ミュウツーとキャタピー理論
こんにちは ティーです。
久々の投稿です。
今日は最近思うことを書いていきます。
さて、それでタイトルにあるミュウツーとキャタピー理論。
これは勝手に私が考えた理論なんですけど、
努力に関する理論です。
というのも最近、親ガチャという言葉をニュースなどがよく見かけます。
親以外にも、仕事だったりかかわる人だったり、ある意味ほとんどが
ガチャで語られてしまうようになりました。
これに関しては賛否両論あると思いますが、私個人は
どちらかというと肯定派です。
というのもやっぱり人って個人で独立していきているわけではなく、社会に属していろんなかかわりの中で生きているからそこに良い悪いがあるのはある種仕方のないことだと思っています。良い環境にいれれば良いのかもしれませんが、自分に意図とは関係なく悪い環境に置かれているということは往々にあると思うんですよね。
またそれ以前に遺伝による能力差も結構あると思っています。
さて、それで僕はミュウツーとキャタピーを比喩として使いたいと思います。まあこれは端的にいうと、ガチャでいう当たりがミュウツーで、はずれがキャタピーです。
ポケモンにすればものすごくわかりやすいですが、人間はみんな人間なので、顔や体つきなどは違えど、同じ人間です。
だけど、僕はミュウツーとキャタピーとくらい能力の差が人と人の間で起きていると思っています。
しかし、自分がミュウツーなのかキャタピーなんかというのは分かりません。人生経験の中である程度の自己判断はできるのかも知れませんが、
分からない人は一生分からないと思います。
さて、ここで考えたいのが自分がキャタピーだった場合の人生設計です。
例えば、ポケモンバトルの場合、ミュウツーとキャタピーが対戦した場合、ほぼほぼ勝敗は決まっています。当然ミュウツーが勝ちます。
少しマニアックな話になりますが、ポケモンには種族値と呼ばれるパラメータがあって種族値を元にして能力値が決まります。当然種族値が高いほうが能力値が高くなるわけです。
この種族値とは別に努力値というものがあります。
これは倒すポケモンを絞ることによって任意のパラメータを挙げることができるシステムです。入手できる努力値の種類はポケモンによって異なります。
例えば、ラッキーというポケモンを倒すとHPの努力値が得られます。
HPを挙げたければラッキーなどHPの努力値がもらえるポケモンを倒しまくるといった具合です。同じ種族の同じLVのポケモンでも能力値が違うのはこの為です。 (これだけではないけど…)
さて、そろそろ話を現実に戻します。
すべては自分の努力次第みたいな言葉を見かけますが、
このポケモンの理屈で考えると全然そんなことはないですよね。
だって、キャタピーがいくら頑張って努力値を貯めたとしても、
多分、ミュウツーには勝てません。
ちなみにタイプ的にはキャタピーの方が優位なんですよ。
もちろん現実的にはミュウツーとキャタピーではなく、
間にもっとたくさんあるし、ここまで露骨に差がでないケースだってあるでしょう。そういう場合は、努力がものをいう場面はあると思います。
そういう意味で、決して努力が不要とかそういうわけではありません。
しかし、場合によっては努力が全く持って意味をなさないこともあるというのも事実だと思いますし、それが当人や周りの人からは分からなかったりもするわけです。それを努力で片づけられるとキャタピー側はたまったものではありませんよね。すれ違いや対立が起きてもおかしくありません。
まあ実際どれくらいこのケースがあるのかは分かりませんが、インターネットが発達して情報が簡単に手に入るようになり誰でも自由に発信できるようになるとこうした差が如実に現れている感じはします。
種族値が高いミュウツーはより簡単に成功できて、種族値の低いキャタピーはなかなか自力での成功は厳しいと思います。
ちなみに一流と呼ばれる人とかは、ミュウツー並みの種族値でなおかつ努力も人並み以上にやっている感じが個人的にはあります。
あくまで想像だけど…
では、仮に自分がキャタピー並みに種族値だったとしたら、人生はお先真っ暗でとてもつまらないものなのでしょうか!?
もちろんそんなことはありません。
キャタピーにはキャタピーなりの立ち回りがあるわけです。
そもそも、仕事とかで比較されることは仕方ないとして、別に必ずしも相手に勝つこと=成功ではないわけです。
逆に、真向勝負で相手に勝とうとすると、かなりつらい人生になる可能性が高いと思います。
まるで、運動神経の悪い子がプロ野球選手を目指すようなものです。絶対に無理とは言いませんが、まあかなり現実的に厳しいですよね。
でも、自分なりの幸せを見つけることは能力に関係なくできることだと思います。そして、おそらくそれは一般の感覚とずれることが多くなる可能性が高くなると思います。
ちょっとあまり例えは良くないかも知れませんが、
炎上系Youtuberとかがその一例かな。
普通は、人の嫌がるとこととか迷惑行為ってそう簡単にはやらないですよね。でも、ほとんどの人がやらないから目立つことができて、
目立った結果、Youtubeで稼ぐことができるわけです。
(ちなみに今は規制が厳しくなりできないと思いますが…あくまでたとえ話です。)
古い価値観だと、ミュウツーみたいな能力の高さがすべてで、
能力の高さで成功して、その人が努力を語ったり、成功本みたいなのを出したりして、いろいろもてはやされていましたが、
これからはキャタピーのような人が多くなって、そういう人でも楽しく暮らせる社会になるのかと個人的には思います。
というか多様性とかってそういうことなんじゃないかなと個人的には思っています。
さて、長くなってきたのでそろそろここらへんで終わります。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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