ハーフムーンなんて存在しない
夜空を見上げると、月は満ち欠ける。
満月の時もあれば半月、三日月の時もある。
でも実際に存在するのは、フルムーンだけ。
半月や三日月なのは地球で夜空を眺め
太陽の光が当たる部分と当たらない影の部分があるから、
僕たちの目にはそのように見えているだけだ。
実際には影の部分にも月は存在し宇宙空間に浮かんでいる。
我々人間も同じ。
割れ目や傷、影のない人などいない。
誰もが影の部分を持っている。
フェイスブック、インスタグラム、ツイッター、
SNSの投稿に上がってくるのは誰かの光の部分。
もしかしたら、その光にはいささかフェイクも混じっているかもしれない。
影の自分をさらけ出すことはあまりない。
VUCAの時代に僕らは様々な情報に翻弄され
自分自身を見失いかけているのかもしれない。
スティーブ教授は、20代の頃にエリートとして学歴社会の競争で疲弊し、
人とのつながり、社会とのつながり、自分とのつながりを失っていた。
スティーブ教授自信がダックシンドロームだったのかもしれない。
小さい頃には、静かで平和な子で、
クリスチャンの父と仏教徒の母に育てられたという。
その頃、住んでいた3階建のアパートが火事で全焼し、
ギターとシャツ以外は全てを失う。
この体験が自分を見失っていたスティーブ教授の人生を変革した。
全てを失い、古いものを手放すことで新しい道ができ、
生まれ変わることができたのだという。
金継ぎは割れた器をもう一度使う物を大切に扱う精神を体現する先人の知恵。
割れた部分を隠すのではなく金で繋ぎ、
敢えて目立たせ器を輝かせデザインを楽しむ創意工夫。
割れた器は割れたことでより美しく愛される器となる。
僕らは競争社会の中で、
ハーフムーンの光が当たってる部分だけを見られるように
影の部分は存在しないかのように一生懸命に誤魔化そうとする。
実際には影の部分も存在し、
その影の部分も含めて自分自身であり、
そこには影のあるフルムーンだけが存在する。
ハーフムーンなんて存在しないのである。
スティーブ教授は言う。
「自分を変えたければ、まず自分を受け入れることだ。影の部分も含めて完全に自分を受け入れることができれば、自分自身は変わっていく。これはパラドックスだ。」
よく見せようと強みを主張すれば競争が生まれる。
そして疲弊していく。
スティーブ教授のように。
現代の僕らのように。
強みを見せ合っても繋がることは難しい。
弱みを見せそれを認め合った時、繋がりが生まれ、
本当の自分が受け入れられ人から愛される。
金継ぎをされた器のように。
グーグルのアリストテレスプロジェクトでも
心理的安全性のある環境が最も生産的なチームであることが示されている。
もちろん強みが重要でないということではない。
弱みを見せ合える信頼関係の中で強みはさらに生かされ
お互い補い合いながらチームビルディングができるということだ。
会社組織の中で、弱みを見せ合って仕事をするのは簡単ではない。
日本社会のカルチャーであれば、尚更だ。
しかし、時代は気づき始めている。
僕らはおかしいと気づき始めている。
だから、今日のこの講演にも160名もの人が何かを期待して集まったのだろう。
マインドフルネスは意識の状態だと宍戸氏は説明する。
マインドフルネスは気づいている状態。
自分自身、相手、社会、宇宙に気づいていく。
自分自身と向き合う時、自分の影の部分を認め受け入れられるだろうか。
僕らは普段、影の部分やネガティブなものから逃れようとしたり、
塞ごうとしたり、見て見ぬふりをしようとするが、
影の部分も含めて自分であることに気づいていくこと。
「評価や判断をすることなくありのままに見ていく」と言うことだ。
マインドフルネスには様々な定義があるが
宍戸氏が示した一例がそれをよく説明している。
「子供の頃言葉を覚える以前に体験していた世界の見方」
僕らは日頃の半分が上の空、
いわゆるマインドワンダリングな状態と言われ、
このような状態の時には、幸福感が低いと考えられている。
過去の経験や信念が、思い込みや囚われになり、
反射的、衝動的に反応してしまうオートパイロット状態になりやすい。
このような状態からマインドフルな状態になるためには、
気づくことだ。
その方法には瞑想を始め、トレランやヨガ、写経や華道、茶道など
様々なアプローチがある。
武士が座禅を組んでいたのも、
いついかなる時も冷静に対応するためであったと言われている。
自分とつながることができれば、
他者との繋がりが生まれ、社会、宇宙との繋がりが生まれる。
マインドフルネスは、自分を知って満足するものではなく、
社会との関係性を築きその繋がりの中で、
他者も自己も生かし生かされ共に生きていくための
ツールとなる。
マインドフルネス瞑想の実践で自分自身と向き合い、
影の部分を受け入れ、本来の自分と繋がっていく時、
今まで見ていた世界とは違う世界が現れる。
物の見方が変わるということは、自分の住む世界が変わるということだ。
仮住まいのフルムーンではなく、
影のあるフルムーンの住人になるのだ。
スティーブ教授が引用したアウシュビッツの生き残りで
社会心理学者ヴィクトールフランクルの言葉で締めくくろう。
「人生に何を求めるかを問うのをやめ、人生が私に何を求めるているのかを問うように考えなければならない。」
これは「夜と霧」の中に出てくる言葉だ。
明日命を絶たれるかもしれない過酷な状況の中で自ら命を断とうとする者たちを
勇気付け思いとどまらせた時にヴィクトールフランクルが語った言葉とされている。
さあ、僕らの人生は僕たちに何を求めているのだろうか。
今夜も秦野の自然の中、鈴虫の音を聴きながら、
マインドフルネス瞑想でじっくり向き合ってみようと思う。
今夜は新月3日目。
雲に隠れて姿は見えない。
でも気づいている。
そこにあるのはフルムーン。
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