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一番歌 究極のリーダーシップ


一番歌

秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ
我が衣手は 露に濡れつつ

天智天皇


ここに書くことは、主に、
個人的に感じたことを綴って行きたいと思います。

時代背景や人物の詳細については、必要以上には触れませんので、
私が参照している、小名木善行先生の
ねずさんの 日本の心で読み解く「百人一首」
を、ぜひ読んでみてください。


私は、日本の歴史や文化に無知だったため、
和歌に興味もなければ、詠み方もまったく知りませんでした。


日本には「一番大事なことは隠す」という文化と
それを「察する」という文化があり、
その両方が交差しているのが和歌なのだそうです。


短い言葉の行間に込められた
作者の想いを読み取る=察することが求められます。

想像力を駆使し、歌の背景に思いを巡らしていくことで
一つ一つの言葉と行間を紡いで、その意図がわかったときに
感動と共に、作者と読み手の共感が生まれます。


この、「物事の背景を思い巡らす」ということは、
私が丁寧生活チャレンジの中で物に対して心がけていた、
ゆにわで教わったことと同じです!


和歌を読み解く、ということは、
感じ取る力を求められ、また鍛えられるものなのですね。

それは、相手やものに対する思いやりを育むもの
とも言えると思います。


この歌を詠んだ天智天皇が、
「大化の改新」の中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)
と同一人物だったとは、まったく知りませんでした。


多くの解説書では、この歌を

「仮小屋の屋根を葺いた苫の目が粗いので、
私の衣の袖は露で濡れてしまったよ」

つまり、「小屋が粗末だから、ワシの着てる服が
露で濡れちまったじゃないか」

と、部下の不手際を咎めているような印象を
持たれかねないような解説がされているそうです。


深く読み解くと、この天智天皇は、秋の稲穂の刈入れの時に
農民と共に農作業をし、作業場(庵)で
苫(わらをござのように編んで屋根を葺くもの)
を自らの手で作っていたそうです。


しかも、「露」に濡れた、ということは、
朝露または夜露のことで、深夜か早朝を指しています。


国の最高権威である天皇が、
朝早もしくは深夜遅くまで、
露に衣を濡らしながら働いていた
のです。


それはきっと、刈入れのときだけではなく、
田植え、雑草取り、藁の天日干しまで
民と共に農作業をしていたことがうかがわれる、
と読み解いています。


「皆の上に立ちたい者は、皆の僕になりなさい」

という聖書の言葉が思い起こされます。


今も昔も、天皇陛下は率先して
この言葉を身を持って国民に示してくださっているのだなぁと
感慨深くなりました。

【海外の反応】「そんな日本が大好き」
田植えをされる天皇陛下のお姿に驚きと感動の声!


エリザベス女王が、麦畑で、ファーマーさんたちと
農作業している、なんて想像もつきませんよね?


他の国では、王や皇族という身分の人たちは、
骨が折れるような、手が汚れるような仕事は、
全部僕たちにやらせているのです。


欧米で主流のキリスト教の教えの中に

仕えること

僕になること

誰も見ていないところで善行をすること

互いに、人を自分よりも優れた者と思うこと

イエスご自身が、弟子の足を洗う

こういうことがたくさん聖書に書かれているのに
なぜこうも社会に反映されていないのだろう?
と、よく思います。


もちろん、中にはそういう心を持った人たちもいますが、
全体を見ると、少数派です。


日本には、そういう「教え」がないにもかかわらず
天皇陛下自らが、身を持って手本を示してくださっている。

だから、そのお姿を見た民たちにも
言葉以上の説得力を持って伝わっているのでしょうね。


天皇陛下が普段何をされているのか、
学校では教わらないし、国民のほとんどが知りません。

以前私が天皇陛下について調べ、書いた記事があるので、
どうぞご参照ください。

日本人に知られていない天皇のお姿


戦後の日本では、欧米化が進んでしまって、
そういう価値観がずいぶん失われてしまっていますが

日本人の根底に眠っている、こういう美しい生き方を
和歌を読むことで、目覚めさせることが
できるんじゃないかと思います。


最後までお読みくださり、ありがとうございます!

これを読んでくださったあなたが、
あたたかな光に包まれて、
毎日を送ることができますように。



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