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Shadow library

子どもの学校からの通信に、「Shadow libraryについて話題にしたので各ご家庭でも話し合ってみてください」とあった。影の図書館?
 
影というからには、おおっぴらにはできないのだろう。聞きかじるところによると、本来は有料の出版物を無料で見られるようにするというようなことらしい。科学者の研究論文はともかく、小説や翻訳や、音楽・芸術などは、著作権で生活している人たちがいることを考えると、まずいだろう。グレーマーケットのようなものだとしたら、好ましくない。
 
ところが、実際に調べてみると、いわゆるグレーマーケットとは少し違うようだ。それどころか、学術分野の話のようだ。つまり、まさに「研究論文はともかく」の部分の話ではないか。
 
もともと国際学術出版社の日本支社で編集制作をしていたので、それならよく知っている。
 
1990年代から2000年代に学術ジャーナルがどんどんオンライン化された時期に、出版社内でもかなり話題になった。購読料があまりにも高騰して、大学図書館などもジャーナルを購読できなくなり、研究者たちが論文を読めなくなりつつあった。おまけに、図書館がオンライン版を購読していると、論文は出版社のデータベースにあるため、購読を打ち切ったとたんに、購読していた期間の冊子まで読めなくなるという問題があった。
 
そうこうするうちに、商業学術出版に反対して、無料で論文を公開する研究者たちがでてきた。学術出版社の営業部門では大問題となっていた。ヨーロッパの本社から利益を上げるようにプレッシャーをかけられていた営業部門の幹部は、研究者が無料で論文を公開することを目の敵にしていた。私はと言えば、出版社からお給料をいただいている身としては、営業ではなく編集制作部門だったこともあり、だまって仕事をさせていただいていた。
 
が、Shadow Libraryの用語を調べて久しぶりに思い出した。そのころから思っていたが、やはり、研究者は論文の著作権で暮らしているわけではないので、研究資金を国や研究機関などから出してもらっている以上、学術論文は無料公開するのが筋ではないだろうか。人類共通の知識の資産なのだから。
 
ここでまずいのはだれか? 著者たちは、無料で公開したがっているわけだ。問題は、論文を公開するための手段を提供している出版社だ。
 
人類の知識を広く知らせるという崇高な目的を掲げて、大々的にとりまとめて洗練された方法で出版する会社があるのはよい。でも、営利目的に走ると崇高ではなくなる。オンラインジャーナルのための技術革新や投資が必要なのはわかるが、大学図書館や研究者にとってより使いやすいシステムを構築していくのが社会的役割ではないだろうか。
 
私が国際学術出版社を去ってからもう20年近くになるが、いまだに同じ状態で、それを表す用語までできていたとは。Shadow Libraryなどは必要なくなる日が来てほしい。
 
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