1-1 マイクロソフトMasa×東京医科歯科大中原
学生団体メドキャリさんとのクロスリバースメンタリング企画第1弾です!
本対談の概要は こちら
vol.1の対談メンバー
Masa:MINDSメンバー/日本マイクロソフト株式会社
中原昇:メドキャリメンバー/東京医科歯科大学医学部医学科 5年
Masa:ではまずモチベーショングラフをお見せします。線形の具合がメンヘラみたいな感じなんですけど笑
中原:そうですね、すごい上下してるなと思いました笑
”周りと同じ”をやめ、”努力で人生を拓く”
Masa:高校受験までは特に何もモチベーションもなく、特別であることよりも周りと同じであることの方が居心地よく感じて過ごしてきました。
そこに自分の意思はなく生きてきた感じです。
ただ、高校受験の際、どのような高校に行くかといった”意思”を聞かれるようになり、自分自身でも分からないためにかなり迷走して、モチベーションが低くなりました。
ですが、塾に入り、そこで出会った塾長が波長の合う方で。厳しい言葉をいただきながらも「おまえの人生はお前の努力で作っていくもの」ということを教えていただいて勉強に励んだ時期でした。
結果としては志望した高校に入学することができて、高校ではサッカー部に入りました。
軽い気持ちで入ったサッカー部なのですがかなり伝統のあるところだったみたいで、当時初心者だった僕は3年間続けることを目標として日々練習に励みました。
モチベーショングラフが下がっているのは、実力主義の世界で明らかな初心者であることを引け目に感じ、同級生ともタメ口で話せず皆に敬語を使っていたり、上達しない自分が悔しかったりした気持ちによるものです。
ただ、18歳の時にはAチームに入れて、努力で何かしらを実らせたという経験ができモチベーションはかなり高くなりました。
成人しても大人ではなかった自分
Masa:20歳のところで下がっている点について話します。
僕は子供の頃から「子供として扱いを受けること」に異常に嫌悪感を抱いていて。はたち=成人式で大人に認めてもらえる瞬間という期待があったにも関わらず、成人式を迎えた自分が昨日までの自分となんも変わってなく、何も努力をしてこなかった自分ただの大人の姿をした子供のままだった、ということに気づかされました。
何もしないと何も起きないこと、「大人になるための努力」が必要だということを痛感し、何か自分に出来ることはないかと考え、周りにも多かった留学を自分もしてみようと思い立ちます。
ただ当時、英語力が悲惨で。過去分詞が分からないレベル。そこから1年間、バイトを3つ掛け持ちして、21歳のときに留学が叶いました。さらに、まともに話せる英語はHelloとNice to meet you だけだったのですが、留学先のカナダにいた2カ月間必死に努力をした結果、学内のスピーキングコンテストで準優勝することが出来ました。
興味のあることはすべてやる!
そこから興味のあることはすべてやったほうがいいなと感じ、帰国後はさまざまなイベントに率先して出るようになりまして。
1. 学生会長-高校で言う生徒会長-に立候補し政権公約を掲げて、僕が会長になったらこう変えますというのをみんなの前で話したり。
2. 就活生による就活生のための就活セミナーをやったら面白いのでは、と思いイベントを行ったり、
3. 当時東北大学に知り合いがいて、僕がエンジニア系の学校だったので、SNS周りのマーケティングをお手伝いする起業支援を行ったり。
最終的には起業した社長自身のプレゼン力のおかげもあったのですが、サイバーエージェントから数千万の資金を得てスタートアップとしてはいい駆け出しが出来ました。
4. 全国プレゼンオリンピックというのに出たり、
5. プログラミングを学びたかったのでロボコンに出たり、
6. 興味のあったアパレルバイトや居酒屋のキャッチをやったり、
とにかくモチベーション高く過ごした時期でした。
差を見せつけられた、社会人1年目
大学卒業後、僕が入社した会社は、半導体業界のリーディングカンパニー、
”Texas Instruments ( TI ) ”という会社。
Intel と別分野で肩を並べる*外資系、大手半導体メーカーにエンジニアとして入社しました。
そういった会社に入ってくる新卒エンジニアの人たちは、
先天的にも、後天的 ( 努力型 ) も能力が高い人たちばかりでした。
*
プロセッサー ( デジタル IC ) の share 1 位が Intel ,
プロセッサー を除くアナログ IC の share 1 位が TI
大学の勉強なんて役に立たないと思って何もしてこなかった僕は、そういった方々-ちゃんと勉強してきた人や先天的に能力の高い人達-に入社当時圧倒的な差を見せつけられて。
僕はやりたいことしかやってこなく、やらなきゃいけないことに時間を割いてなかったことを反省しました。
その時にモチベーションは少し下がってしまったのですが、彼らとのギャップに対して、今まで得た経験や知識を用いて試行錯誤しようとしたので、最終的には気持ちも上向きに修正することができました。
結果として 、TI に入社した同期の中でリーダーというポジションで過ごしたり、テキサス本社で働いた期間では、日本人チームのサブリーダーを担ったりという結果に結びつきました。
中原: ありがとうございます!次は僕のお話をしますね。
友人の存在が大きかった中学・高校生活
中原:幼少期の記憶は曖昧なんですけど、特徴としては3歳くらいまで中国で過ごしていたのでブロークンチャイニーズが話せたりします。
小学校高学年~中学1年生にかけて引っ込み思案でした。
それで楽しかったら良いのですが、本当は色々な人と話したりしたいタイプなのにそれが出来ず辛い時期でした。中学2年生の時に明るい人と仲良くなり、その子に付いていってたら自分も明るくなれて。そこからいろんなことを楽しめるようになった。というのが14歳くらいの頃です。
高校受験も志望校に受かり、高校では多少の山あり谷ありもありましたが、どちらかといえばいいモチベーションで楽しく過ごせたかなと思ってます。
大学受験の勉強も、友達と成績を競うのが楽しくて勉強をしたり、3年生になると志望校ができて自分で頑張ることが出来ました。
モチベーションの上下が大きい大学生活
ただ、受かった後にすごく空虚になってしまいました。
合格した後、大学でやりたいことを何も考えてなかったなと。
1年〜3年の間、自分を高めるようなことはしておらず、良くない時期だったかなと思っています。
海外に行きたい欲はあって、憧れもあるし英語は好きだったし。4年生の中盤に留学が出来ました。留学に行ってからはMasaさんと同じく、いろんなことをやってみたい!と思うようになりました。
4年生の中盤から-ちょうど1年位前ですが-、大学でももっと色々なことがしたくなりバイトやメドキャリを始めてみたりしました。
今年の5-6月頃、自粛が始まって1~2ヶ月経ったあたりから、また”頑張る”・”楽しいことを見つけてのめりこむ”が出来ず、自分が何をしたいのかよく分からない。というモードに入ってしまい、今(8月中旬)も続いています。
Masaさんの大学後半〜社会人になってからのお話はすごく楽しそうだと思いました。また自分がそういうことを出来ていないなと思ってます。
Masa:ありがとうございます。
中原:こちらこそありがとうございました。
Masa:では、ここからは個別トピックに入っていきましょう。
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