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摩擦あるいは抵抗でできた「魔のぬかるみ」――『スラッジ』:5分で読めるエンゲージ書評

「足元の数字に追われて、本当は何をやるべきか分からない」
「本を読んで仕事に活かしたい。けれど時間がない」

そんな読者にお届けする「5分で読めるエンゲージ書評」。『DIGIDAY[日本版]』創刊プロデューサーなどを歴任した谷古宇浩司さんが、行政手続きや企業サービスの至るところに存在し、私たちの前に立ちはだかる「魔のぬかるみ(スラッジ)」とは何かに迫った1冊を紹介します。
紹介する本:『スラッジ──不合理をもたらすぬかるみ』(キャス・R・サンスティーン、土方奈美=翻訳、早川書房)

ナッジとスラッジ

「スラッジ」(Sludge、ぬかるみ)とは、人々が何かを手に入れようとするときにそれを邪魔する摩擦のようなもの。複雑なインターフェイスのWebサイトや膨大な質問で構成された申請書、難しい語彙や表現で記述された学術書などを想像すると良いだろう。

スラッジは意図的に組み込まれるものだが、サービスデザインや制度設計などに習熟していない人々によって無意識に生み出されることも多い。

言葉のニュアンスとしては「ナッジ」(Nudge、肘でそっとつつく)と似ているが、働きかけの方向が異なる。ナッジは人々の行動をある方向に“変容”させるきっかけといえるが、スラッジはどちらかというと人々の行動を“規制”するように働きかける。

スラッジは、著者のキャス・R・サンスティーンがホワイトハウスの情報・規制問題室(OIRA)の室長として働いていた経験から生まれた言葉。OIRAは1980年代に制定された「書類作成負担削減法」(PRA)に基づいて創設された組織で、そのミッションの中核は書類作成の削減だ。

当時、多くの国民に恩恵をもたらすはずの米国の公的制度が、そのあまりにも重い書類作成負担のためにうまく機能していなかった。彼はこの機能不全を解決するうえで「なぜ、非効率な行政手続きが放置されているのか」と問題意識を持つに至った。そしてその問題を「スラッジ」という言葉で端的に表現したのだ。

「選択の設計」の一部としての「スラッジ」

とはいえ「スラッジ」には存在意義がある。

公的支出を伴う制度の場合「不正、無駄、悪用」を防ぐ手段としてスラッジを正当化できる。世界の公的機関は例外なく、行政手続きの中にスラッジを紛れ込ませる。民間企業も同様だ。サンスティーンはその理由を人間の合理性の欠如にあると推測する。

「心理学や行動経済学での数十年にわたる判断や意思決定の研究の結果、どんなときに『完全合理性』を欠くのかが明らかになってきた」と彼は書く。

例えば離婚手続きをする際、手続き書類に膨大な情報を書き込まなければならず、しかも相手のサインも必要となれば、いったん立ち止まって自分の行動を振り返る時間を取るのではないか。煙草やお酒を購入するときに身分証明書を提示させたり、書類への記入を義務付けたりすれば、喫煙や飲酒を考え直す人が増えるのではないか。

つまり「スラッジ」は、選択設計の要素として要所に配置されている。

「スラッジ」の利益と弊害

しかし設計意図が優れたものであっても、意図通りに機能しないことは往々にしてある。いや、むしろ機能しない方が多いくらいだ。

「スラッジ」の弊害は、設計段階では予期できなかった人間行動の複雑さに起因して発生する。現実的な問題として、スラッジの被害者の多くは社会で最も貧しい人々だ。彼らが抱えるさまざまな種類の切実な問題は、制度の実運用に大きな影響を及ぼす。高齢者、ジェンダー平等の問題でも同様である。

貧困家庭の学生が大学で学ぶために資金援助を受けたいと思ったとする。援助を受けるには申請書類に必要事項を記入しなければならないが、そこには膨大な数の質問が並んでおり、なかには答えるのが難しい質問も含まれているかもしれない。そうなると、書類に記入している途中で援助申請を諦めてしまう学生がいてもおかしくはないだろう。

制度設計時に想定したスラッジの効用は、実運用段階で細かく見直していく必要がある。サンスティーンは「スラッジ監査」という言葉を使って、規制当局などが市民に対して意図せぬ不用意な害悪を発生させないよう、既存の書類作成負担の状況をモニタリングし、必要に応じて「除去」するべきと提言する。

もちろん、確信犯的な設計者によってスラッジが作られることも多い。フリーライダーの排除や不法行為の検出などの意図をもって組み込まれるケースだ。外国を旅行する際の入国審査に関わる一連の手続きに辟易しない人はいないだろう。国家の安全を守るための行政手続きだと考えれば、疲れた身体で入国審査の長い列に並ぶのは仕方がないことだとも思えるが、それでも「もう少し効率的にならないものか」と考える人は少なくないだろう。

IT時代の「スラッジ」

「スラッジ」に功罪があるのは仕方がない。システムの効率性を阻害し、利用者に害悪を及ぼすスラッジは定期的な監査によって除去すべきだが、完全消滅させることは現実的ではない。幸い、情報技術の高度化はスラッジの本来の効用を維持しながら意図しない弊害を軽減、あるいは消し去ることを可能にしつつある。

本人認証のデジタル処理やデジタル証明書の取り扱いなどが可能になったことで、例えば所得税の確定申告手続きにおける「スラッジ」は相当程度軽減された。これまでは混雑している税務署に出向かなくてはいけなかったのが、今はスマートフォンがあれば自宅から手続きできるなど、必要悪として目をつぶらざるを得なかった「スラッジ」の負の側面を緩和できるようになったのだ。

ただし、ここでもあいかわらず問題が生じる。最新のスマートフォンを所有して、公的機関あるいは民間企業が展開するさまざまなデジタルサービスを使いこなさなければ「スラッジ」回避の恩恵を受けることはできないということだ。ITリテラシーの習熟度は世代間だけではなく、いまだに個人間でも大きな差がある。

デジタル環境を巡る格差問題はこれまで散々指摘されてきたが、解決される見込みはない。結局はITそのものがより大きな「スラッジ」として、わたしたちの前に立ちはだかり続けることになる。


谷古宇浩司:編集者、メディア戦略アドバイザー。「ITmedia エンタープライズ」「ITmedia マーケティング」編集長、「DIGIDAY[日本版]」創刊プロデューサー、「Business Insider Japan」創刊編集長などを歴任。


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