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デンマークの若者の「生きづらさ」ー自由の代償

先日、高校の先生とお話しする機会があり、デンマークの若者の「生きづらさ」について以下のように話してくれた。

もしかすると今の若者は、昔の若者とは違う方法で「生きづらさ」を抱えているのかもしれないね。

デンマークは比較的「自由な社会(frit samfund)」と言われてる。つまり、何をしたいかを自分自身で決められる社会

親も子どもが将来何をするかにはあまり関心がなくて「ただあなたが幸せでいてくれたらそれでいいよ」という感じ。何をするかには干渉しないけど、幸せではいてねって、それもそれでプレッシャーだと思わない?

選択肢が広く開かれている分、もし何か間違った選択をした場合、間違ったのはこの「私」なんだと考えてしまう。逆に、幸せな選択をするのもこの「私」なんだと。


自由に伴う、自分の人生に全責任を負う怖さを、私は最近になってやっと感じるようになったけど、デンマークの若者はより早い段階から、常に感じているのかもしれない。

一方、私もそうだったように、日本の若者はどちらかというと、選択肢が狭いことに「生きづらさ」を感じているのではないか。先生、親、社会の期待によって狭まってしまっていると言った方が正確かもしれない。名言されているわけではないけれど、社会に通底するあたかも「正解」のような選択肢があって、多くの人が意識的にしろ無意識にしろ、それを選択している。

ただ、たとえその選択が自分にとって間違いであったと気づいても、先生のせい、親のせい、社会のせいと考えることもできてしまう。自己決定が尊重されるデンマーク社会に生きる若者には、きっとこの感覚はないのだろう。

ついつい日本で生まれ育った私は、デンマークの若者は選択肢が多くて、自分で決められてうらやましい、と単純に思ってしまっていたけれど、自由の代償も確かにそこにはあって。どちらが良い悪いの議論を超えて、デンマーク社会で生きるなりの「生きづらさ」について、もっと想像力を働かせていきたいと思った。

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