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【経済本100冊】Vol.58:『経済で読み解く日本史〈安土桃山時代〉』(著:上念司)のあらすじ

経済本100冊読破タイトル作成

こんにちは!メンタルブロック解除人こと心理カウンセラーの大和です。
こちらでは、「数字に疎い心理オタクが、経済関連の本を100冊読むとどうなるか?」と言う企画で、読破した経済関連の本を紹介して行きます。
既に経済に詳しい方もそうでない方も、今後の本選びの参考にして頂ければと思います。


今回ご紹介するのは、上念司さんの『経済で読み解く日本史〈安土桃山時代〉』です。

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基本情報

タイトル:経済で読み解く日本史〈安土桃山時代〉
著者名:上念司
初版発行年月:2019年6月
ページ数(大体):約270pg
難易度所感〈五段階〉:★★★★ ややムズい

大和の適当あらすじ


戦国時代~安土桃山時代に至るまでの変動を経済の観点から読み解こうとする、上念司プレゼンツの新たな日本史教科書。

全体の感想

戦国時代から安土桃山時代にかけては、各武将の武勇伝にフォーカスする歴史本が多いですが、本書では一貫して、経済と言う観点から、主に信長・秀吉の政策の経済的意義と、どのような経済システムを目指していたかを、豊富な文献の引用や様々な政治経済の理論を駆使して、読み解こうとしています。

特に信長の撰銭(えりぜに)令についてフォーカスして説いた所何かは、個人的に面白いなと思ってまして、普通の歴史の授業では「ふ~ん( ´_ゝ`)」でサラッと流す政策を、実は経済学的にはこんな深い意味があったんだと言うことが分かって、めっちゃ成程~と思いました。

また、戦国時代と言うと何かと戦乱とかで貧しいイメージがありますが、実は大名による富国強兵で経済成長が起こっていた何てのも、正に目からウロコな所でした。上念さんの博識ぶりと深い洞察には正に脱帽です☆彡


大和の学びポイント


< 学びポイントまとめ >

★信長が宗教弾圧したのは軍事的・経済的理由から
★倭寇は当時の海商のグローバルスタンダード
★倭寇による私鋳銭持ち込みで、びた銭が流通
★信長の撰銭令の失敗
★信長は経済を面で押さえた
★正貨に対するローカルルールが発達
★金貨・銀貨・米による決済システムが秀吉により公認
★米による納税制度の持つリスク
★貴穀賤金(きこくせんきん)と言う経済の認知バイアス
★秀吉の功績は寺社勢力から特権を奪い、解放したこと

< 各詳細 >

★信長が宗教弾圧したのは軍事的・経済的理由から
・・・織田信長の宗教弾圧は有名だが、それは軍事的な理由に基づくものだった。比叡山は近江の利権を巡って対立しており、本願寺は信長包囲網に加担、高野山は謀反人の荒木村重の残党をかくまったのである。また、比叡山延暦寺の焼き討ちは特に有名だが、これは比叡山が度重なる信長包囲網に加担していたことと、そもそも信長が進める改革に比叡山そのものが邪魔だったから起きたのである。比叡山の主なビジネスは関所・荘園・金融であり、関所は物流を阻害し、荘園の中はブラックボックスで年貢も払わないので、物流を促進し、年貢の徴収・管理を徹底しようとする信長にとっては大きな障害だったのである


★倭寇は当時の海商のグローバルスタンダード
・・・信長が誕生する8年前に、石見銀山が発見された。当時の明は貨幣不足のデフレ経済に苦しんでいたが、枯渇した銅の代わりに銀が貨幣として流通を始め、銀の需要が高まっていた。日明貿易は回数が制限されていたが、公式の枠にはまらない密貿易が横行するようになり、明朝はこれを「倭寇」として取り締まった。なので、倭寇が登場する原因は、経済発展に追いつけなくなった明の朝貢海禁体制の破綻である倭寇は「海賊」と言われるが、実際には商人と海賊の両方の側面を持っていた。取引に満足すれば商人、不満なら海賊に変身するだけの話で、このスタイルは当時の海商のグローバルスタンダードだったのである。


★倭寇による私鋳銭持ち込みで、びた銭が流通
・・・石見銀山の発見で、湯水のように出る銀を用いて、倭寇は明で爆買いを行った。しかし銅銭は明では発行停止になっていた為、買い付けることができなかった。そこで仕方なく浙江や福建等で鋳造された「私鋳銭(偽札ならぬ偽銅銭)」を買って、大量に日本に持ち込んだ。その結果、信長が尾張を統一する頃には大量の私鋳銭が日本に出回ってしまった。私鋳銭は銅の含有量が少ないので、錆びたり割れたり等、品質に問題があった。品質の悪い銭は「びた銭」と呼ばれ、割れた銭は使うのに心理的な抵抗を覚えるので、市場では価値が通常の半分か3分の1等に設定され、それを実勢レートとして取引された

★信長の撰銭令の失敗
・・・びた銭が流通すると、実勢レートと名目レートが乖離してしまう。例えば納税の際にびた銭で納めると、実質的に税金が半減できてしまうことになる。そこで領主達はどこかのタイミングで実勢レートを公認せざるを得なくなる。びた銭の実勢レートを領主が追加で公認するお触れを「撰銭(えりぜに)令」と言う。撰銭令は室町時代に盛んに出されるが、信長も上洛後に盛んに撰銭令を出した。信長の撰銭令には良銭とびた銭の公認交換レートの設定や、びた銭や米での売買禁止が書かれていたが、これは失敗に終わった。何故なら、戦国大名による富国強兵政策で空前の経済成長が起きており、撰銭令では激増する貨幣需要に応えられなかったからである

★信長は経済を面で押さえた
・・・信長は城を移転する度に城下町を作り、道路を整備して関所を廃止した。そして、既存の寺内町や境等の自治都市も取り込んで、全てをネットワーク化した。従来、経済のインフラを独占していた寺社勢力は、要所毎に関所を設けて、点と線で経済を押さえていたが、信長は関所を廃止して全てを取り込んだことで、経済を面で押さえたのである。これにより、取引のトラフィックは増大した。これにプラスして貨幣量の増加を行っていたら、江戸時代を待たずに日本は高度成長を迎えていただろうが、それができなかったのは惜しい所である。

これより先は有料コンテンツとなります。価格は200円と、週刊少年誌よりも安く変える値段ですので、更にサクッと学びを深めたい方は是非ご購入下さい。


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