒を起こす。

直接に文句を言えたらまだいい。直接言えないから共通の友人なんかにいろいろ話したりする。我慢が溜まれば溜まるほど毒は強くなる。「私はこんなに我慢してるのに、何なんアイツ!」と言った感じで、自分が勝手に我慢してるのを人のせいにする。20代から30代前半の頃、そんな傾向が強かった。

「フレネミーの特徴と対策、フレネミーにならないための知恵」をテーマに話してるライブ配信なのに、私は昔の自分のことを思い出していた。

今の私はどうなんだろうか?

今の私も嫉妬深い。すぐに人を羨ましく感じたりもする。人の親切や好意にイラッとすることもある。だけど今の私はその感情をそのまま認めて感じ切るようにしている。

昔はそれを悪いことだと思ってた。感じないように理論的に封じ込めて、なかったことにしようとした。それこそがフレネミーやん。自分に対してやってるから人にやっちゃうのよ!

表向きには私のことを思って「そんなこと感じない方ががいいよ」とアドバイスして、「そんなこと思うなんて、あなたらしくない!」とか言って、自分の感情を無視して人の都合の良い人に止まらせようとする。それ、本当は、誰よりも自分に失礼でしょ。その自分に対する態度そのものがフレネミーやんか。そうやって自分を我慢させるから、人に嫉妬したり人を怒らせたりする悪循環が起こるんだよ。

誰とも比べない、誰とも競わない、優劣なんて気にしない。腹が立ったり、イラッとしたら相手にはぶつけずに、マイデスノートに書き散らかして破って捨てる。なるべくイラッとしたその時に「嫌なんだけど」って伝える。それができたらフレネミーになんてならなくて済むはずだ。

私は自分の負の感情も大事にしたい。その怒りや悲しみに耳を傾けていたい。たぶん、誰でもない自分にこそ聴いてほしいことだと思うんだよ。それができたら、自分がフレネミーにもならないし、フレネミーがいても気にならないし寄せ付けない自分で居られるんじゃないかなぁと思った。

何となく必要な人がいそうな気がしたから書いてみました。

私は自分のそんな過去さえも生かせたらなって思う。


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