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「加害者の出席停止」でいじめはなくなるか。

先日、こんなニュースが目に入った。

『いじめ「加害者を出席停止にすべき」5割超 生徒や保護者に調査』

自殺や不登校につながる深刻ないじめが相次ぐ中、生徒や保護者への調査で「加害者を出席停止にすべきだ」という回答が5割を超えました。調査を行った専門家は「被害者と加害者双方の学ぶ権利を守りつつ、安心して学べる場が必要だ」と指摘しています。

調査は名古屋大学大学院の内田良准教授のグループが、ことし8月に小中学校の教員と保護者、中学生それぞれ400人、合わせて2000人にインターネット上で行いました。

調査では、いじめへの対応について、加害者を「出席停止」にすべきかたずねたところ、「とても思う」もしくは「どちらかと言えば思う」という回答が、中学生で53%小学校と中学校の保護者でともに60%を超えました。教員では、小学校で34%、中学校で46%となりました。(以下省略)

出典:NHK NEWS WEB 2021年12月13日 18時14分

記事を読み終えて、心がざわついているのに気がついた。

いじめの加害者を出席停止にすれば、果たして本当に問題は解決するのだろうか...

社会学を学ぶうちに、問題を個人ではなく、より大きな観点から捉える癖がついた。今回のことに関しても、もちろんいじめの加害者は絶対的に悪い。被害者は一生心の傷を背負って生きなければならず、その代償は計り知れない。と同時に、加害者にもいじめに至らしめた背景があるんじゃないか...そう考えずにはいられなかった。

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他の記事でも取り上げた、社会学者貴戸理恵先生の「個人的なことは社会的なこと」でも、いじめに関して言及されていた(p.20-21)。

いじめは、これまでの研究によって、「いじめる側の人権意識の欠如」にも増して、学校のクラスという「構造」の問題であることがわかっている。学校のクラスは固定化されており、逃げ場がない。そのため、通常であれば、被害者が被害を訴えたり、周囲が止めに入ったりすることで解決されてゆくはずの問題が、奇妙にも存続し、不透明化し、エスカレートする。

これに対応するなら、何らかの方法でクラスの固定性を緩め、風通しをよくしていくしかない。現に一人一人が異なる授業を選択し、単元ごとに教室を移動する単位制の学校や大学などでは、いじめは少ない。それは「みんな道徳的だから」ではなく、いじめを成立させる構造的条件がないからだ。

貴戸先生の主張は、私の感覚と近いものがある。

緊急を要する場合、加害者を出席停止にして対応することはやむを得ないであろう。しかし、たとえそれで一時は事が収まったとしても、クラス自体の構造が変わらなければ、新たな被害者、そして加害者を生むだけではないだろうか。

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取り上げたニュースにおいて専門家は、被害者・加害者への対処方法やオンライン授業等を活用した学習権の保障について述べていた。しかし、その議論の前にまずは、学校やクラスのあり方そのものを、問わなければならないのではないか。

そんなこと甘っちょろいと思われるかもしれない。まず目の前の出来事に迅速に対処しなければならないだろうと。

しかし、根本的な問題から目を背けることは、未来ある若者の「未来」を奪うことと等しいのではないか。

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*出典:
NHK NEWS WEB 2021年12月13日 18時14分(https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211213/amp/k10013386781000.html)

貴戸理恵. 2021.「個人的なことは社会的なこと」青土社.
→関連記事「ただ在ることの大切さ」はこちら

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