一番やりたいことだけができない脳のクセ

「一番やりたいことだけができない脳のクセ」と言われてピンとくる人が、果たしてどのくらいいるのだろうか。
正直、俺自身そう言われても当事者としての実感があまりないのである。
ただ、結果として物心ついてからやりたい目標に向かってまるで歩みを進めていない、それどころかスタート地点にすら立ててないという実情がある。

俺が「一番やりたいこと」というのは、音源制作である。
自作の曲をPCでアレンジ・ミックスして、CDにしてみたいのだ。
20才から40才のあいだ、ずっとそれがやりたかった。
だが、まだほとんどできていない。

これまで俺は、数多くの作品を作ってきた。映画を作ったり、小説を寄稿したり。
だが、それすらも「寄り道」と呼べてしまうほど、俺の中で音楽の位置づけは大きい。
作詞作曲をしてライブをしているときすらも、本当は音源制作がしたいのにな、という気持ちが顔を出す。

何故できないのか、わからないのだ。
20年間、ずっとわからない。
ただ、そう言ってても前に進めないので、文章にすることでなにかを掴めたらと思う。

神聖視しすぎてしまって萎縮してしまう、というのはあるかもしれない。
俺は発達障害の診断を受けている。
昔から脳内物質のバランスが悪く、睡眠障害と双極性障害(躁鬱)に悩まされてきた。
躁鬱は年を経てだいぶ落ち着いたものの、いまだに寝るときに眠剤は手放せない。
そのことと「一番やりたいことができない」ことは、絶対なんらかの関係があると思う。
優先順位が高いものに対する訳のない恐怖が、昔からある。

学生のころ世界史が好きだったのだが、世界史を勉強しようとすると手が止まってしまうということがよくあった。好きなことなのに、何故できなかったんだろう。
逆に、そこまで向いてないことのほうに比較的まい進できる傾向がある。歌もギターも苦手なのだが、ライブ活動は断続的に続けられている。
しかし、おそらく俺はライブより制作のほうが向いている。知識ゼロから自作映画が賞を取るところまでいけたのだから。

脳の機能障害というと生育歴に原因があったりすることも多いが、ウチは家族関係は良好そのものである。
ひとつあるとすれば、小3のころ塀から落ちて頭を強く打ったことだろうか。チック症がひどくなってしまった。

あるいは、逆に恵まれすぎていてハングリー精神がないのだろうか。なんらかの逆境に立たされないと本当の創作意欲というのは湧き上がってこないのかもしれない。
俺も思春期は自分が何者であるかつかめず随分苦しんでいた。睡眠障害を分析するために生活の規則を書き出した。暗いうずまきのようなカオスから、なんとか自分を客観的に見ようと、創作物を吐き出さずにはいられなかった。その中から生まれた作品は揺るぎない深度がある。24才のときの映画「与那国」もその一つだ。
内的必然性が年齢とともに希薄になり、やらなきゃという義務感だけが残ったとすると、なんともやるせない。

こういう話は、達成してから文章にしたほうが美談だし説得力がある。だが、なにも解決してない状態でまとめることはある種のセラピーなのである。同じような悩みを持ってる人もいるかもしれない。

最後に、精神的にどん底のときに書いた「にごり水」という曲を紹介して終わる。俺が編曲までできた数少ない曲のひとつだ。

にごり水
  作詞・作曲・編曲;すぎさく

なにかが生まれ始めたそのとき
なにかが終わり消えてゆく気がするの

night 灯火たち
時を刻む 音も立てず

sight 風が乾く
君の吐息 見失った

夢の中へと 夢の中へと
染み出すにごり水に溺れゆく
微熱は疼く あの角を曲がる
物言わぬ秒針 チクリ差し込んだ

空白の隙間に気づかずに 大声で笑う
思い出重ね 首を振る
指先に消せない霞
ひとつになれない

おしゃべり止まない 痛み触れない
全て終われるような逃避行
隔離された置物 盲目の鉄線
響く銃声 制御を強める

夢の中から 夢の中から
染み出すにごり水が渦を巻く
駆け出して喧騒 打ち消して幻想
誰も見つけない こぼれてく想い

なにかが終わり消えてくそのとき
なにかが生れ落ちてゆく気がする

譲れない陣痛が カウント数え始めた

https://www.youtube.com/watch?v=zxp6VV1dWk4

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