すぎさく

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一番やりたいことだけができない脳のクセ

「一番やりたいことだけができない脳のクセ」と言われてピンとくる人が、果たしてどのくらいいるのだろうか。 正直、俺自身そう言われても当事者としての実感があまりないのである。 ただ、結果として物心ついてからやりたい目標に向かってまるで歩みを進めていない、それどころかスタート地点にすら立ててないという実情がある。 俺が「一番やりたいこと」というのは、音源制作である。 自作の曲をPCでアレンジ・ミックスして、CDにしてみたいのだ。 20才から40才のあいだ、ずっとそれがやりたかった

    • 良い聞き手になろう 〜音楽編〜

      ふと、「音楽家より音楽評論家の方が向いてるんじゃないか?」と言われたことを思い出した。作曲活動をする身としては屈辱に感じていたのだが、今思い返せば悪くない言葉だ。音楽理論も知らない俺がそう言われるのは、むしろ誇るべきことである。 良い音楽を生み出すなら、まず良いリスナーにならなければならない。インプットがない状態で良い音楽を生み出すことはできない。極端な話、泉のように曲が湧いてくる天才がいたとしても、ドレミも知らないようではそれをアウトプットできるはずがないのだ。 赤ちゃ

      • 良い聞き手になろう

        人の話を聞くのが好きで、この性格にずいぶん助けられている。とにかく人間というのは程度の差はあれ話を聞いてほしい生き物だとつくづく感じる。 特に年齢が若ければ若いほど、自己の相対化のために話し相手が不可欠だ。年下にモテたかったら話を聞いてあげることだ。そのとき、できるだけ価値観を押し付けないことをお勧めする。もちろん会話とは相互作用でありこちらの主観的な判断も避けられないのだが、ここはひとつインタビューアかカウンセラーになったつもりで、相手の話を尊重する意見を投げかけてあげると

        • 俺と下ネタ

          俺のステージの名物といえば下ネタソングだが、実は下ネタに大した思い入れがない。 というのは、好きとか嫌い以前に、昔から思いつく言葉といえば下ネタだったからだ。母親の子守唄をいつのまにか覚える幼子のように、当たり前に共にある言葉だった。好きか嫌いかといえばもちろん相性でいえば好きなんだろうが、「好き」というと追い求めるものという意味に捉えられる。なので既に身についてしまっているものを好きかと言われれば語弊がある気もする。手癖で下ネタの文章や歌詞を書いている。だから、「すぎさくと

          マスクで再認識した、「顔まんこ」という概念

          近年、日常的に使われるようになった「顔まんこ」という言葉が生み出されたのは、実は19世紀初頭にまで遡る。 みなさん、初対面からずっとマスクした状態でしか会わなかった人がマスク外してるのを見たとき、まるで裸を見てしまったかのような落ち着かない感覚に襲われたことはないだろうか? 男が女に欲情するとき、まずどこを見るか? 言うまでもなく、顔だ。同じ視線にあるのが顔なのだから当然である。そこでまず無意識に好みであるか、つまりチンピクするか選別するのだ。身体は後から付いてくる。 俺

          マスクで再認識した、「顔まんこ」という概念

          人類

          職場にいるアイドルみたいに可愛い新卒の女の子が、仕事がうまくいかなくてぐずっていた。みんな優しくなだめていた。 俺の場合はこうはいくまい。俺だって泣きたいこともあるが、40歳のオッサンがぐずってもキモいだけなので、歯を食いしばって耐えてる。1年が3650日なら、まだたったの4歳なのにがんばってる。新卒の子とも2歳差なので、ほとんどタメ、平等に扱って欲しいものだ。 だが、どんな可愛くてもウンチをひり出すのは俺と変わらない。場合によっては、それがどんな異臭を放つか、考えたことがあ

          言葉の深度について

          このnoteでは、本当の言葉を紡いでいこうと思う。 思えばツイッターが浸透してから、ろくすっぽ「言葉」と向き合ってこなかった。 頭にはいつも言葉が渦巻いている。そのなかで筋の通った考えが生まれると、それが本音であろうがなかろうが手癖のようにツイートしてしまう。 圧倒的に軽い言葉が、ツイッターという住処に安住する。そこで思考停止。 深みよりスピード。中身がスカスカでもなんとかなってしまうものだ。音楽をアルバムの曲順で聴かなくなり、欲しい情報の表層だけを掬い取って知った気にな

          言葉の深度について